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感想「仏教抹殺」

「仏教抹殺」 鵜飼秀徳 文春新書
明治の始まりの時期に起きた廃仏毀釈についての本。 副題は「なぜ明治維新は寺院を破壊したのか」。2018年の刊行。

廃仏毀釈は、明治の新政府が出した神仏分離令がきっかけだったが、政府はあくまでも、寺と神社を分離する指示を出しただけ。しかし指示を受けた側が暴走して、寺や仏像などの破壊に発展した、と書かれている。 破壊活動まで含めての明治政府の指示だったと思っていたから、これは意外だった。
著者は、激しい廃仏毀釈が起きた地域を訪れて、その痕跡をたどるとともに、なぜそういう暴走が起きたかという、メカニズムを考察している。
そもそも、神仏分離の基本的な考え方は、国家神道による国の統制を目論んだ中央政府が、江戸時代に徳川幕府による統治と深い関わりを持っていた寺を、神社から分離しようとしたもの。だから、過激な人間が、分離に留まらず破壊まで行ってしまうのは、それほど特異な現象とは思えないのだけど、寺院が破壊されたことで、それまで蓄積されていた地域の情報が失われたり、政府が廃仏毀釈を止める指示を出したりしていたということだから、暴走だったことは間違いないんだろう。

暴走にはいくつかのパターンがある。
今の視点で見て、一番考えさせられるのは、明治の新政府の意図を忖度した地方の行政官や民衆による、「自主的な」活動というパターン。国がそこまでやれとは言っていないのに、忠誠心を示したいあまり、率先して仏教に関わりがありそうな事物を破壊していった。権力への忖度によって、重要なものが失われるという構図は、今に通じるものがあるし、この国の病だなと思う。もちろん、こうしたことはこの国だけで起きているわけじゃないんだろうけど、他の国のことはよく知らないし、特に近年の、この国での権力への異常な忖度を日々見ているから、やっぱりそう思う。

それ以外では、寺が江戸時代に強い力を持っていたことから来た権威主義や腐敗が、民衆の反感を醸成していたということも多かったらしい。それまで寺よりも弱い立場に置かれていた神社が、力関係が逆転して強い行動に出た時に、民衆が寺を守ってくれなかった。著者は副住職も勤める仏教人とのことなので、寺の側に人心が離れる原因があった点を重くとらえて、現代人の仏教離れとも繋げて、考察している。もしかしたら、著者としては、こちらの方が、より大きなポイントなのかもしれない。ただ、個人的には、この辺については、権力は腐敗の元という以外の所には、あまり関心を持てない。仏教にしても神道にしても、宗教的なものを信仰するという気持ちを、自分はあまり持ち合わせないので。
また、このあたりを突き詰めていくと、廃仏毀釈は一種の宗教戦争みたいなものか?、という気もしてくる。自分は、文化財としての仏教関連の施設に対しては興味があるが、宗教施設としてはほぼ関心がないという立場なので、著者とは少し見方が違っているかもしれない。

それはそれとして、今の感覚からすると、永年伝わってきた仏像などの貴重な文化財が大量に破壊されたのは、なんてもったいない、ということになるわけだけれど、明治の初めにはまだそういう感覚は(少なくとも一般的には)なかったんじゃないかと思う。本書の冒頭で引き合いに出されているタリバンによるバーミアンの仏像破壊も、日本の廃仏毀釈は爆破のたった130年前の話に過ぎないと思えば、日本人が一方的にあれを野蛮な行為と非難することも、出来ないような気がする。
(2020.5.20)

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