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感想「Zの悲劇」

「Zの悲劇」 エラリー・クイーン 角川文庫
実を言えば、エラリー・クイーンの全長篇の中で、個人的に一番どうでもいいのが多分これ。さすがに嫌い、と言うのは言い過ぎだが、まあ、どうでもいい感じ。
理由はかなりはっきりしてる。元々レーンものに、あんまり愛着がないというのに加えて、本書はペーシェンスの一人称があまりにも出来が悪く思えた。まあ、ペーシェンス自体が、どうよ、と思うキャラなんだけど。
ただ、ペーシェンスの一人称がヒドいのは、翻訳が古いせいかも、と考えてはいたので(ちなみに創元の鮎川信夫訳)、バリバリの新訳なら、実は面白く読めたりするかも、と思って、角川文庫の越前敏弥訳を読んでみることにした。

ペーシェンスについての結論は、やっぱり翻訳じゃなかった、というものだった。原文で読んでるネヴィンズ(当たり前だ(^^;))がクサしてた記憶があるので、そうかもなあと思わないわけでもなかったんだが。原文の悪さを翻訳がカバーする場合もあるが、本書に関してはそれもダメだった。この時期のクイーンには、リアリティのある女性の一人称を操るのは荷が重かったんだろうと思う。
もっとも、この時期以降、どうだったかは、作例がないので不明だな。ちなみに一人称小説自体、他にないんじゃないかな。そう考えると、「この時期」という言い方は妥当ではないかもしれない。

とはいえ、今回読み直して、それ以外で興味を感じた所はあった。消去法での犯人指摘に持ち込むための条件作りの、さりげない仕込みは大したもので、よく計算されている。クイーンの小説を、謎の構築のされ方を考えて読むようになってから、「Zの悲劇」を読み返したのは初めてと思うが、クイーンらしい丹念な作りだ。ベストな作品に比べると、やや安直な所はあるにしても、そういう観点からは、これは悪い出来の小説じゃないと思う。
その割にプロットでガチガチという印象がそんなに強くないのは、プロット的にほとんど何の役にも立ってないジェレミーが居るからじゃないかという気がする。ジェレミーが何のために居るのかと言えば、女性探偵ペーシェンスを引き立て役のわけで、それはプロットというより、ストーリーだね。ペーシェンスの存在自体、小説の中のプロットの比重を下げて、ストーリー的な要素の比率を上げるためのものに思える。まあ、改めて考えるまでもなく、一見してそうだけど。
その試みは、あんまり成功したとは言い難いけれども、とにかくクイーンはそっちの方へ路線を変えて、戻ってくることはなかった。本書の登場人物が、むやみに大袈裟な人たちに思えるのは、慣れないストーリー志向な小説の中で、生身っぽい人物を描こうとして、素人の俳優みたいなオーバーアクトにしてしまった、ということなのかもな。

「X」「Y」からのレーンの変貌が、すごく唐突だと、ずっと思っていたが、クイーンのそういう路線変更に、レーンのような芝居がかった人物は、メインキャラとしては馴染まなそうで、レーンの変貌は、本書と「最後の事件」で、花を持たせつつ、丁重にレーンにお引き取り願うためのものだったのかもしれない。

法月の解説は面白かった。レーンが実は悪さしてるんじゃないか、という深読みは、結構当たっているかもしれない。
(2011.12.15)

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