感想「女ことばってなんなのかしら?」
「女ことばってなんなのかしら?」平野卿子 河出新書
家にあった本。翻訳小説や海外の映像作品で、女性の喋る言葉の翻訳に引っかかたりすることが多く、関心のあるテーマだったので、読んでみた。
「女ことば」という、日本語にある言葉遣いを取っ掛かりにして、日本語に存在する性差について論じて、ジェンダー格差の問題につなげていく内容。
新書というフォーマットに合わせて、気軽に読める内容を意識したのか、いろいろな題材を次々に提示して、ひとつひとつはそれほど深く掘り下げず、軽めに論じている印象。著者が研究者ではなく、翻訳家ということも関係あるかもしれないし、あくまでも最終的な結論を目指すための過程、という面もあるかもしれない。
題材としては、たとえば語尾(「だわ」とか「のよ」とか)、一人称(「俺」「僕」は一般的には男しか使わない)、対語の非対称(少女の対語は少「男」でなく、少「年」)、などなど。
それらを個別に見ていくと、多くは明治以降の男尊女卑を推進する国のあり方につながっていく、というのが、おおざっぱなまとめのように思える。
「だわ」「のよ」にしろ、「僕」にしろ、明治以降に使われるようになった言葉で、昔からの日本語ではない(ちなみに、「おれ」に関しては、自分の子供時代、地元では、そこそこ年配の女性で使ってる人はいたよ)。また、明治以降に広く流入した欧米の言語には、男女の性差が強く出ていて、当時の欧米は明治以前の日本よりもずっと男尊女卑が激しかったから、それを翻訳して受容する上で、日本語にそういう言葉が作られていったという面もある。
だから、実際には欧州系の言語(英語も含む)も、女ことばではないにしても、女性的な言葉遣いというのはあるわけで、その辺は著者も認めているけれど、そこを丁寧に論じてしまうと話がややこしくなるので、やや曖昧にぼかされているかな、という気はする。
欧州に関しては、男尊女卑が激しかった分だけ、女性解放運動が激しく展開されて、男女同権が進んだという面はあるみたい。日本は江戸時代までは女性もかなりの権利が認められていたし、明治以降も同時代の欧州ほどは女性の地位が低くなかったようなので、逆に問題が顕在化しにくくて、今ではむしろ、女性の地位の低さは世界で屈指、みたいになっている。
ちなみに明治以前に日本への影響が強かった中国も、男尊女卑な伝統があった土地柄で、「女」という漢字の元になった象形文字自体が女を低く見る意識が感じられる形だったとか、「女」が部首になった漢字にネガティヴな意味のものが多いのは(奸とか、奴とか)そのせいかも、ということも書かれている。
印象が強かったのは、「めおと」という日本語は、そもそも読み方からすると、「女夫、妻夫」で、本来、日本が女系社会だったことの名残なんだそう。それに「夫婦」という漢語が当てられて、表記と読み方で順序が逆転しているのだとか。
それでも江戸時代までの日本がそこまで男尊女卑ではなかったのは、中国からの影響が限定的だったということなんだろうな。江戸時代は鎖国だし、それ以前にしても、外国との交流はそこまで大きなものではなかったし。
なお、冒頭に書いた翻訳小説や海外の映像作品での女性の言葉の翻訳についても、触れられている箇所があった。著者の翻訳家としてのスタンスは、女ことばは使わないということではなく、使った方が妥当と思われる場面では使うということだけれど、翻訳家によって、その辺の意識は違うのだろうな。
著者の根本的な主張は、日本の伝統でも何でもない男尊女卑によるジェンダー格差を解消したい、ということだと思う。女ことば自体は、ジェンダー平等の流れの中で、滅びつつあるもので、殊更に廃止を訴えるようなものでもないけれど、ジェンダー格差の解消のために、「女らしい言い回し」を止めて、自分の意思をはっきりと述べていくべきだ、ということを、最後のまとめで書いている。それには全面的に同感する。時代の流れというより、本来、そうあるべきだったと思うから。
とはいえ、殊更に男尊女卑を強化する皇室典範を作ってしまうようなやつらが、今もこの国の中心部に巣食っているわけで、そういう連中と積極的に戦っていく必要があるのは間違いないだろう。
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