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感想「読んでいない本について堂々と語る方法」

「読んでいない本について堂々と語る方法」 ピエール・バイヤール ちくま学芸文庫
これは使えるかも(^^;、と思って、読んでみた。

実際は、ハウツーものの体裁を取った、一種のシャレだったけど、本を読むというのはどういうことかという考察が中心にある内容で、ユーモラスではあるが、そんなに軽い中身ではない。
本を読んでるといっても、いろんなレベルがあるし、隅々まで全て読んで頭に入っている、なんて状態は、まずありえない。所詮、中途半端にしか残っていない状態なのであれば、そういう状態と、実際には自分では読んでいないけれど、周囲から入ってきた情報をもとにして、本の内容を自分で再構築している状態と、どれだけの違いがあるんだろう、というあたりが基本的な所。
言わんとしていることは、本当に重要なのは、本を読むことそのものではなく、読んだ体験をベースとして、自分で考えること、創造すること、アウトプットすることなんだ、ということではないかと思う。そう考えれば、確かに、インプットは必ずしも、自分自身が本を読んだ体験でなくても、聞きかじりでもいいはず。
かなり納得できる部分のある論説だと思った。もちろん、全ての読書に適用できることでもないとは思うし、それは分かった上での、シャレだと思うけれどね。
(その本の内容について、丁寧で研究しようとしている場合には、当てはまらないだろう。もっとも、そんな読書は、滅多にないだろうな、という気もする)

それはそうと、ここに取り上げられている何冊かの本が読みたくなってきた。オスカー・ワイルドとか、ポール・ヴァレリーとか。「第三の男」(読んでない)やピエール・シニアックも。
(2017.5.16)

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