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「太陽の塔」

太陽の塔とは何だったのか、というテーマについて、いろんな人たちへインタビューした内容を繋げた映画。「ゼイリブ」を見に行こうとしたら、同じ映画館でやっていたので、ついでに見る気になったが、今年2月に太陽の塔の現物を見て、感銘を受けていたというのもあった。

もうちょっとベタベタなドキュメンタリーかと思ったが、オープニングなどに、ハッタリの効いたCG映像などを挿入して、変化を付けていた。その分だけ、飽きずに見れたかな。
太陽の塔の実際の製作過程は、記録や証言が残っていて、まとめられた出版物などもあるし、その辺はごく簡単に流したという印象。その辺は、映画を見てから公式サイトを見たら、やはりそういう意図があった、というようなことが書いてあった。
メインは太陽の塔の意味合いについての考察。制作者の岡本太郎が既に亡くなっているから、インタビューされた人たちが、彼がこういうことを考えてたんじゃないかと、ああだこうだと推測を語るけれど、まあ、所詮推測だな、とは思った。
とはいえ、その背景にある太陽の塔が作られた時代の雰囲気は、当時は自分は子供だったけれども、今もなにがしか覚えているし、その中でああいうものが作られたことに対する分析は、いろいろと興味深かった。
「人類の進歩と調和」なんて、全然信じていなかった岡本太郎が、アンチテーゼ的に構想した作品が、そのまま作られて、結果的に大阪万博の中心的なモニュメントになったというのは、結構凄いことだと思う。わけが分からないうちに、岡本太郎に作られちゃったという面もあるんだろうけど、結局は受け入れた側の度量の広さみたいなものも、感じないわけにはいかないなと。そのあとのChim↑Pomのインタビューで、公的な協力を受ける場では、NGワード的なものがどんどん増えていて、アート制作の幅がどんどん狭まっているという話が出ていて、対極的だなと思った。
映画の後半は、少し間口を広げすぎて、散漫になっていたような気がする。チベット仏教や南方熊楠への言及などは、岡本太郎との繋がりが見えなくはないけれど、唐突な感じは否めなかった。縄文と弥生の対立など、少し話を単純化しすぎてやいないか、と思う部分もいくらかあったし。
映画の製作者が、自分たちの主張を岡本太郎に託して描いているだけなのでは、というふうに感じる部分もあった。製作者のスタンスや問題意識自体(たとえば原発への疑念だったり、「自発的隷従」という概念)は、かなり共感できるものだったのだけれど、それを岡本太郎と繋げて語るのであれば、岡本太郎の側にそういうふうに語られる必然性があるという点を、もっと掘り下げて欲しかったなと思う。

興味深くはあったけれど、今一つ、物足りなさが残った感じ。
(2018.10.7)

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