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感想「ドキュメント死刑囚」

「ドキュメント死刑囚」 篠田博之 ちくま新書
「創」の編集長が、宮崎勤・小林薫・宅間守という3人の死刑囚に関して取材したことをまとめたもの。この人は東京新聞に以前からコラムを連載していて、そこでこの辺のテーマに触れることが多い。この本が出た時、興味を持ったんだけど、うまく行き会わなかったが、たまたま手に入ったんで読んだ。

死刑が凶悪犯罪の抑止力たりうるのかというのが大きなポイントで、著者はそこに疑問を呈しているが、この3人のようなケースについては、「ならない」というのが結論だと思う。自殺する勇気がないから人を殺して死刑になりたい、みたいなことを言う殺人者が近年多い気がするけど、そういうのって、ある意味、死刑があるから殺人を誘発してるんじゃないのか。すごく単純なことだと思うんだけど、死刑存続賛成の立場で、そこの所に触れられていることがほとんどないのは不思議。実際には、死刑存続論の拠り所は、抑止力という観点はほとんど考慮されてなくて、被害者側の復讐感情とか、集団リンチのような心理でしかないんじゃないか。まあ、後者は論外だが、前者については気持ちは分かる気がするとは思う。
もっとも、こういうタイプの犯罪でない場合で、抑止力になってるケースはあるのかも知れない。抑止力になっているので、表に見えて来ないだけで。世界各国の状況の調査結果として、抑止力はないという結論になっているという話はよく聞くが。

一方、足利事件をきっかけにクローズアップされてきた飯塚事件というのがあり、足利事件が冤罪という話が出て来た時、似たような事件で既に死刑になってるケースがあるんじゃないか、ということを思ったが、これはまさにその可能性が高いらしい。そういうことがある以上、最低限の安全弁として、やはり死刑は廃止すべきだと思うが。ちょっと意味合いは違うが、本書に、死刑にされる側に自分をなぞらえる人がいる、という話が出て来るが、こういう日本の警察・司法制度の中で、自分が冤罪で絶対やられないという確信を持つのは難しいと思う。しかも、近年の状況を見ていると、冤罪でないとしても、不合理な理由で犯罪者にされてしまう可能性も増していると思うわけで。自分の身を守るという意味でも、死刑には反対していくべきなんじゃないだろうか。
そういう冤罪の可能性が全くない、本書で取り上げられている3人のような凶悪犯に対しては、そんな配慮をする必要がないという話に多分なるわけだけど、じゃあ、どこで誰がその線引きをするのか、ということにならざるを得ないはず。

元々の「死刑にされる側に自分をなぞらえる人がいる」という部分の意味は、そういう犯罪者に自分がなっていた可能性もあるということで、ここでとりあげられた3人については、本書を読んでいくと、やっぱりかなり特別な部分があって、個人的にはそういうことはあんまり思わない。ただ、最近多い絶望感からの通り魔的な殺人犯なんかは、(伝えられている通りとすれば)自分も環境が違ったり、運が悪かったり、時代が違っていたら、こうだったかも知れないという感覚は確実にある。社会として、犯人を死刑にして処刑して終わりじゃなく、なぜそうなるのかということを押さえるのは、絶対に必要なことだと思う。被害者側の復讐感情は正当と思えるにしても、それとは別の部分で、しっかりやるべきなのでは。
復讐感情そのものについても、思うことはあるけれども、とりあえず置いておく。

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