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J2リーグ第1節名古屋対岡山

2017.2.26(日) 14時 パロマ瑞穂スタジアム
観客 18918人 主審 廣瀬格 副審 山内宏志、清水崇之

 名古屋グランパス 2(1−0)0 ファジアーノ岡山
           (1-0)

 得点 41分 名古屋・永井
    84分 名古屋・永井

グランパスのJ2初戦。現地観戦。

監督も選手も、去年からごっそり入れ替わった名古屋がどういうサッカーをやるのか、という興味の試合。
先発のうち、昨年のままなのは楢崎だけという、完全に入れ替わった布陣(杉森は出てたがDF起用。昨年まではFWだし、たまにしか出てなかったし)。
なにぶん、岡山も初見なチームなもので、力関係を測りがたかった。

始まってみると、前半の前半は、双方用心深い手探りに終始していた感じ。岡山も名古屋が何をやってくるか情報がなかったはずで、やむを得ない展開だったかな。
そういう中でも、名古屋がこまめにパスを繋いで、選手のポジショニングが流動的で、よく動くサッカーをしようとしているのは感じ取れたし、去年までとは全然違うチームスタイルというのはよく分かった。
それにしても、まだチームが未完成なのも明らかで、パス回しが精一杯、相手をうまく崩せそうなとっかかりが見当たらないように見えた。玉田と佐藤寿人は気の利いたプレーを随所で見せていたが、周りと今一つ噛み合わなかった。
けれども、前半の終盤、CBの櫛引が右サイドを持ち上がって、ゴール前に入れた鋭いクロスを、永井がボレーで叩き込んだ。素晴らしい先制ゴールだった。

前半、精力的に動き回っていた玉田は(お疲れで?)、ハーフタイムにシモビッチに交代。
後半は寿人が、決定的なシュートチャンスを何度か迎えたが、決めきれなかった。
そうすると、じわっと岡山に流れが行き始め、30分過ぎにはポスト直撃のシュートを食らい、あぶないあぶない。動きの落ちた寿人を35分過ぎに押谷に代えて布陣を組み直した。
そして40分過ぎ、和泉が左サイドを突いてゴール前へ入れたクロスを、再び永井が蹴り込んで追加点。そのまま2対0で勝利。まずは1勝。

チームに課題が山ほどあるのは分かったし、岡山がリーグ内でどの辺の位置に居るチームなのかも分からないが、とにかく勝ったのは大きい。そこは去年までとは比べ物にならんくらい切実だから。
今年の名古屋が去年より強いチームかどうかは分からないが、見ていてストレスが少ないことは確か。選手がちゃんと試合をしていることが見て取れたので。
ただ、去年の開幕戦で磐田に勝った時も、そんなことを思ってた気がするので、1試合見ただけじゃ、何とも言えんよな、とは思う…。

岡山については、何が売りなのか、今一つよくわからなかった。これがJ2だ!みたいな、強い印象がなくて、普通に試合を運んでいた感じ。おかげで名古屋があたふたしないで済んだ面はあったのかもしれない。

ちなみに、J2にもかかわらず、観客は大入りで、去年の最終戦より多かった。まあ、例によって、裏があったらしいが。この観客数が今後も維持できるようなら、J2に降格した意味もあったと言えなくもないかも、だけどねえ。
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感想「「日本人の神」入門」

「「日本人の神」入門」 島田裕巳 講談社現代新書
昨年刊行された本。「神道の歴史を読み解く」というのがサブタイトル。日本の「神道」が、どういう風に生まれて続いてきたか、という経緯を解説した本。

わかってるようでわかってない、天照大神とか、八幡神とか、大国主神とか、どういう存在なのかというあたりが、丁寧に説明されていて、なるほどと思ったし、ためになった。もっとも、大国主神に関しては、文献が存在する以前の時点で、既にいろんなものが混交していて、実際にもよくわからない存在、ということらしく、わからなくって当たり前、というところみたい。ただ、いずれにしても、神道というのは、元々非常に政治的なものだな、という印象。

それをさらに明治政府が、国を統治するのに都合のいい道具として、国家神道に改変した。その流れを汲んでいる神道なんて、全然、日本の古来のものじゃないし、伝統でもなんでもないと思う。拝礼の仕方だって、明治以降に制定されたものと聞くと、ありがたみなんて全く感じない。もっとも、神社へ行って拝むということは、元々、基本的にしてないが。まあ、今ある全ての神社が、そういう存在というわけでもないはずだけれど。
流入してくる西洋の思想に対抗するためのバックボーンとして、こうした思想的なものが必要とされた時期があったのは分からないでもないけれど、ある時期以降は、明らかに暴走したし、それは今も続いているように思える。
自然発生的な神への信仰を否定しようとは思わないが(それこそが、日本の伝統的な宗教意識だろうと思うし)、国家神道の延長にある神道に関しては、なんでこんなものをありがたがれるんだろう、としか思わない。

もっとも、本書は明治より前の神についての考察が主体で、こういう話は最後の部分だけなんだけど、読んでいると、どうしてもこの辺りに強く反応してしまう。
(2017.2.9)

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感想「エラリー・クイーン 推理の芸術」

「エラリー・クイーン 推理の芸術」 フランシス・M・ネヴィンズ 国書刊行会
エラリー・クイーンの業績の全貌をまとめたもの。昨年末に刊行された分厚いハードカバー。
30年以上前に出た同じ著者による「エラリー・クイーンの世界」を大幅に増補改訂した内容で、これ以上の本はもう作れないだろうと思う。データ的な部分は、新たに資料が発掘されれば補強する余地があるだろうが、著者が2人のクイーンや関係者から直接得ている情報の量が非常に多い点については、話を聞いた相手が既に亡くなっていて、これ以上の情報を、もはや得られない場合が多い。それだけでもこの著者を凌ぐのは無理だし、ネヴィンズ自身も結構な高齢になりつつある。

個人的には、「エラリー・クイーンの世界」の時は書くのを控えられていたり、それ以降に資料が出て来て明らかになった事情が、いろいろと記述されているのが、最大の読みどころだった。ラジオドラマなどへのアントニー・バウチャーの大きな貢献や、ペーパーバックオリジナルや「盤面の敵」以降の正典のゴーストライトの話など、非常に興味深い。ある意味、エラリー・クイーンというのは、2人の従兄弟が合作していたペンネームというだけでなく、もっと多くの人間が関わって作り上げていた「ブランド」だったのかな、という気もしてきた。

そう考えると、今度は、ダネイとリーの2人は、どうして、そこまでしなくちゃいけなかったんだろう、という気がしてきた。小説だけでなく、それにかかわる、ありとあらゆるものに、積極的に手を出していった、という感が強い。お金が必要だった、という理由付けは、何箇所かに記述されているし、実際、そうだったんだろうとは思うんだが、一方で、本書に書かれている内容を読む限りでは、そんなに生活が追い詰められていた雰囲気もないように思える。それだけでは説明しきれないように感じられ、お金以外にも彼らを突き動かす要因があったんじゃないのかな、という気がする。

それから、晩年の小説は、むしろ正典以外の活動があったからこそあり得た作品群だったのかな、とも思えてきた。だとすると、クイーンを論じるためには、正典だけ見ていたのではダメで、全ての活動を視野に置かないといけないんじゃないんだろうか。クイーンを論じることの難しさの一端は、もしかしたら、実はその辺に原因があるのかもしれないと思った。

それにしても、後期のリーが、古典的な本格ミステリをここまで嫌っていたというのは、驚きに近いものがある。人の好みなんて、年が経てば変わるもの、というのは、自分自身を振り返ってもよくわかるんだが、これほどの状態で、よく合作を維持できていたなあ、と思う。その辺も、経済的な事情ということで、全て説明しきれるものなんだろうか。
(2017.2.8)

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感想「岳飛伝」3

「岳飛伝」3 北方謙三 集英社文庫
梁山泊と金が戦って、激戦の後、講和へ向かうというのが主筋。金に対するわだかまりも解けたとなると、しばらくは梁山泊はあんまり積極的に戦をする理由がなくなりそうに思える。元々、今回の「岳飛伝」での梁山泊は、経済活動に力点があって、基本的に戦闘意欲が薄い感じがする。
だから「岳飛伝」なのかな。岳飛は今もやる気満々だし、当面も、岳飛と金の対決で話が回りそうだし。華々しい話は、岳飛を中心に置いて、回していくのかな。

なお、梁山泊がインドシナ半島(タイの方まで行っている)で開拓事業を始めようとしてるが、それっていいのかな、という気がちょっとした。
(2017.1.31)

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感想「死の鳥」

「死の鳥」 ハーラン・エリスン ハヤカワ文庫
昨年刊行された、日本オリジナル編集の、SFを主体とした短篇集。
この作家の邦訳本はこれが2冊目なんだそうで(もう1冊は有名な?「世界の中心で愛を叫んだけもの」)、作家の知名度と出版点数の落差がこれほど落差のある作家も珍しいのでは。もっとも、作品自体は雑誌やアンソロジーにはよく収録されているし、本書収録作のうち、少なくとも半分は読んだことがあった。

暴力的でグロテスクな内容の作品群。もちろん知ってて読んだんだが、そんなに好きな作風とは言えないな、と再確認したというか。それならなんで読んだのか、というと、まあ、怖いもの見たさ的な感覚なのかな。あと、作品の持つ鋭さみたいな所に、格好良さというか、魅力を感じていないわけでもない。ただ、やっぱりちょっと合わないかもしれないと、今回、思った。
それにしても、こういう作品が一部のマニアックなファンだけでなく、広く受け入れられた(SFやミステリのメジャーな賞をたくさん取っている)点が、よくわからなかったが、改めて読んでみて、60-70年代というのは、こういう殊更にタブーに挑戦するような、実験的な作品が求められた時代だったのかな、とは思った。
それと、今回の作品群を見ると、SFというよりは、ファンタジーの作家、という感じ。そこも、自分がSFに求めてる方向性とは、あんまり合っていないかもしれない。

本書の中では、MWA賞を取った「鞭打たれた犬たちのうめき」「ソフト・モンキー」あたりが、自分の読書傾向からしても取っつきは良かった(もっとも、前者については、ミステリ?と思うが。これは既読だった作品で、初読の時からそう思っていた)。他も「プリティ・マギー・マネーアイズ」とか、あんまりファンタジー色が強くない作品の方が好きだなと思えた。
(2017.1.28)

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感想「THIS IS JAPAN」

「THIS IS JAPAN」 ブレイディみかこ 太田出版
著者は若い頃にイギリスに渡り、そのまま在住している人で、イギリスの社会や、イギリスから見える日本の状況について、主にイギリスの労働者階級の視点で、ブログや著者で発信している。その人が日本の社会運動などの周辺を生で取材して書いた本。昨年8月の刊行。

取材といってもジャーナリストではないので、報道ではなく、あくまでも日本探訪記みたいな感じ。いろんな現場を訪れて、直に見た上で考えたことを書いている。賃金不払いのキャバクラへ交渉に行くユニオンとか、安倍政権反対のデモとか、近頃何かと話題の多い保育所とか、ホームレス救援の組織とか。
報道ではないけれど、描かれている内容は、確かにそうだろうなと思いあたるようなもの。「これが日本だ」と言われて、うん、そうだね、と思う。正直、暗くなるような気分の話ばっかりだが、今の日本が本当にそうなんだから、しょうがない。
なんでそうなのか、という点についての、著者のとりあえずの結論は、「一億総中流」意識の呪縛というやつなんだと思う。ちなみに、帯には「日本人は「中流の呪い」がかかっているのか?」という文言が書かれている。
確かにそう考えると、いろいろ腑に落ちるというか。自分が底辺じゃないと思いたいから、実質的には全然そういう状態なのに社会に助けを求めない、「中流」以上に見える人間にへつらって、社会に助けを求める「中流」未満に見える人間を見下す。その分、自分が脱落したと認めざるを得なくなると、ダメージが大きいから、すぐに精神を病んでしまう。そうはありたくないと、日頃から思ってるが、自分自身にも思い当たる部分は確実にあるし。

ただ、日本はそういう状態のはずなのに、いろんな社会運動が、欧米みたいに盛り上らない。結局、とりあえず食えてはいる人間が多いからなんだろうなと、前から思ってて、そういう話は本書の中にも出てくる。それはもちろん悪いことじゃないだろうけど、人間の尊厳とか人権意識とかを考えない低いレベルで食えてるのであれば(生かさぬように殺さぬように、みたいな)、積極的に肯定出来ることでもないと思う。そういう形で、本来主張されなきゃいけない権利がないがしろにされてる日本の現実というのが、本書で著者が見てきたことだと思う。

イギリスでは階級意識がはっきりしている分、下層階級の権利意識が明確で、社会に対する要求も強い、ということを著者は書いていて、やはりそれがあるべき姿じゃないかな。ただ、前提の強固な階級意識ってのは、全然あるべき姿ではないと思うけれど。(その辺は「デヴィッド・ボウイ・イズ」を見た時に考えたことのひとつに近い)
そういう意味では、別にイギリスも、全面的に憧れる対象ではないとは思う。どんな国にもいい所と悪い所があって、それはある程度は裏表のような気がする。ただ、今の日本はいい所の方だけを、どんどん捨て去ろうとしているように思えるが。

ちなみに、著者は自分とだいたい同世代で、考え方が理解しやすかったのは、そのせいもあるのかなと思った。
「この世界の片隅に」の受け取られ方を見ていて、世代による物の感じかたの違いというのを痛感している所なので、そういうことをつい考えてしまう。
著者がそんなことをちょっと書いてるくだりもあるが、まあ、うちらは幸運な世代だったんだと思うよ。ただし、この先もそうかどうかについては、自分はかなり悲観的だが。

それと、「世代」ということで言うと、実際の所、今の若い世代になると、「総中流」って何?というくらいでもおかしくない、経済情勢の中で育ってきているはず。だから、そういう世代については、こういう分析は当てはまらないのかもしれないし、そういう人たちには、この本で書かれていることも、あまりうまく伝わらないんじゃないだろうかと思ったりした。もちろん、子供は親の世代の影響を受けないわけにはいかないだろうし、家の中の雰囲気(家風みたいなもの)は簡単には変わらないし、そんな単純なものではないかもしれないが。
ただ、そういう層が主流になった時点で、世の中は大きく変わるのかもしれない。どういう形に変わるのかは分からないが。
(2017.1.21)

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