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感想「ヒトラーへの聖火」

「ヒトラーへの聖火」 ダフ・ハート・デイヴィス 東京書籍
ザ・スポーツ・ノンフィクションの1冊。
1936年のベルリンオリンピックについて書かれた本。主なポイントは二つで、ナチスの悪行が既に目に見えていたにもかかわらず、なぜ、主要国の不参加のような問題もなく、この大会が無事に開催されたのかということと、これがどのような大会だったのかということ。

前者のポイントについては、ナチスの戦略が巧みだったとか、その時点で主要国の政府が、ナチスに対して宥和的だったとかいうことはあるにしても、IOCや各国のNOCが、開催すること、参加することを大前提に考えていたことが大きかったように思う。彼らは、辻褄を合わせるように都合のいい屁理屈を積み上げて行った、という感じがする。オリンピックがまだのどかな時代で、個人レベルの意識や計算で参加を決めることが出来たというのが、背景にあるんだろうけど。国家が前面に出て来るようになり、国際情勢次第で常にどこかの国が欠けていた70-80年代とは、事情がいくらか違っているようには思えた。もっとも、去年の北京オリンピックを見ると、今は国家が前に出過ぎて、国の威信がかかり過ぎ、逆にボイコットしにくくなってきているような気がする。

ベルリンオリンピックの成功がナチスを勢いづけたのは間違いないし、その成功にオリンピックが協力したというのは、今の目から見たら明らかに汚点。ただ、オリンピックがあってもなくても、歴史の大枠は変わらなかったのかも知れない。そう考えるなら、汚点を残してでも開催されたことに、なにがしかの意味を見いだしても悪くはないのかも知れない。少なくとも、ジェシー・オーエンスのような歴史に残る偉業は生まれたし、一方で、この大会がナチスの大掛かりなプロパガンダの元に行われたことが、後世に考えるべき材料を提供してもいるのでは。そうした、このオリンピックがどういうものだったか、ということを伝えている部分が、後者のポイント。

もっとも、日本では多分に、前畑ガンバレとか、ベルリンの奇跡だけで記憶されちゃってる大会のような気はする。日本人にとっては、やっぱり、ナチスというのはリアリティを持ちにくいテーマだから、それはある程度、止むを得ないことじゃないかとは思う。ただ、少なくとも孫基禎のマラソンのことくらいは、日本人が念頭に置いておく必要がある大会じゃないかとは思うが。
まあ、北京オリンピックが、あんな風に開催されちゃうのを見れば、日本に限らず、ベルリンオリンピックの記憶が、教訓として全く生きていないのは明らか、とも思えるけど。

知らなくて、少し意外だったのは、オリンピックの誘致自体にはナチスは関わっていなくて、たまたまやって来たイベントに、うまく乗っかっただけだったといういきさつ。そういう意味でも、オリンピックがなかったとしても、別の何かがあっただけだったのかな、という気はする。

それにしても、ヒトラーの自己顕示欲とか、他者に対する非寛容は、2016年の東京オリンピック誘致の中心に居る人物を思い起こさせるし、それだけでも、個人的には誘致運動に反対する充分な理由になる。まあ、彼がヒトラー並にとんでもないことをやるとか、やれるとか、そんなことまでは思っちゃいないが、特定の人物の個人的な自己顕示欲をきっかけに開催されるオリンピックなんて、いらない。

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