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感想「明治国家を作った人びと」

「明治国家を作った人びと」 瀧井一博 講談社現代新書
明治国家の中枢に居た人間たちが、当時の欧米の文明に触れて、それをどう受け止めて、明治政府を作る上で、どう反映していったか、というあたりを書いた本。
この本に書かれていることが全てじゃないし、著者のフィルターも入っているし(こちらの受け取り方も当然偏っているはず)、書かれていることを鵜呑みにはできないにしても、興味深い点がいろいろあった。

英仏やアメリカの民主的な政体を見て、市民が参加して議論が行われるから健全な政府が成り立っていると考えた者と、これは政治が混乱している状態と考えて(当時の)ドイツ流の権力主導型の政治を理想と見た者がいる。同じものを見ても、受け取り方は全然違うわけで、結局、人は見たいものを見るということなんだよな、というのを思った。それは現代も同じ。ただ、明治の初めという時代は、特定の一握りの人間が日本という国の方向を決めてしまえる状態だったから、たまたまそういう立場に居た人間の物の見方ひとつで、その先の国のあり方が決まってしまったことになる。
当時はそういう決め方しかなかったと思えるから、仕方ないといえば仕方ないけれど、そこで後年の泥沼への伏線が敷かれたのか?、と考えると、怖いなとは思う。

そもそも、そういうふうに、一部の人間の狭い判断で重要なことが決まってしまわないシステムとして、民主主義があるんだと思う。もっともそれが導入されたとしても、うまく機能する保証はないけれど。民主主義が制度として存在しているのに、安倍晋三のやりたい放題みたいになってる今の日本とか、うまくいってない例はいくらもある。制度があればいいということじゃなく、機能させるためには、国民の方が意識して、権力者をチェック出来る構造を守り続けていないとダメなんだ。

もう一つ印象的だったのは、今の感覚からしたら、どうかと思う大日本帝国憲法が、当時の国際社会の中では一定の評価を得ていたし、憲法に則ることによって、明治天皇も権力者というよりは、国の象徴のような役割を果たしていて、強権を振りかざすようなことはなかった、というくだり。大日本帝国憲法についてはともかく、明治天皇については、そうだったんだ?、という感じだった。今まで持っていた印象とは、かなり違っていた。
伊藤博文についても、元々、大して知ってたわけでもないとはいえ、だいぶ認識を改めた。

戦前にも不完全な形ながらも憲法に基づいた民主主義的な政治は盛んに行われていた、とか、でもそれは、政党同士の足の引っ張り合いやポピュリズム、それに乗じた軍隊の干渉を受けて、結局軍国主義を招いてしまった、というような話を、近年見掛けることが多いんだけど、そういうのもひっくるめて、確かに自分が、明治の半ばから大正までのことを知らなすぎる、とは思う。
学校の歴史の授業では、その辺の時代は時間が足りなくて、はしょられていたことが大きいんだけど、それはやっぱりまずかったんじゃないかと、今になって思うわけで。
そこが見えてないと、昭和初期の日本が、なんであんなめちゃくちゃなことになってしまったのかという経緯が、ちゃんと理解出来ないし、安倍晋三とその取り巻きが、あのめちゃくちゃな時代を再現しようとしてることに対抗する、しっかりした足場を持つためにも、知識が必要だという気がする。

それにしても、明治時代の政府でも、これだけ真剣に憲法や立憲主義について考えられていたのかと思うと、安倍晋三やその取り巻きの、憲法を扱う手つきの軽々しさには、本当にあきれる。
(2014.4.3)

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