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感想「屍衣にポケットはない」

「屍衣にポケットはない」 ホレス・マッコイ 新潮文庫
1937年に刊行された小説。
ずっと以前、ハードボイルド的な小説を読み始めた時期に、よく参考にしていた小鷹信光の文章に、この作家がしばしば言及されていた。興味を感じて、当時ハヤカワミステリ文庫から出た「明日に別れの接吻を」を読んでみたけれど、正直、あまり面白いとは思えなかった。複雑な人格で、感情移入を拒否するような主人公の設定に付き合うには、この手の小説の経験が足りなかった。
その後、もう一冊の邦訳「彼らは廃馬を撃つ」を読んだ。こちらの方が抒情性がより強く感じられて、だいぶ取っ付きやすかったこともあり、悪い印象は持たなかった。映画化されたものもテレビで見た(映画の方を先に見ていたかもしれない)。つまらない作家ではなさそうという印象が残った。
そして、未訳の「No Pockets in a Shroud」という小説があるという、小鷹信光の紹介も覚えていたから、今回邦訳されたのを見て、今頃?、とは思いつつ、読んでみる気になった。

簡単にまとめてしまえば、アメリカの地方都市を舞台に、正義感の強い新聞記者が、街を支配するあくどい権力者たちに、ほぼ孤立無援で闘いを挑むという話。ただ、実際はそこまで単純ではない。
主人公は社会正義という部分では、正義感の強い人間だけれど、自分の目的のためなら、返せる見込みのない借金をすることや、自分に対する女性の恋愛感情を利用することに躊躇しない、善悪の観念がずれているように見える人物。また、思いこみだけで突っ走り、友人の忠告に耳を貸さない破滅型の人間でもある。無条件で擁護できる人物ではないし、とても感情移入は出来ない。そういう意味では「明日に別れの接吻を」の主人公によく似ている気がする。ただし、なにせそちらは40年くらい前に読んだ本だから、おぼろげな記憶が合っていればだけれど(^^;
自分も経験を積んできたから、「明日に別れの接吻を」 の時ほどの戸惑いはなかったけれど、やはり面白く読める小説とは言い難かった。ただ、なぜこんなキャラクター設定で、素直に愉しめるとも思えない小説を書いたんだろうという疑念に対しては、杉江松恋の解説が、本書の成り立ちも含め、マッコイについて丁寧に説明していて、とても有り難かった。いろいろもやもやを感じる作家だったマッコイについて、理解の仕方をひとつ提示してくれた気がする。

ただ、小説としての面白さの有無とは別に、主人公の怒りに、現代に通じるものを感じて、共感を覚えずにはいられない部分はあった。特に、ヒトラーが台頭して、ヨーロッパがファシズムに席巻されようとしている本書の背景と、今、プーチンがウクライナへ侵攻してヨーロッパでやっていることは、地域的にもきれいに重なって見える。また、それだけではなく、もっと普遍的な、本書で描かれる権力者の不正や弱者への抑圧、差別の問題などの出口の見えなさは、今でも、世界でも日本でも普通に見聞きすることばかり。しかも、こうしたことは、近年、急激に悪化しているようにも感じている。もっとも、元々あったものが、単によく見えるようになっただけ、という面も確かにあるのだろう、とは思うけれど。
いずれにしても、本書に描かれている世界が、違う時代の違い世界のようにはとても思えなかった。
こんなふうに不透明で、絶望感が強い世界には、こういう自暴自棄的なキャラクターの方が、むしろ自然なのかもしれないという気もしてしまった。
(2024.6.18)

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