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山形、出羽国分寺

夜行バスで新宿から山形へ。山形駅前に早朝に着いたら寒い。こっちの感覚で行ったら寒いかも、とは思っていたが、土曜のこっちが暑すぎるくらいだったもので、そこから一段階下げたくらいでは足りなかった。耐えられない寒さ、というほどではなかったが。
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山形は、何度も行ってる割に、「山形市」自体は立ち寄るくらいで、あまり市内のことを知らない。駅前通りを流したことがあったくらい。今回はなにしろ朝一で着いて、試合は14時だったから、時間はあった。今まで行ったことのない市内をうろついてみた。

とりあえず、市の中心部に初めて足を踏み入れた。市内で一番の繁華街らしい七日町界隈を通り抜け、出羽国分寺へ向かった。国分寺は、駅からまっすぐ行けば、多分徒歩30分くらいで、市街地の中にあった。
出羽国分寺が元々あったのはここではなく、はっきりわかっていないある時期以降、移転してきたということらしい。国分寺が作られていた時代は、まだ朝廷が東北を、完全には制圧していなかったわけだから、そういうこともあるだろうな。移転前の場所は鶴岡だったらしいが、それも完全には確定していないらしい。
(参考 → 護国山 柏山寺(出羽国分寺・その3)
現地の表示は、「国分寺」というより、「国分寺薬師堂」がメイン。今も現役の寺が存在していて(護国山 柏山寺)、どうやらお祭りがあるらしく、境内ではその準備が行われていた。古風なお化け屋敷や迷路の設営も始まっていた。寺に隣接して公園があり、球技場も見えた。
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生きている国分寺には、あまり興味が持てないので(^^;、ざっと一回りしたくらいで撤収した。

文翔館の前を通過して霞城公園へ。ちなみに文翔館は明治時代の建物で、旧県庁・旧県会議事堂だそう。後で詳細を知って、立ち寄っても良かったかなと思ったが、ちょっと時間が足りなかったかもしれない。
霞城公園は山形城址。城は明治の初めに取り壊されたそうで、比較的近年に整備された門や塀はあるが、天守閣などはない。
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公園内にあった山形市郷土館(旧済生館本館)。ここは入ってみた。これも明治時代の建物。
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霞城公園の隣には、最上義光歴史館という立派な建物もあった。最上義光というのは、関ヶ原の合戦の時に、米沢から攻めて来た直江の軍勢を撃退して、山形を守った武将なんだそうで、公園のあたりに、やたらと銅像が建っていた。
山形市郷土館には、明治維新後に任命された最初の県令・三島通庸は偉かったという記事が並べられた部屋があったし、試合後に山形市内に戻った時には、水野元宣という、山形藩の最後の筆頭家老(実質的に藩政を取り仕切っていたとのこと)だった人物を称える神社(豊烈神社)を見つけた。この人は、戊辰戦争の時に、朝廷軍に侵攻されそうになった時、自分が全責任をかぶって刑死して、山形藩を救ったそうだ。
こういうものだけを見ていると、個人崇拝の傾向が強い土地柄なのかなと思ってしまうが、郷土の英雄に手厚いのは、どこの土地でも同じかもしれない。
ちなみに、水野元宣がそういう状況に追い込まれたのは、隣接する大藩の米沢に振り回されたといういきさつがあったそうで、最上義光の件といい、山形と米沢は仲が悪いと聞いてるが、そりゃそうだろうな、と思った。

霞城公園を抜けて、駅へ戻って、天童へ。

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