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感想「まるで天使のような」

「まるで天使のような」 マーガレット・ミラー 創元推理文庫
2年前に刊行されていた改訳版。確か、刊行された直後に見かけた覚えはあるが、後で買おうと思って、そのまま忘れてしまっていた。今回、創元から「鉄の門」の改訳版が刊行されたのを見かけて、買おうとして、こちらも持っていないことに気が付いた。
まあ、早川から出ていた初訳版を持っているから、どうしても入手しないといけないという意識がなかった、ということだけれど、その前に出た「狙った獣」「殺す風」の改訳版も持っているので、これだけを買わない理由はない。そもそも、ミラーの長篇の中では、一番好きなのがこれかな?、というくらいなので。
そういうわけで、「鉄の門」とまとめて入手して、とりあえずこちらから読み始めた。

最後に読んだのが、多分20年くらいは前なので、内容をかなり忘れていた。それで一番好き、とか言っているのも、ちょっと問題ありと思う。だから、今回、読み返せて良かった。

今回読んでいる時に、多分、過去に読んだ時には、あまり考えなかったことを、考えていることに気付いた。これは生きづらさについて書いた小説なんじゃないんだろうか、と思った。
生きづらさという概念を、ミラーが持っていたかどうかは分からないけれど、この小説は、出てくる人間の誰もかれもが、強い不安を持っているように見える。
その筆頭が、主人公の私立探偵のクインで、彼の過去について、詳しいことは一切描かれないから、なぜそうなったのかはわからないけれど、ギャンブル依存症で、自暴自棄的に生きている人間。そんな彼が、たまたま迷い込んだ新興宗教の村で「祝福の修道女」と出会い、彼女から人探しを頼まれたことをきっかけに、生きる希望を取り戻そうとする話、というふうに、今回は読めた。
「祝福の修道女」自体が、生きづらさを抱えて新興宗教に流れ着いたものの、迷いを抱えたままの女性だし、クインが調査する過程で出会う人物も、みんな、容易に解決することが出来ないしんどい思いを抱え込んでいる。クインはそういう人々と触れて、彼らのしんどさを目の当たりにして、理解することで、戸惑いながらも徐々に人間性を取り戻していく、というような感じの小説。その過程に、とても共感を覚えた。終盤で彼が「祝福の修道女」を思い起こす場面は、本当に心に迫って来る。
そういう風に読めるのは、登場人物たちが抱える不安感がリアルに描かれているからじゃないかと思う。本書は筋立てにしても、登場人物の設定にしても、必ずしもリアリズムではないのだけれど、彼らの持つ不安感はとてもうまく描かれていて、それは著者自身がそういう生きづらさを抱えていたからじゃないか、と思える。
改めて考えると、それはミラーの小説にずっと流れていたテーマかもしれないが、昔読んだ作品の内容を、そんなによく覚えているわけでもないので、何とも言えない(なにせ、大半の小説は、それこそ20年前に読んだきりなので)。ただ、ミラーの小説には「落伍者へのやさしい眼差しがある」的なことを、ずっと思っていたのは確かで、今回の感想は、多分、そこへつながっている。以前の自分には、「生きづらさ」という語彙がなかったので、ちょっと違和感を持ちながらも、誰かの評に書かれていた言葉をリピートするような感じで、そういう風に表現していたのだけど、そういう上から目線的なことではなく、むしろ、生きるのがしんどい人物たちを描きながら、同志的な共感を寄せていた、という言い方の方が正確なんじゃないだろうか。

もちろん本書はミステリなので、解説で我孫子武丸が力説しているような、ミステリ的な大仕掛けも確かにあるのだけど、自分がこの小説が好きな理由がそこにはないことを、改めて理解したように思った。

ついでにいうと、今回、本書を読んでいて、自分がミステリを愛好してきた理由の、かなり大きい一部も、「生きづらさ」という言葉で説明できるのではという気がしてきた。というか、そういうことを描いたミステリを、好んで読んで来たというべきなのかもしれない。まあ、そこまでいくと、まだあまり丁寧には考えてない、思いつきのレベルの話になるのだけど。
(2020.3.14)




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