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「ドゥ・ザ・ライト・シング」

1989年の映画。2/22にザ・シネマで放送されたのを見た。以前から興味はあったけど、見たことがなかった。公開当時、結構情報には触れていて、関心も持ったけど、娯楽で見にいく映画じゃなさそうだなと思い、その時点の気分に合わなくて、行かなかった気がする。

監督はスパイク・リー。黒人と白人の人種間の問題を扱った映画というイメージだったけれど、実際には黒人街に出店した韓国人の店が話に絡んでいたり、もう少し重層的に人種間の軋轢が描かれている。また、その当時は今ほどポピュラーではなかった、ヒップホップ系の音楽やファッションが全面的に取り入れられていて、そういうおしゃれな要素のアピール度も高い(公開当時は、それもあって露出情報が多かった)。そこまで単純な映画ではなかった。
内容も社会派的に何かを訴えるというよりは、現実を切り出して突きつけてくるという感じ。黒人街の日常を描きつつ、そこに出店しているイタリア人のピザ屋での、微妙なバランスで成り立っている黒人と白人の共生に、じわじわと緊張が高まっていくという展開。
昨年のアメリカのBlack Lives Matterの運動の時も、この映画が言及されていた。確かに30年前の映画なのに、まるで古びていないように思える。結末に起きる、警官の過剰な暴力で黒人が死ぬ場面は、すぐにBLMのきっかけになった事件を思い出した。30年経っても、何も変わっていないのか、という印象を持つ。そういえば、スパイク・リーが監督した、昨年見た「アメリカン・ユートピア」で、ヘイトによる黒人の犠牲者が列挙される場面があったけれど、この映画のエンドクレジットにも、規模はずっと小さいけれど、同じような箇所がある。
ただ、この映画は白人側の差別意識だけを描いているわけではなくて、それを引き出す(この映画に登場する)黒人側のどうしようもなさも描いているし、最後に起きる暴発も、黒人側からの無茶な難癖が引き金になっている。多分、黒人であるスパイク・リーだから描けるんだろうけれど、そういう所に、こうあるべき的ではなく、現実をありのまま描こうという意図が見える気がする。結果として、すっきりしないもやもやとした後味になっているが、それも計算の上だと思う。そんな単純に割り切れる状況ではないということなんだろう。
そうした部分も認めた上で、だからといって、簡単に黒人の命を奪うような暴力は許せないという意味での、エンドクレジットなのかなと思った。
非暴力を主張するマーティン・ルーサー・キングと、自衛のための暴力は正しいと語るマルコムXの言葉を、最後に併記している所も、割り切れなさ、揺らぎを表していると感じた。この辺になると、黒人と白人の人種差別にとどまらない、さらに広い話にもなってくるが。

それから、この映画はCOVID19の流行をきっかけに、アメリカでより深刻化し始めているらしいアジア系に対するヘイトも射程に入っていて、むしろ今の方が、より同時代性を感じる映画になっているような感じもしたけれど、それはアメリカの現実を体感的に知らない人間の発想なんだろうね。現実には、この当時から、アジア系も含めた複雑なヘイトの構造自体は存在していたはず。
そういう部分も含めて、アメリカの現実がよくわかっていない人間が、こういう映画を見ることに、どの程度意味があるんだろうという気も、いくらかしないではない。知らなくていいことではないのは確かだけれど。また、普遍的な意味に拡張した上で、たとえば日本の現実に引き合わせるみたいなことも、出来ないわけではないし、そうあるべきかもしれないけれど。非暴力についての考え方などは、まさにそういうテーマでもある。
個人的には、この映画は1989年に見るよりは、その後にいろいろなことを知った今になってから見た方が、むしろ良かったのかもしれない、という気がした。それにしても、いろいろとよく分からない所もあるので、分かってる人の解説を探してみようかもと思う。

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