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感想「パラドックス・メン」

「パラドックス・メン」 チャールズ・L・ハーネス 竹書房文庫
昨年邦訳された、1955年原著刊行の長篇SF。「ワイドスクリーン・バロック」の始まりとなった作品とのこと。格差社会が奴隷制まで行きついた22世紀のアメリカでの、支配階級と反対勢力を背景に、超人的な力を持つ、過去の記憶を失った主人公の戦いを描く。
スケールが大きい話の中に、SF的なアイディアを片端からぶち込んで、描写もきらびやかで華々しく、なるほど「ワイドスクリーン・バロック」だなと思う(よくわかってないが)。
先行して読んだ同じ作家の「ウルフヘッド」が、これよりも刊行時期がだいぶ新しい割に、内容は古めかしく感じられたので、どうかなと思ったのだけれど、むしろこちらの方が新しい感じのある作品だった。「ネット」に関わる描写とか、刊行時期の割に新しすぎるように見える部分もあって、不思議にも思ったが、解説を読むと、1980年代にかなり大幅な改訂が行われていて、そちらの方が本書の底本だそうなので、その辺が理由なんだろうと納得はした。
個人的には、アイディアが炸裂している所に、これこそSFという印象は持つものの、話そのものは、アイディアの華々しさに負けて、どこを目指しているのか、何を書きたいのかが、よくわからなくなっているように思える。ちゃんとプロットはあって、伏線回収もしっかり行われているのだけど、そう思ってしまうのは、まさにそのSF的なアイディアが具体化している、話の構造のせいもありそう(具体的に書くとネタバレになる…)。
小説らしさみたいなものはあまり意識せず、アイディアの面白さに着目した方が、本書は楽しめそうな気がするが、自分の趣味には、ちょっと合わなかった感じ。バリントン・ベイリーあたりが、かなり似た作風に思えるし、そちらは結構好きな作家なのだけど、本書がもうひとつだったのは、ベイリーほど、バカバカしさに徹しきった感じがなかったからかな、と思った。
(2020.3.26)

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感想「鉄の門」

「鉄の門」 マーガレット・ミラー 創元推理文庫

そういうわけで、こちらが先日出たばかりの改訳版。これで、ハヤカワ文庫から出ていたミラーの長篇4冊は、全て創元が出し直したことになる。

こちらも多分、20数年ぶりの再読。「鉄の門」は邦訳されたミラーの長篇の中では、最も早い時期のもので(1945年刊。ちなみに「まるで天使のような」は1962年)、個人的には、古さが感じられる分、比較的愛着のない作品だった。
今回の再読でも、第一部序盤での、いかにも作り物くさい登場人物の描写を読んでいて、やはり昔の小説だな、という印象は拭えなかった。主要な登場人物で、人間味が感じられるのは、探偵役のサンズ警部くらい。しかし話が本格的に動き始めると、それはあまり気にならなくなる。プロットが話の主体になって、劇的な展開が多く、進行も速いので、必要以上に人物を描き込んでいない(描き込む余裕もない)からだろう。また、第二部でかなりの部分を占める精神病院の場面では、入院患者たちが異様な言動をするけれど、それは病気の人たちだから、ということで納得してしまうし。
プロットが動き始めてからの達者なストーリー展開は、著者の巧さを感じるが、いかにもミステリ的な話の作りは、改めて考えると、「まるで天使のような」の頃とは別物のよう。
先日書いたように、「まるで天使のような」は、今読むと、自分にはミステリの要素よりも、登場人物の人生を描こうとした小説のように思える。それに比べて、「鉄の門」はかなり純粋なミステリじゃないかな。不安感や苦悩を抱えた登場人物たちという点で共通点はあるのだけれど、「まるで天使のような」のそれの大半が、登場人物の内面から滲み出してきたような根源的なものであるのに対して、「鉄の門」では、何かの犯罪を犯してしまった、誰かを信じることが出来ない、というような、かなり具体的な原因に由来するものにとどまっているように感じる。
ただし、これは個人の感想だし、これをミラーの作風の変遷とまで言っていいのかどうか、というのも、前後の作品をもう少し読み直してみないと、判断がつかない、とは思っている。「まるで天使のような」がイレギュラーな作品ではないという印象は持っているけれど、この前後の「見知らぬ者たちの墓」とか「心憑かれて」あたりは押さえないといけないと思う。ミラーの長篇の翻訳のされ方は、時期的にばらつきがあって、順序も発表順ではなかったので、正直言って、作風の変遷をしっかりと把握出来ていない気がする。こうしたことを考えるのであれば、一通り読み直してみるべき、と思うが、そこまでやれるかどうか。

なお、あくまでもミステリ的な話だが、サンズはミルドレッドの日記を見つけたことで、ミルドレッドの死の真相を確信するのだけれど、具体的になぜそれで確信するのに至ったのか、というあたりが書かれていないように思う。この日記は決定的証拠とは言えないし、そうした疑念を深めるというレベル以上の意味は持たないと思うのだけれど。パズラーではなく、心理的なミステリだから、この程度でいいのかもしれないが、ちょっと弱いなと思った。
(2020.3.16)

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感想「まるで天使のような」

「まるで天使のような」 マーガレット・ミラー 創元推理文庫
2年前に刊行されていた改訳版。確か、刊行された直後に見かけた覚えはあるが、後で買おうと思って、そのまま忘れてしまっていた。今回、創元から「鉄の門」の改訳版が刊行されたのを見かけて、買おうとして、こちらも持っていないことに気が付いた。
まあ、早川から出ていた初訳版を持っているから、どうしても入手しないといけないという意識がなかった、ということだけれど、その前に出た「狙った獣」「殺す風」の改訳版も持っているので、これだけを買わない理由はない。そもそも、ミラーの長篇の中では、一番好きなのがこれかな?、というくらいなので。
そういうわけで、「鉄の門」とまとめて入手して、とりあえずこちらから読み始めた。

最後に読んだのが、多分20年くらいは前なので、内容をかなり忘れていた。それで一番好き、とか言っているのも、ちょっと問題ありと思う。だから、今回、読み返せて良かった。

今回読んでいる時に、多分、過去に読んだ時には、あまり考えなかったことを、考えていることに気付いた。これは生きづらさについて書いた小説なんじゃないんだろうか、と思った。
生きづらさという概念を、ミラーが持っていたかどうかは分からないけれど、この小説は、出てくる人間の誰もかれもが、強い不安を持っているように見える。
その筆頭が、主人公の私立探偵のクインで、彼の過去について、詳しいことは一切描かれないから、なぜそうなったのかはわからないけれど、ギャンブル依存症で、自暴自棄的に生きている人間。そんな彼が、たまたま迷い込んだ新興宗教の村で「祝福の修道女」と出会い、彼女から人探しを頼まれたことをきっかけに、生きる希望を取り戻そうとする話、というふうに、今回は読めた。
「祝福の修道女」自体が、生きづらさを抱えて新興宗教に流れ着いたものの、迷いを抱えたままの女性だし、クインが調査する過程で出会う人物も、みんな、容易に解決することが出来ないしんどい思いを抱え込んでいる。クインはそういう人々と触れて、彼らのしんどさを目の当たりにして、理解することで、戸惑いながらも徐々に人間性を取り戻していく、というような感じの小説。その過程に、とても共感を覚えた。終盤で彼が「祝福の修道女」を思い起こす場面は、本当に心に迫って来る。
そういう風に読めるのは、登場人物たちが抱える不安感がリアルに描かれているからじゃないかと思う。本書は筋立てにしても、登場人物の設定にしても、必ずしもリアリズムではないのだけれど、彼らの持つ不安感はとてもうまく描かれていて、それは著者自身がそういう生きづらさを抱えていたからじゃないか、と思える。
改めて考えると、それはミラーの小説にずっと流れていたテーマかもしれないが、昔読んだ作品の内容を、そんなによく覚えているわけでもないので、何とも言えない(なにせ、大半の小説は、それこそ20年前に読んだきりなので)。ただ、ミラーの小説には「落伍者へのやさしい眼差しがある」的なことを、ずっと思っていたのは確かで、今回の感想は、多分、そこへつながっている。以前の自分には、「生きづらさ」という語彙がなかったので、ちょっと違和感を持ちながらも、誰かの評に書かれていた言葉をリピートするような感じで、そういう風に表現していたのだけど、そういう上から目線的なことではなく、むしろ、生きるのがしんどい人物たちを描きながら、同志的な共感を寄せていた、という言い方の方が正確なんじゃないだろうか。

もちろん本書はミステリなので、解説で我孫子武丸が力説しているような、ミステリ的な大仕掛けも確かにあるのだけど、自分がこの小説が好きな理由がそこにはないことを、改めて理解したように思った。

ついでにいうと、今回、本書を読んでいて、自分がミステリを愛好してきた理由の、かなり大きい一部も、「生きづらさ」という言葉で説明できるのではという気がしてきた。というか、そういうことを描いたミステリを、好んで読んで来たというべきなのかもしれない。まあ、そこまでいくと、まだあまり丁寧には考えてない、思いつきのレベルの話になるのだけど。
(2020.3.14)




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ヤクルト戸田球場(3/28)

土手下の桜の様子見がてら、散歩してきた。東京都や埼玉県の週末の外出自粛のお願い以前に、阪神の選手の新型コロナウイルス陽性を受けて、予定されていたヤクルト対日本ハムの「練習試合」どころか、練習自体も中止ということで、まるでひと気がなかった。
ちなみに念のためだけど、自分はチャリでふらっと行って帰ってくるだけなので、ヤクルト戸田球場に関しては、行き帰り、他の人間とは全く接触がないので。
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土手下の桜については、先週見に来た時、今週末あたりが満開かと思ったが、だいたいその通りになったかな。ただ、この一週間、天気や気温が不安定だった影響もあってか、それほどきれいに咲き揃ってはいなかった。満開の木もあれば、まだまだに見える木もある、という感じ。他の所を見ても、今年の桜はそんな感じのように思える。
20200328todaそれにしても、この先、プロ野球はどうなることやら。

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ヤクルト戸田球場(3/22)

ほぼ毎年、桜が咲く時期に、ヤクルト戸田球場へ行って、試合を見るかたわら、土手下の桜並木を見ているので、今年も試合とは関係なしに、様子を見に行った。今年は新型コロナウイルスの影響で、イースタンリーグも開幕延期となっている。練習試合として試合をやってはいるし、ヤクルト戸田でなら、土手の上から球場内が見えるのだけど(そもそも、自分はいつも土手上から観戦している)、無観客試合の建前は尊重して、試合を見るつもりはなかった。

今日は西武対ヤクルトをやっていた。西武は西武第二を改修中で、今期はシーズン半ばまで、ホームゲームも相手球場で開催する。今日の戸田も西武ホームの扱いで、先攻・後攻、フラッグの並びや選手のユニホームも、全部西武がホームになっていた。
ちなみに土手上は、通常の休日のイースタンリーグ開催時と変わりないくらいの観客。スタンドは閉鎖されているので、記録上は観客数は0カウントなんだろうけれど、実質的には、通常時の半分くらい(スタンドに居るはずの観客がいないので)は居たはず。
チームに土手上を規制する権限がないんだから、しょうがない。それに、屋外だし、土手の上に、そんなに密集して人が並んでるわけでもないので、ウイルス感染のリスクはそう高くはないと思う。まあ、自分は観戦する気はなかったので、桜の状態を見て、早々に引き上げたけれど。
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ちなみに桜は、咲き始めてはいたけれど、まだパラパラだった。本格的に咲き揃うには、今後の天候にもよるだろうけれど、あと一週間くらいかかるんじゃないんだろうか。今週末あたりが満開かもしれない。
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神宮球場(3/21)

都内へ行く用事があって出かけたついでに、近所だったので、神宮球場に寄ってきた。
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球場内では、新型コロナウィルスの影響で開幕延期になり、公式戦から練習試合に変更になったヤクルト対阪神をやっていたが、無観客試合なので中には入れなかった。もちろん球場周辺も、あまりひとけがなかった。
それでも、選手名のアナウンスなどはいつも通り行われていたので、外にいても、ある程度状況はわかったから、しばらく留まっていた。
廣岡のホームランが出た時は、パトリックの録音音声の「ホームラン!」てのが流れたし、演出のアナウンスも多少は流されていたみたい。

ひとけがなくて静かな球場は、落ち着いた雰囲気で、けっこういいなと思った。これくらい静かな方が、個人的には好きだが、興行である以上、プロ野球はもっと賑やかでないと、経営的にはまずいだろう、とは思う。騒々しい応援に否定的な意見に対しては、応援の騒ぎだけが目当てで来場する観客もいるし(特に子供には、そういう層がけっこう多いんじゃないかなあ)、そういう観客も通い続けるうちに、試合を見る方が主目的になっていくかもしれないし、そこは棲み分けしないと、と考えていた。
という風に以前は思っていたのだけれど、近頃の神宮はチームの主導・容認で、応援一色の騒々しいだけのスタジアムの方に、急激に振れているように感じている。自然に出来ていた棲み分けの形が、なし崩しになっているようにも思う。そうなると、自分としては、応援否定派の方に回るしかないんだよな。
そんなようなことを考えながら、神宮に居ることが多くなっていた昨今なので、今回の開幕延期に関しても、チームに対して、あまり親身になれずにいる。2011年の時は、こんな状況だから、少しでも球場に行ってチームを支援しないと、ぐらいのことも考えていたのだけど、今回はどうも、そういう気分にはなれていない。まあ、いつ開幕するか自体、見えていない状況でもあるけれど。

ちなみに試合はヤクルト6−5阪神で終わったとのこと。自分がたまたま球場外にいた3回裏にヤクルトが6点先行して、その後、阪神に追い上げられたが逃げ切った、という展開だった模様。3回裏はビッグイニングだったから、観客がいたら、さぞかし大騒ぎだっただろうけど、今の気分だと、そういう狂躁状態の球場には、あんまり居たいとは思わないんだよな。

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「新聞記者」

去年公開された映画。公開当時に観に行こうかと思っていたが、タイミングが合わず、行きそびれていた。そもそも、今の政府を批判する内容の映画ということで、宣伝がろくにされず、上映館数も少なかった。しかし、そういう悪条件をはねのけて、かなりのヒットを記録した上に、日本アカデミー賞の主要な賞をいくつも取って、当初の上映時よりも多いという館数での凱旋上映が始まった。そういうわけで観に行った。

とはいうものの、テーマが重くて、だいぶシンドイ映画なんじゃないんだろうか、という懸念を持っていたけれど、意外にも、エンターテインメントとしての完成度の高いサスペンス映画だった。もちろんテーマは明確で、重い内容ではある。今の政府がやってきた、ろくでもないこと(森友・加計事件、詩織さん事件など)をモデルにした事件を描いていくことで、明確な政府批判の映画になっている。とはいえ、のんびり見ていられる映画ではなかったのは、テーマ性によるものというよりは、サスペンス映画としての完成度が高く、緊張感の高い映画だったからじゃないか、という気がする。
もちろん、「社会派」のサスペンス映画だから、テーマ性は完全には切り離せない部分ではあるけれど。切り離すことは、映画の製作サイドも望んではいないだろうし。
ちなみに、ドキュメンタリーではなく、あくまでもフィクション。そういう意味で、逃げ道はあるわけだし、これくらいの権力批判・社会批判の映像作品は、以前はそれほど特別なものではなかったと思うんだが(ちゃんと確認したわけではないので、あくまでも印象だが)、にもかかわらず、公開時に宣伝されなかったとか、俳優の出演交渉が結構大変だったとか(一方の主役の新聞記者を演じたのが韓国の女優さんなのも、その影響だったらしい。もっとも、怪我の功名というか、この起用によって、この映画はむしろ良くなっているように思える)いう話を聞いたのを思い出すと、今、この国は本当にあぶなくなっているのでは、と思えてくる。

主演男優賞を取った、内閣調査室勤務の官僚を演じた松坂桃李が、非常によい演技を見せていて、「シンケンジャー」から随分遠くまで来たなあ、と思って、しみじみした。韓国の女優さん(シム・ウンギョン)も主演女優賞を取っているが、日本語がそれほど達者ではないところを逆手に取った話作りで、日本の中だけで閉じない、作品のスケール感を出していた。これは監督の力だろう。
上げるところは上げていたが、全体として必要以上に劇的になりすぎない演出も、良かったと思う。ちなみに、監督賞は逃したが、作品賞は取っている。過去の受賞作品を見ると、この賞にどれだけ重みがあるんだか、と思わないでもなかったりするけれど、選ばれたこと自体が、この映画にとって、よいことだったのは間違いない。
おかげで自分も、凱旋上映で観に行けたわけだし。
(2020.3.15)

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感想「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」

「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」 ブレイディみかこ 新潮社
イギリス在住の著者が、アイルランド人の夫との間にもうけた、中学1年の息子の周辺に起きる日々の出来事を通して、イギリス社会の差別や格差について考えたことを書いた本。タイトルは、著者の息子であるイエロー(東洋人)とホワイト(白人)の混血の少年が、レイシズムに触れてブルーになった気分を表した文章から拝借したもの、とのこと。2019年の刊行で、Brexitも背景に見えている。 

元々、この人の本は何冊か読んでいるので、イギリスにある様々な問題についての描写はそれほど目新しいものではないし、これらは簡単に解決する問題でもないから、エピソードごとにはっきりした結論や回答が示されるわけでもない。しかし、ひとつの問題に触れるごとに、差別や格差に対抗する立場から、どう対処するのが正しいのかと真剣に考える著者や少年の姿には、こうありたいと思わされる。
ちなみに、イギリスについて書かれた本ではあるものの、おおかたは日本でも同様な問題が起きているし、決して他人事ではない。日本での状況を考える手がかりにもなる。著者が息子と日本に里帰りした時のことが書かれているくだりもあり、これがまた、排外主義を体験する、どうにもやりきれない話も含まれていたりする。

それにしても、この少年はとてもよい子で、格好良すぎるくらい。自分が中学1年の頃は、とてもこんな社会的な感覚は持っていなかった。もちろん、国も時代も違うわけだけれど、背景には、本人や家族の意識の持ち方もあるにせよ、学校でこうした感覚を醸成するプログラムがあることも大きいように思える。素晴らしいことだと思うし、大昔に自分が受けた教育にはなかったはずだが、今の 日本の中学には、そういうプログラムはあるんだろうか。 
(2020.2.21)

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感想「プロ野球入門」

「プロ野球入門」 金田正一 有紀書房
古物屋で手に入れた、子供向けのプロ野球本。「ぼくたちの野球百科」というシリーズの1冊らしい。このシリーズには金田正一著の本が他に3冊あり、村山実、中西太、田淵幸一の本もあったらしい(本書内の広告による)。刊行年の記載が見当たらないが、内容から判断して昭和47年(1972年)頃に出されたものと思われる。 まあ、金田正一著といっても、ゴーストライトだろうとは思うけれど。

内容はかなりしっかりしている。日本のプロ野球の始まりから当時までの歴史の概観、プロ野球の運営のされ方、選手以外の試合運営に携わる人々の紹介、用語解説や選手名鑑など、多くの事柄について、丁寧にわかりやすく説明していて、立派な入門書だと思う。大人になってから、改めてこういうのを読むことって、あまりないので、なかなかためになった。

もちろん1970年代の本なので、チームや選手が今と違っているのは当然だし、それ以外にも、今とは事情が違う部分は多々あるが、それはそれで当時のプロ野球事情を知ることが出来て、興味深かった。阪急・近鉄・南海どころか、まだ西鉄や東映があった時代。パリーグで当時のままなのは、もはやロッテだけなのか。(ちなみにセリーグは、横浜ベイスターズが大洋ホエールズで、ヤクルトの愛称がアトムズなくらいの違いしかない)
改めて考えてみると、時期的には、まさに自分くらいの世代に向けて書かれていた本だった。自分が子供の頃のプロ野球って、こういう世界だったんだ。そう思って読むと、また趣深いものがあった。
(2020.2.14)

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感想「一九七二」

「一九七二」 坪内祐三 文藝春秋
2003年刊行で、「諸君!」での2000年〜2002年の連載の単行本化とのこと。 副題は「「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」」
1972年に日本の社会の大きな転換点があったと仮定して、1972年前後に発生したエポックメイキング的な出来事を拾っていく内容。並行して1958年生まれの著者が、当時の思い出を語っていく。

自分は1972年には10歳にもなっていなかったし、地方在住だったから、東京で生まれ育った、当時ティーンエイジャーの著者とは、だいぶ感覚のずれはあるのだけど、あの頃、そういう出来事があったという歴史の共有感覚は確かにある。 こんなことがあったという子供の漠然とした記憶を、はっきりした出来事として見せてくれるところは、非常に興味深かった。とりわけ、かなりのページを費やして書かれている連合赤軍の事件は、ここまで細かく書かれたものを今まで読んだことがなかったので、いろいろ考えさせられた。 ちなみに、著者は当時の資料に丹念に当たって執筆していて、著者のバイアスはあるにしても、資料に基づいた正確で公正な内容なのだろうという、記述に対する信頼感もあった。

しかし、この本の前提となる、1972年あたりに「歴史意識」の転換があったという仮定については、一方的な思い込みなんじゃないだろうかという気持ちが抜けなかった。 著者も、テーマとして大きく掲げている割には、あくまでも話のとっかかりという感じで、特定の年を転換点とする考え方に、それほど固執しているわけでもないようには感じる。物事の感じ方や考え方は時代が変わるにつれて変わってくるものだから、その変化を論じるという観点では、本書の意味は損なわれていないとも思う。ただ、テーマ設定を離れてしまうと、今度は、これは著者の単なる思い出話じゃないのか、という気もしてくるのだけど。著者はこの文章を書いた時、まだ40代前半なので、少年時代の思い出話を得々と語るには、少し若過ぎないかという気はしてしまった。

簡単にまとめてしまうと、自分はこの本を、1972年前後の過去の記録の本としては興味深く読んだけれど、おそらく著者が意図していた社会評論としては、それほど感銘は受けなかった、という感じ。ただし、現時点で、この本が出た2003年から20年近く経過していることは、考慮するべきだろう。この20年で1972年はさらに遠い昔になり、その当時に起きた変化の意味も、随分変わってきていると思うので。 それこそ、1972年頃以上に意味を持つ転換点を、その後の時代に見出すこともありうるし。たとえば2011年。

ちなみにこの本を、なぜ刊行から20年近くも経った、今読んだのにはいきさつがある。これは刊行当時に知人から、興味がありそうな内容だから、と言われて貰ったが、「諸君!」に連載されたようなものを読む気にはならなくて、ずっと放置してあった本だった。今年の年始めに部屋を片付けた時に、ついに読まずに処分する気になったが、そのタイミングで著者が亡くなった。その後、あちこちで見かけた追悼文が、どれも著者に好意的なものだったので、処分する前にせめて読んでみようと思ったのだった。
とりあえず読んでみてよかったとは思う。本をくれた知人が、自分が興味がありそうと思ったのも、間違いではなかった。ただし、そこまで積極的になれる内容ではなかった。もしかすると、著者の本領が発揮された作品が、他にもっとあるのかもしれないが。また、それこそ2011年を、この著者がどう捉えたのか、という点には興味がなくもない。それを探して読んでみようとまでは思わないけれど。
(2020.2.7)

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「わたしは分断を許さない」

ジャーナリストの堀潤が監督した映画。
ちょっと見てみたいと思って上映館を確認したら、前から一度行ってみたかったポレポレ東中野だったし、他の条件もたまたま揃ったもので、見に行った。

世界中に広がる「分断」をテーマにしたドキュメンタリー。香港、福島の原発事故、日本の難民申請に対する冷淡な状況、沖縄の米軍基地、安田純平さんへのバッシング、ガザ、シリアなど、いろんな題材を扱っている。正直、盛り込みすぎな感があり、整理不足なようにも思えた。けれども、結論を提示するのではなく、今、こういういろんなことが世界で起きているのを見せる所に主眼があると考えれば、これはこれでありなのか、とも思いながら見ていた。
取り上げられた題材自体はどれも、自分にとっては、日頃、twitterのTLなどで見ている、馴染みのあるものだったのだけど、堀潤自身が現場で取材した映像という臨場感があるし、切り口も独自な部分があって、考えさせられた。
もちろん、こういうことを全然知らない人もいるのだろうし、そういう人たちに知ってもらいたいという意図も、製作者側にはあるんだろう。そういう人たちが、どの程度、この映画を眼にするのかどうかはともかく。そこに既に「分断」があるようにも思えるが。
ちなみに、「分断」というテーマ自体は、少しぼやけていたかな、という気がする。

映画の後、監督の舞台挨拶があり、その時の話から、盛り込みすぎ、整理不足と感じた部分について、なぜそうなったのかをうかがわせる背景が感じ取れた。特に、最初の構想では、これは福島の原発事故についての映画だったというところ。そう聞いてみれば、実際の映画の内容のバランスからも、それは感じ取れたように思う。現在のもろもろの状況を鑑みて、それだけで映画を作るのは難しいという制作サイドの意見を受けて、より広いテーマの映画にしたそうだけれど、それによって、いまひとつまとまりがなくなってしまったんだろう、と思う。オリジナルは6時間の長尺になってしまったのを、120分未満まで切り詰めたのだそうだし。やはりこれだけ多くの題材を扱って、この長さでは厳しい。
そのあたりのことがわかって、すっきり出来たのは良かった。映画の内容を書籍化もしているそうで、多分、そちらの方が監督の思いがより明確に描かれているのだろうし、読んでみようかという気がしている。

また、どことなく歯切れの悪さを感じた映画の中での語りよりも、ずっとストレートにメッセージを語ってもいたから、この挨拶は聴けてよかったと思った。

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鴨川(3/8)

翌日は朝から雨だったが、まっすぐ帰ってしまうのも癪なので、とりあえず鴨川まで行ってみた。
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鴨川はだいぶ昔、鴨川シーワールドに来たことがある。当然ながら、今回は休止中。その他のいろんな施設も同様。本降りの雨が降っていて、街をうろうろしようという気にもなれず、どうしようかと思ったが、茶をして待っている間に、いっとき雨が小降りになった(ように見えた)ので、駅から歩いて行ける、この日が最終日の「菜な畑ロード」というのに行ってみた。

これは稲刈りした後の田んぼに菜の花を植えて、あたり一面の菜の花畑を作ったイベント。翌日からは、菜の花を刈り取っての田んぼ作りが始まってしまう、ということで、この日が最終日だったらしい。
向かっていうるちに、小降りだと思っていた雨が、だんだん強くなり、なにせ野原なので風もまともに吹き付けてきて、なかなか大変なことになってしまった。着いてみると、一面の菜の花はなかなか壮観ではあったけれど、天気が悪かったので、いまひとつぱっとしなかったのも否めない。とはいえ、どこも行くところがないので来てみた感のある人たちが、ぽつりぽつりと現れ、同病相憐れむというか(^^;。
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この後は、結局、昼飯を食っただけで、昼過ぎに早々に撤退した。天気が悪くなければ、鴨川シーワールドの前くらいまでは行ってみてもよかったんだが。もっとも、以前、シーワールドへ行った時は、確か駅とシーワールドの間を往復しただけで、今回、主にうろついた駅の北側へは行きもしなかった記憶があるし、そちら側も市街地が広がっていたから、鴨川が全体的にどういう所なのかが見れて、よかったかもしれない。とはいえ、まあ、そんなに大きな街ではなさそうだねえ。

そういえば、女子サッカーのオルカ鴨川FCののぼりや横断幕などを、鴨川市内のあちこちで見掛けた。なでしこリーグ2部のチームだから、リーグ内では強豪らしいとはいえ、それほど外に向けての訴求力はないのではと思うけれど、街(の商店会?)は、結構力を入れているみたいだった。NACK5大宮での試合予定もあるようなので(相手はFC十文字…知らない)、日程が合ったら見に行ってもいいかなと思ったが、3月末の試合だから、これも新型コロナウイルスの関係で延期or中止か?20200308orkamaku

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勝浦、安房小湊(3/7)

外房の南へ行った。新型コロナウイルスの影響で、あちこちの施設は軒並み休止。天気もあまりよくなくて、残念ながら、だいぶ手詰まり感があった。最大の目的の温泉には行けたけど。

外房線で蘇我を過ぎると、屋根にブルーシートを載せた家が、所々目について、去年秋の台風被害のはげしさを思い出させられた。鎌取を過ぎたあたりが一番目立った気がするけど、鴨川の方まで、そういう景色はなくならなかった。まだ完全には復旧していない雰囲気。復旧前に次が、みたいなことにならなきゃいいが。

昼時に勝浦で下車。
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元々の構想では海中公園など、この近辺を流す計画だったが、新型コロナウイルスの影響でどこもかしこも休止。昼飯食ってから、少し歩き回ってはみたものの、強い北風が吹き付けて寒く、曇り空ということもあって、気分も盛り上がらず、早々に撤退。
もっとも勝浦自体、ただの漁港という感じで、いろんな観光施設も市内のもっと南の駅の方が便利なようだったから、元々、あまり観光地らしい地域ではないのかもしれない。
ちなみに、武漢からのチャーター便帰国者を受け入れた勝浦ホテル三日月が駅の近くにあって、通りすがった。偉いホテルだなあ、と思ったけれど、空港からここへそのまま送られた人たちは、だいぶ島流し感があったんじゃないかなあ。海側の部屋だったら、部屋からの眺望は良かっただろうけど、何日も見ていれば飽きるしね。
 
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その後、宿泊地の安房小湊へ移動。
20200307kominato夕方になるにつれ、なんとか次第に晴れ間が見えるようになり、湾内の眺望はけっこう楽しめた。遊覧船は、これまた休止だったけれど。
20200307tainouraちなみに、全然知らなかったんだが、安房小湊は日蓮の誕生の地だそうで。そのものずばりな誕生寺という寺があったり、日蓮トンネルとか日蓮交差点とかがあって、ちょっとびっくりした。2022年が生誕800年だそうで、それで盛り上げようという気配があちこちに。まあ、まだ2年先だから、その頃には新型コロナウイルスは、さすがに落ち着いてるだろう。

誕生寺
20200307tanjouji日蓮交差点
20200308kousaten日蓮トンネル
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春季教育リーグ ヤクルト対巨人(3/1)

2020.3.1 (日) 12時半 ヤクルト戸田球場
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S 011000000 2

ヤクルト戸田球場での今季最初の試合。ただし、新型コロナウィルスへの対応のため、無観客試合での開催となった。
とはいえ、隣の土手から観戦できる球場なので、無観客での開催は実質的に無理と思えた。球団は、土手からの観戦もご遠慮くださいと告知していたが、土手の上は球団が管理している土地ではないので、強制力はない。どういう形で開催するんだろうかと興味を惹かれたので、のぞきに行ってみた。

行ってみたら、普通に試合を開催していたという印象。スタンドには観客を入れていなかったけれど、土手には結構な数の観客が居たし、そうした観客に対して、見た範囲では、特に人払いをしている気配もなかった。ただし観客も、シートを引いたりテントを張ったりして、がっつり陣取ってる人たちは、あまり見かけなかったが。見れるなら見ようくらいの感じで来ていたのかなと思う。
そんな状況だったので、試合を見ていっても良かったと思うが、一応、球団からの要請を尊重して、試合が始まって早々に、とっとと引き上げた。もっとも、スコアボードの写真を取ってくるのを忘れたのに気づいて、しばらく後に一度戻ったけれど(^^;、その時も、たまたま代打で出てきた村上の打席(四球)を見ただけで引き上げた。

ちなみに球場は、全面復旧していた感じ。一番気になっていたスコアボードも、ちゃんと表示出来ていた。もっとも、通常は下半分に常時表示されている選手名が、今日は表示されていなかった。その時は無観客試合ということでの対応と理解したけれど、もしかして、実は下半分は動いていない、ということもありえるんだろうか。
場内アナウンスも、いつも通り流していた。観客が居ない前提の試合なら、アナウンスは不要じゃないのか?、と思ったんだが、アナウンサーも本番に備えた練習が必要なのかもしれないしね。
20200301kyujo土手上の観客たち。巨人側は声出しの応援団が来ていた。ヤクルト側は、常連の一人応援も含め、声出しの応援は居なかったみたい。
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20200301board1球場入口に掲示されていた告知20200301kanban

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