« J1リーグ第34節清水対名古屋 | トップページ | J1リーグ第34節大分対大宮 »

感想「社会主義と個人」

「社会主義と個人」 笠原清志 集英社新書
序文で、日本における「市民」は欧米で言うところの「市民」とは違うのではないかと考えていた、というようなことが書いてあったので、そういう方向性の本かと思ったのだけど、あまりそういう要素はなかった。改めてちゃんと読んでみると、そのことと著者の東欧留学に直接関係があるということは何も書いてなくて、勘違いだった。実際の内容は、90年前後の東欧の激動を、留学していたユーゴスラヴィア、その後調査に行ったポーランドにおいて、市民レベルから見た記録で、そこで「市民」がキーワードになっているという繋がりだった。
市民レベルの記録という点については、たまたま著者の手の届く所にあった、ごく一部のサンプルなのでは、という気もしないではなかったが、興味深くはあった。特にポーランド編は、元々そんなに関心を持ったことのない国だったので、そういうことだったのか、という事柄がいろいろあり、啓蒙された気がした。カトリックが強い力を持っていたり、根深い反ソ連感情があった故に、社会主義体制になる前の社会構造がある程度維持され続け、80年代までの「東欧」の社会主義国の中で独特なポジションにあった、みたいなことは全然知らなかったよ。そういう背景があって、「連帯」やアンジェイ・ワイダや出て来て、社会主義体制のああいう形での崩壊も起きていたんだな。

ベルリンの壁が壊れて20年ということで、この辺の話を見聞きすることが多い昨今で、当時はなんとなく凄いことが起きてる、くらいにしか思ってなかったが、必然的に起きた出来事だったのは確からしい。そうは言っても、あの時、特定のポジションに特定の人物が居なければ、(少なくともああいう比較的穏やかな形では)起きなかった事件なのも確かなんだろう。そういう意味では、あれはやっぱり一種の奇跡だったか。
もっともユーゴスラヴィアでは奇跡は起きなくて、最悪に近い形になってしまったわけだが、その理由も、これを読んでいてなんとなく分った気がした。結局、内部矛盾を上から強引に糊塗しても、いつかは火を噴くということなんだろう。たとえその時は困難に思えても、矛盾は矛盾として白日のもとにさらして向き合っていくことでしか、真の解決は生まれないんだろう。

|

« J1リーグ第34節清水対名古屋 | トップページ | J1リーグ第34節大分対大宮 »

「小説以外の本」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/3787/47248348

この記事へのトラックバック一覧です: 感想「社会主義と個人」:

« J1リーグ第34節清水対名古屋 | トップページ | J1リーグ第34節大分対大宮 »