感想「言語多様性の継承は可能か」
「言語多様性の継承は可能か」 寺尾智史 彩流社
「新版 欧州周縁の言語マイノリティと東アジア」というのがサブタイトル。2014年刊行の旧版に対して、改訂新版が2017年に出されたもので、著者の博士論文がベースになっているとのこと。
話者の少ない少数言語が淘汰され、絶滅に向かう流れが加速している現代で、少数言語を維持して言語の多様性を維持し続けることについて論じた本。重点的に取り上げられているのは、ポルトガルのミランダ語、スペインのアラゴン語、日本の「播州ことば」。
ちなみにミランダ語の状況については、同じ著者の「ミランダ語が生まれたとき」に、より詳しく書かれている。
なくなろうとしているものは、保護されるべきだろうと、割と簡単に考えていたのだけど、そこまで単純な話ではないということが、よく分かったように思う。
「ミランダ語が生まれたとき」に書かれていたこととも重なるのだけど、その言語が使われている国が保護に乗り出したとして(その段階まで進むこと自体、かなり大変だと思われるが)、それでめでたしとはならない。何を保護するのか、という大きな問題が控えている。
言語というのは、住んでいる地域がわずかに違うだけでも、同系統でも数多くのバリエーションが存在する。そのどれかを基準にして保護して、他は亜種として切り捨てるのか、全てを保護するのか。現実問題として、後者は限りなく困難と思われるけれど、とはいえ前者の場合、選ばれた保護対象の言語と、亜種とされた言語はどう違うのか、ということになる。
「保護」という考え方にも難しさがありそう。本来、残されるべきなのは、その土地に住んでいる人たちが日常的に使っている言語(母語、ということになるのかな)のはずで、だからこそ、全ての言語を残すのが本来の筋と思われるのだけど、「保護」という形を取る以上は、従来のやり方からすれば、文法や単語、正書法などを定めて、それに基づいて標準化されることになると思われる(そう考えれば、やはり数多くのバリエーション全てを保護するのは非現実的)。そのように規格化された言語は、日常的な言語という性格を維持できるのか。また、現実にはその地域の住民が、日常的には必要性から、もっと大規模に使われている言語を使っていて、少数言語は教科書に基づいた知識でしかないとしたら、それはその言語が残っていると言えるんだろうか。実際には必要性が希薄化してなくなりかけているのを、観光資源として無理やり残している、伝統工芸の保護みたいなものに、なってしまうんでは。
言語というのは、あくまでもコミュニケーションの手段だから、実質的にその機能が失われてしまったら、それはもう、残っているとは言えないのではないんだろうか。
そういうことを考えると、なくなりそうなものを残したいという、漠然とした願望だけでは、事態は進まないと思えてくる。少数言語を残していく積極的な意味を明確化しなければ、おそらく先はなさそう。
結局は、その言語を母語とする人たちの、残したいという意思にかかってくるように思える。
ただ、自分が今までに見た限りでは、少数言語を残すことの意味として挙がっているのは、少数言語の発生の起源をたどるため、少数言語の支えている文化を継承するため、といったあたりで、それは必要なことだとは思うけれど、実際の生活者が言語を存続させようと考える強いモチベーションにはつながらないように思える。今のような時代では、より多数の人々とコミュニケーションが取れることの方が重要と考える人が多いだろうし、そのためには、多数言語の方が圧倒的に有利なはず。
他の言語ではとても長ったらしい説明が必要な言葉が、ある言語では一言で表す言葉がある、みたいなことは、言語に関する本を読んだりしていると、しばしば目にする。それはつまり、その言語を持つ文化が、どういうものを重要視してきたかというのを意味しているはずで、その文化の固有性を示すものだと思う。
また、ある言語と別の言語では、中心的には同じ意味を持つ言葉であっても、意味の広がりが全然違っているというのも、実はかなりよくあることのように感じているし、そこも文化による視点の違いを示すものだと思う。
少数言語・言語の多様性が失われるということは、そうした異なった視点から物事を見る可能性が狭まっていくことになるから、それは人間にとってあまりいいことではないはず。とはいえ、そういうことも、生活者の日常的な関心事にはあまり関係がないように思える。
そう考えていくと、「言語多様性の継承」は、かなり困難なことのように思えてくる。
もちろん、著者はそんなことは全て理解した上で、結論には至らないとはいえ、本書の終盤で著者が行っているような、どういう形であれば言語多様性の継承が可能なのかという考察は、大切だろうと思う。
それから、仮に継承が困難だとしても、少なくとも、多数言語が少数言語を意識的に圧迫して、衰退を加速するようなことは止めるべきだと思う。たとえば「標準語」が地方の言葉を「方言」と規定して、そうした言葉の使用を蔑むようなことは、されるべきではない。それは実行可能なことだし、それによって少数言語の衰退は、止められないまでも、遅らせることは出来るはずだな。
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