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感想「下山事件(シモヤマ・ケース)」

「下山事件(シモヤマ・ケース)」 森達也 新潮文庫
下山事件について書かれた本だが、ここに描かれている詳細はまるっきり謀略小説のよう。だからといって、必ずしもこの本だけで書かれている内容でもないし、確かにそういう時代だったのかもしれんという気もするから、信憑性を疑う気はないが、本書は下山事件とは何かというのを、客観的に理解するには向かない本。著者の個人的な要素が内容に絡み過ぎているから。
これは森達也のいつものスタイルだが、「A」「放送禁止歌」のような、彼と同じスタンスで、その対象と向き合ったレポートが他にない場合には、有効なスタイルだと思えるが、下山事件のように、先行した調査が他にいくつもあるような場合はどうだろうか。事件そのものについて知るためには、他にもっと適当な資料があるのでは、と思ってしまう。手頃な厚さだし、読みやすいし、とりあえず事件の全体像を概観するには悪くない本だけれど。

もっとも、著者はそれは承知の上で書いている節もある。そもそも、書いている時点で、この本が変則的な形で世に出ることになることは分かっていたはずで、当り前のものを書いても意味がない、くらいの腹の括り方はしていただろうし。
それに、最終的には、著者の関心の対象も本書のテーマも、事件の真相そのものからは外れてしまっているように感じられる。確かに50年以上も昔の事件の真犯人が分かったところで、いまさら何が起こるわけでもないと思う。著者がそれよりも重要なこととして書いているのは、当時の権力者が、この事件をいかにうまく利用して、自分たちに都合がいいように、この国の方向性をねじ曲げて行ったかということと、それを可能にしたこの国の人間の国民性のこと。(本書中で、何人かの人物が言うように、結果的に、それが今の日本の繁栄につながったのかも知れないが、繁栄以外の暗い部分の原点でもあるんじゃないのか)

根拠も明確でないまま、利益優先で扇情的な報道を繰り返すマスメディアと、それに容易に煽動されて、ヒステリックな「民意」を作り上げて行く「国民」と、それを利用する権力という構図は、まるっきり今も変わらない。著者は当然「A」で描いたオウムのことが念頭にあったろうし、それ以降で言えば、小泉ブームも、反北朝鮮ブームも、みんな同じ構図だし。ある意味、太平洋戦争も、そういう構図の中で突入した戦争だったんだな、ということを、最近感じている。この国は確かに、その頃から何も変わってないんだろう。それに、下山事件の当時は、「国民」が脅かされ騙されてしまうのも無理もない状況ではあったかもと思うが、現代にそんな言い訳は通用しないだろうな。

もっとも、こういう「国民」の在り方が、日本特有のものなのかどうかは、よく分からない。世界中のいろんな悲惨な話を見聞きしていると、国が違っても、どこも結局、そんなもんなんじゃねえの、という気もしてはくるけども。森達也は、日本は特にその傾向が強いのではないか、というようなことを、書いているが。自分は「民意」に付和雷同で従うことはするまいと思う。
(2006.11.16読了)

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