« 感想「史記 武帝紀(二)」 | トップページ | 感想「日本を決定した百年」 »

感想「神の火を制御せよ」

「神の火を制御せよ」 パール・バック 径書房
第二次世界大戦当時の、アメリカの原爆開発を描いた小説。原著は1959年に出版され、翻訳は2007年。
フィクションだけど、実在の科学者の名前が頻出したり、ノンフィクションぽい雰囲気があり、あくまでもフィクションというのを意識しながら読んでいた。原爆を開発することに対する科学者の苦悩がテーマで、原子力は人間に制御しきれる力なのか、という点に最初のポイントがある。これは原発の是非にも通じると思う。これだけ苦悩しながら、当時の科学者は原子力の開発に乗り出した、と言いたい所だけど、これはフィクション、という所はやっぱり押さえておかないと。現実に取材した小説なのは確かだし、こうした苦悩を抱えた科学者が多かったのも事実らしいが。もっとも、本書にはあまり登場しないタイプの、そういうことは何も考えない科学至上主義の科学者も居たようだけど。

で、そこの所で、今、原子力の開発をやってる現場の人間が、どの程度、そういう意識を持っているんだろう、ということを考える。日本の原発絡みで、たわいなさ過ぎる事故や手違いがこれだけ頻発するのを見ていると、自分たちがとんでもないものを扱っているという意識があまりにも薄すぎる人間が、とても多いんじゃないかと思う。
そんな現場が原子力を扱っているのが恐ろしいというのが、俺の反原発の一番根っ子の部分。絶対安全な原発なんてありえないが、技術的にリスクをぎりぎりまで下げることは不可能じゃないとは思う。でも、それを扱う人間がリスクを正しく認識していなかったら、どんなことだって起こり得るんだよな。福島だって、ちゃんと対処出来ていれば、少なくとももっと小規模な被害で済んだかもしれない。
まあ、原発推進論は、逆にそれが拠り所で、ちゃんとやってれば事故は起きないと言ってるわけだけど、福島以降に新たに起きたりしたいろんな不手際を見ていても、そんなことを考えるのは甘過ぎる。あれだけの事故が起きた後でも、いろんなことがなおざりにされたり、隠蔽されたりしてるというのに。

それはそれとして、もう一つのポイントは原子力を兵器として使う(要するに原爆開発)という点にあり、時期的に考えても、本当は著者の意図はこっちの方にあったはず。そっちについても思うことは色々あるけど、まとまりがなくなってしまうので、ここで書くのはやめておく。

パール・バックは「大地」の印象が強くて(読んでないが(^^;)。だから内容もほとんど知らない)、漠然と第二次世界大戦前の作家というイメージだったんだけど(1892年生まれとのことなので、その認識自体には間違いはないと思うが)、1970年代まで活動していたようで(没年は1973年)、戦後の活動の方が長いくらいの作家だったんだなあ。
(2013.6.30)

|

« 感想「史記 武帝紀(二)」 | トップページ | 感想「日本を決定した百年」 »

「小説」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/3787/58035485

この記事へのトラックバック一覧です: 感想「神の火を制御せよ」:

« 感想「史記 武帝紀(二)」 | トップページ | 感想「日本を決定した百年」 »