久留米、筑後国分寺跡

タマスタ筑後へ行く前に、久留米で降りて、寄り道。
久留米は2013年に鳥栖に行った時も寄ったが、あまり時間が取れなくて、JR駅近くの久留米城跡をササッと回ったくらいだった。今回の目的は筑後国分寺跡。
西鉄久留米で降りて徒歩。久留米はJRよりも西鉄周辺の方が繁華街というのが分かった。
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国分寺跡までは、道を探しながら30分くらいかけて行ったが、はっきりわかってれば、もう少し早かったはず。そもそも、西鉄にもJRにも、もっと近い駅がある。もっともJRは久大本線だから、あまり使えない駅かも。

筑後国分寺跡は日吉神社という所の境内の一角にあった。分かって行かないと、見つけにくそう。周辺に看板の類いは見当たらず、地図から判断して、この辺のはずと思って、神社の境内に入って見回して、ようやく見付けた。跡地の前には説明板が立っていた。もっとも、日吉神社の中にあると知っていれば、行くのは問題ないか。
遺構としては礎石がいくつか残ってるだけという、毎度のパターン。ただ、実質的に別の神社が跡に建ってるという形なので、いまいち面白くなかった。周辺が住宅地というのも含めて、最近行った中では、出羽国分寺跡の印象に似てた。
なお、礎石の背後に、大きな石碑が建っていて、碑文が刻まれていたが、近寄ってじっくり見ることが出来なかった。写真も撮ってみたが、文字が摩耗している上、字体も古くて読めなかった。
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2013年に久留米に来た時、市の観光地図に国分寺跡が載ってないなと思ったが、現地を見て、確かに久留米市は、ここを地図に載せるような扱いはしてないな、という感じがした。まあ、観光資源が、他にいくらでもある街みたいだから、この程度の場所をアピールする必要もないんだろう。
ちなみに、筑後国分寺は、市内の別の場所に、今も生きてる後継の寺もある。時間がなかったので、今回はそちらはパスした。後継の寺には、元々、それほど興味がないことでもあり。

説明板には国分寺尼寺跡の記載もあり、事前に地図でも調べてあったので、行ってみたが、こっちの存在感の無さはもっと凄かった。住宅地のまん中に、敷地を切り欠いて建てた石碑が1本建ってるだけ。しかも「国分寺跡」としか書いてないので、ここで合ってるのか?、と思うくらい。尼寺跡は、こういう、わかりにくいのが多いね。
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JRの久留米駅へ出て、筑後船小屋へ向かったが、途中、西鉄久留米をかすめるルートになった。西鉄とJRの駅間は徒歩30分くらいの距離だった感じ。
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尾張国分寺跡

美濃国分寺跡の後に行った。ここも車で連れて行ってもらったが、名鉄国府宮駅から行けることは分かった。駅からはちょっと遠いが、近くまでバスがあるらしい。近所に比較的有名なスポット(矢合観音)もあるようなので、アクセスにはそんなに困らないんだろう。

ここは、美濃に比べると、衝撃的なくらい、何もなかった(^^;。
50平米もなさそうなくらいの空地に、塔の土台の石が数点、地面の上に顔を出していて、近くに「尾張国分寺塔跡」と刻まれた石碑が建っているだけ。石碑も、正面からは写真が撮れない状態。
この周辺に広がる国分寺跡全域の調査は行われたそうだが、周辺は私有地なので、その状態が維持されていない。あまり頻繁に人が出入りするのも、望ましくないのかもしれない。もっとも、私有地と言っても植木畑だし、遺構も、埋まってさえいれば、破壊されるようなこともないだろうから、それでいいのかもしれない。
広々とした空き地というのが国分寺跡のイメージだけど、何もなくなって埋没してるという意味では同じことかな。これはこれで悪くない。
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なお、今回使ったルートは、途中に道案内の看板などは出ていなくて、小道に入り込んだ所に、ようやく「塔跡」という矢印が出ているだけだった(「尾張国分寺」とも書いてない)。ちゃんと分かっていないと、たどり着くのは相当厳しいなと思ったし、何もない感をさらに強めたんだが、後で調べると、案内板が出ているルートもあったらしい。
近所には、現在稼働している国分寺が建っていて、そちらにも案内のようなものはあったのかもしれないが、時間がなかったので、寄らなかった。
名古屋からそう遠くない場所なので、また行く機会はあるかもしれないし、その時は、もう少し、周辺を見てこようかと思う。

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美濃国分寺跡

豊田スタジアムに行った翌日に、ついでに寄ってきた。
今回は車で連れて行ってもらったので、自力でアクセスする方法はよくわかってないが、美濃赤坂駅が割と近いらしい。美濃赤坂駅にはレンタサイクルがあるらしい。

公園として整備されているけれど、建物は特に何もない状態で、今まで行った国分寺跡の中では、標準的なレベルという感じかな。整備はされているけど、山並みを背景に広々した空き地が広がっていて、天気も良かったし、気分のいい場所だった。
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隣に建っていた大垣市歴史民俗資料館では、全国の国分寺を写真付きで丁寧に紹介していて、とても面白かった。こういう資料館は、割といつも、時間に追われるようにして行っていることもあり、ほとんど入ったことがないが(入ったことがあるのは、4月に行った上野国分寺跡くらい)、結構面白いのかもしれない。

隣には後継寺院の国分寺が建っていたが、稼働中(^^;のお寺には、それほど興味がないので、外から見ただけ。
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近所には国分尼寺跡(推定)もあった。ただし、こちらは石碑以外は何もない。ここにある、と分かっていて行かないと、見つけるのはかなり難しそう。隣接した寺(願證寺、威徳寺)の一隅に建っている、みたいな感じだった。
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山形、出羽国分寺

夜行バスで新宿から山形へ。山形駅前に早朝に着いたら寒い。こっちの感覚で行ったら寒いかも、とは思っていたが、土曜のこっちが暑すぎるくらいだったもので、そこから一段階下げたくらいでは足りなかった。耐えられない寒さ、というほどではなかったが。
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山形は、何度も行ってる割に、「山形市」自体は立ち寄るくらいで、あまり市内のことを知らない。駅前通りを流したことがあったくらい。今回はなにしろ朝一で着いて、試合は14時だったから、時間はあった。今まで行ったことのない市内をうろついてみた。

とりあえず、市の中心部に初めて足を踏み入れた。市内で一番の繁華街らしい七日町界隈を通り抜け、出羽国分寺へ向かった。国分寺は、駅からまっすぐ行けば、多分徒歩30分くらいで、市街地の中にあった。
出羽国分寺が元々あったのはここではなく、はっきりわかっていないある時期以降、移転してきたということらしい。国分寺が作られていた時代は、まだ朝廷が東北を、完全には制圧していなかったわけだから、そういうこともあるだろうな。移転前の場所は鶴岡だったらしいが、それも完全には確定していないらしい。
(参考 → 護国山 柏山寺(出羽国分寺・その3)
現地の表示は、「国分寺」というより、「国分寺薬師堂」がメイン。今も現役の寺が存在していて(護国山 柏山寺)、どうやらお祭りがあるらしく、境内ではその準備が行われていた。古風なお化け屋敷や迷路の設営も始まっていた。寺に隣接して公園があり、球技場も見えた。
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生きている国分寺には、あまり興味が持てないので(^^;、ざっと一回りしたくらいで撤収した。

文翔館の前を通過して霞城公園へ。ちなみに文翔館は明治時代の建物で、旧県庁・旧県会議事堂だそう。後で詳細を知って、立ち寄っても良かったかなと思ったが、ちょっと時間が足りなかったかもしれない。
霞城公園は山形城址。城は明治の初めに取り壊されたそうで、比較的近年に整備された門や塀はあるが、天守閣などはない。
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公園内にあった山形市郷土館(旧済生館本館)。ここは入ってみた。これも明治時代の建物。
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霞城公園の隣には、最上義光歴史館という立派な建物もあった。最上義光というのは、関ヶ原の合戦の時に、米沢から攻めて来た直江の軍勢を撃退して、山形を守った武将なんだそうで、公園のあたりに、やたらと銅像が建っていた。
山形市郷土館には、明治維新後に任命された最初の県令・三島通庸は偉かったという記事が並べられた部屋があったし、試合後に山形市内に戻った時には、水野元宣という、山形藩の最後の筆頭家老(実質的に藩政を取り仕切っていたとのこと)だった人物を称える神社(豊烈神社)を見つけた。この人は、戊辰戦争の時に、朝廷軍に侵攻されそうになった時、自分が全責任をかぶって刑死して、山形藩を救ったそうだ。
こういうものだけを見ていると、個人崇拝の傾向が強い土地柄なのかなと思ってしまうが、郷土の英雄に手厚いのは、どこの土地でも同じかもしれない。
ちなみに、水野元宣がそういう状況に追い込まれたのは、隣接する大藩の米沢に振り回されたといういきさつがあったそうで、最上義光の件といい、山形と米沢は仲が悪いと聞いてるが、そりゃそうだろうな、と思った。

霞城公園を抜けて、駅へ戻って、天童へ。

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前橋、上野国分寺

前橋は、過去に何度も行ったことがある都市だが、前橋駅にアクセスしたことは、多分なくて、街の中心部がどんな感じなのか、全く知らなかった。今回は前橋駅で降りて、早めに行っていたこともあり、市内を流してみた。
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観光案内所で貰った地図を見て、萩原朔太郎とかの文学碑がいろいろあるのや、前橋城址(前橋公園)が目に止まったが、いまひとつ気が乗らずにいたところで、上野国分寺に気が付いた。歩いて行くのはちょっと無理だったが、前橋駅にレンタサイクルがあったことを思い出して、借りることにした。1日200円で、19時まで。
その自転車で国分寺へ向かったが、この頃から空模様が急激に怪しくなり、とりあえず北からの強風を受けながら走ることになった。道を探りながら行ったこともあり、多少時間はかかったが、30分はかからなかったはず。
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上野国分寺跡は、今まで行った国分寺跡の中では、何もない感は中間くらいか。
礎石などは結構残っていて(一部は、露出した状態でもずっと残っていて、地域の人に大切にされていたらしい、とのこと)、発掘調査された時点で、割と丹念に整備されていた。まあ、これは割とどこでもそういう感じ。
ただし、跡地を取り巻く塀が一部復元されていた以外は、構造物の復元はなかったし、後継の寺などもなく、市街地から外れた場所なので、ほぼ一面の原っぱ状態。
まあ、そもそも、そういうところ(1000年も経つと、なにもなくなっちゃうんだよな、というところ)が好きで、国分寺跡に行っているわけなので、良かったと思う。

現地を見た後、近くにあった資料館は無料だったので、入ったら、他に見物人が居なかったこともあり、案内のおじさんが丁寧に説明をしてくれた。

市内へ引き上げかけた所で、ついに雨が降り始めた。それほど強くはないにしても、雨具がないと厳しいレベル。風は暴風で、雷も鳴り始め、さすが上州、という感じ。近所に国分尼寺跡もあると聞いたので(発掘調査後埋め戻したので、碑が立ってる程度、とは聞いた)、帰りがけに見ていこうと思っていたが、断念した。
観戦用に持って行っていたグランパスの合羽をかぶって走ったが、気付いた人が居たとしたら、かなり妙に思えただろうな。
利根川を渡る所は、まともに横風を受けて、本当に大変だった。

前橋駅まで一旦引き返して、しばらく待っていると、雨は上がったので、もう一度自転車で、駅近くを少し流して、上毛電鉄の中央前橋駅などを見に行った。
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17時ころに自転車を返却。駅前のシャトルバスでスタジアムへ、と思っていたが、行列していたし、市内を流しているうちに、何となく土地勘もついてきたので、歩いてしまうことにした。
道草や買い物をして、割とゆっくり歩いたが、1時間で着いた。真剣に歩けば、45分くらいで行けたんじゃないかと思う。街中をゆっくり見れたし、スタジアムの近くでは、天然記念物らしい、岩神の飛岩という奇岩を見ることも出来たので、歩いてよかったと思った。
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結局、雨が降ったのは、国分寺から戻る時だけ。間が悪かったが、時間配分を考えれば、仕方なかったな。

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松江、出雲国分寺

24日は朝から松江市内をぶらついた。
とりあえず一畑電鉄の始発駅、松江しんじ湖温泉駅まで行ってみた。これは出雲大社の前まで行く路線だが、所要時間を考えると、スケジュールが厳しいと判断して、出雲大社へ行くのは止めた。
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松江城はこの近所で、城の建造物が、天守閣を含めてかなりたくさん、そのまま残っている。また、このエリアには市役所や県庁もある。ちなみに、ここから15kmくらいの近距離に島根原発があり、事故が起きたら、福島第一原発とは比べ物にならないくらい、大量の住民が避難しないといけないことになる。(原発を見に行ってみることも、少し考えていたが、これも結局実行しなかった)
県庁の横に原発を管轄してると思しい県の庁舎があり、そこの横には放射能等のモニターの結果が表示されていた。(写真を撮ってみたが、シャッタースピードの関係で、数値はうまく撮れなかった)
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県庁周辺には、竹島がどうとか、みたいな表示が何カ所かにあり(松江駅前にもあった)、そういえば、そういう場所だっけと思った。ただ、その割には、市内にハングル表記が目立つし、韓国(や中国)から観光客をかなり熱心に誘致しようとしてる感じもあった。「政治」と「経済」は別物ってことなんだろう。誘致される側が、どう感じているかはわからないが、市内でそれらしい観光客は結構見かけた。
しばらくぶらついた後、松江駅へ。
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松江駅からは、バスで出雲国分寺跡へ。最寄りバス停は武内神社前という所で、所要時間は15分程度。この神社は今も生きていて、割と元気そうな感じ。
国分寺跡は、バス停のすぐ近くに、方向を示す標識が立っていたので、そのまま道なりに歩いて行くと、山陰道をくぐったすぐ先に見つかった。徒歩10分程度だったと思う。場所を示す標識と説明板以外は、基礎の置石くらいしかなく、雑草が茂ったただの野原。観光施設的なものは何もない(トイレは設置されていたが)、好きなタイプの国分寺跡だった。
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国分寺跡の説明板に、出雲国分寺と武内神社の間には国分尼寺跡があると書かれていたので、それも見ていこうと思ったが、見つけられなかった。それらしい場所はあったが、立ち入ると危険そうな気配(^^;があった。この辺は、寺自体は跡形もないが、武内神社の裏手にあたり、神域?という雰囲気で、そういう種類の薄気味悪さがあった。深入りしなくて賢明だったんだろうと思う。

このあたりの最寄り駅は東松江で、武内神社から徒歩10分強というところ。
東松江に近づくと、大きい橋が見えてきたので行ってみることにしたが、駅舎と線路の反対側にあり、すぐ近くなのに、大きく回り込まないとたどりつけなかった。
これは中海大橋というそうで、松江市内から続く大橋川が中海に接続する場所に掛かっている。しばらく前の車のテレビCMで流れてた「ベタ踏み坂」に似ていた。あれは確か、この近辺だったはずと思ったが、後で調べたら、それは近所の別の橋だった。ただし、この橋も地元では「ベタ踏み坂」として知られているそうで、実際、見た感じは相当な急勾配だった。上がると、かなり怖いらしい。
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橋を眺めた後、東松江駅に戻って、山陰本線で米子へ向かった。
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三河国分寺跡

豊スタへ行く前に、名鉄の国府駅で降りて、三河国分寺跡に寄ってきた。
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道が分かってれば、駅から15分くらいだったと思う。近辺で、区画整理とかの工事をやっていて、道が分かりにくくて、若干、時間をロストしたけど、そんなに大したことはなかった。
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三河国分寺跡は、何もないただの広い野原、と思ったけど、端の方で何か作っているのが見えて、どうやら建物の一部を再建しようとしているらしかった。多分、公園としての整備もやるんじゃないかな。特に計画の説明の立札とかは見当たらなかったが、あまりゆっくり探してる時間もなかったので、どこかにはあったのかもしれない。
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国分寺跡から5分くらいの所に、国分尼寺跡もあった。こっちはもう公園としての整備が終って?いて、建物の再現や、展示館(入らなかった。開いてたかどうかもわからない)もあった。多分、国分寺跡の方にも、こういう建物を作ろうとしているのではないかと。
こっちの方が、風景としては開けていた。いい雰囲気の場所だった。
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Kスタ宮城、陸奥国分寺

せっかくこのタイミングで仙台へ行くんだし、と思って、パリーグのプレーオフ真っ最中のKスタ宮城を見物してきた。
11時前だったので、まだ人影もそんなになかった。

隣の陸上競技場は、確か前世紀に2回入ったことがある。JFLオールスターと旧JFL。
手前に陸上競技場、奥に野球場という構図もなぜか脳裏にくっきり焼き付いている。奥に(確か)宮城球場と書かれたバックネット裏の建物があったはず。その時点では、既にかなり古ぼけた球場のように見えた。
立派になったねえ。もっとも、来年以降、中に入りに来る可能性もあると思ったので、あまり深入りはしなかった。話のタネに、優勝記念グッズのひとつくらい拾っていくかとも考えたが、別にイーグルスを応援してるわけじゃないので、思いとどまった。そもそもスワローズのリュックを持っていたし、場違いだなという抑制が働いた。
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そして、Kスタの近くに陸奥国分寺があることに、今朝(^^;調べて気がついていたので、探しに行った。

誤算は、仙台駅で貰った観光地図が、そこまでカバーしていなかったことだ。Kスタの位置からだいたいこの辺、というところまでしか分からない状態で、木ノ下町内をだいぶ歩き回って、時間をロスしてしまった。ただし、近くまで行けば、立派な案内板などが建っていた、
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薬師堂という立派な建物が残存してるが、これは伊達正宗の時代に再建されたものらしい。本当に昔からあるものは、例によって、土台の痕跡とか、そんなものくらいしか残ってないらしい。あたり一帯は、宅地開発が始まりかけて中断したみたいな感じ。広い原っぱが虫食い状に宅地になっている。開発が始まりかけたタイミングで、史跡保護ということになったのかな。雰囲気的に、ここまで行った国分寺跡の中では、一番敷地の広がりを感じられたけれど、虫食いになっている分、開放感はいまひとつ。
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近所には国分尼寺址もあるというので、そっちも行ってみたが、こちらは後継の現役の立派な国分尼寺が建っていて、かえって昔の様子はよくわからくなっていた。
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三島、伊豆国分寺

伊豆長岡の温泉に行った帰りに、三島に寄って観光。
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まず、伊豆国分寺へ行った。伊豆へ行くことにした時点で、場所を調べたら三島だった。元々、クレマチスの丘へ行くというのが最初にあって、これは三島駅からのアクセスだったので、ちょうどよかった。
国分寺は三島駅から1kmくらいのところだったが、無料のレンタサイクルが駅にあったので、楽勝。
ここは後継の寺が建っていて、寺の裏手に七重塔の礎石ってのが部分的に残っているが、それ以外は面影は何もなかった。今まで行った国分寺跡のように、野原で何もないのではなくて、市街地として開発されてしまっているので、当時はあの辺まで広がっていた?、みたいな、想像のしようもない感じだった。寺もそんなに古いものではなさそうだったし、規模的にも当時と比べて、相当小さくなっている。
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レンタサイクルがあるので、もう少し回ってみた。三嶋大社(伊豆一宮)。
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伊豆国分尼寺は、詳細は分かっていないそうだが、市ケ原廃寺というのが、尼寺跡と考えられているらしい。
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そして、この祐泉時というのが、後継の尼寺だとか。
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その後、クレマチスの丘へ。ここは、基本はクレマチスを目玉にした庭園だが、広い園内には美術館がいくつかあり、写真美術館と、ヴァンジ彫刻庭園美術館と、ベルナール・ビュフェ美術館に寄った。
美術館では、彫刻庭園美術館が一番インパクトがあったかもしれない。やっぱり物がでかいし、重みがあった。
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三島駅に戻って帰った。
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大宰府、筑前国分寺跡

鳥栖対名古屋の試合を見た後、福岡市内で一泊し、翌日は観光。
メインターゲットは筑前国分寺跡。これも大宰府にあることまでしか調べていなかったので、前日の筑後国分寺跡の空振りを考えると、かなり不安になった。ただ、大宰府なので、国分寺が空振りでも天満宮を見ればいいやと思った。
西鉄の太宰府駅で降りたが、時間が早すぎて観光案内所が開いてない。もっとも、天満宮は駅の近くで、道案内も山ほど出てるから、問題なく行けた。
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天満宮の境内にはそれなりに人が居たけど、半分以上、中国人(大陸か台湾かはわからない)の団体旅行客だったようだ。
参道のそこいら中で、梅が枝餅というのを、焼きながら売ってた。焼き売りだから、ここでしか買えんのかなと思ったが、後で、博多駅でも福岡空港でも売っているのを見かけた。
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しかし、朝方は小降りだった雨が、どんどん激しくなってきた。天満宮の中を一回りして、駅に戻ってきた頃には、靴もバッグも水浸し状態。
開いていた観光案内所で、地図を貰って見てみると、国分寺の場所が書いてある。ざっと見て、駅から3kmくらい? 土砂降りの雨を見て、ためらったが、こんな所に来る機会はそうそうないと思って、覚悟を決めて歩き出した。

大宰府の政庁跡は、天満宮と国分寺の真ん中辺にあって、通りすがりだったので寄ってみた。ただこの時間帯は半端でない豪雨で、ほとんどやけになっていたけど(^^;。
政庁跡自体は、ほんとに跡で、ぱっと見、何もない。原っぱが広がってるだけ。平安末期には、もうほとんど何もなくなっていたらしい。でも、近頃、そういう何もない風景も風情があるかなと思っているので、悪くなかった。国分寺址へ行こうとしてるのも、それが理由だし。
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天気が良ければ良かっただろうけど、雨に煙っているのも、遺跡ぽくて味があるかなと思ったり。
近くには展示館があるのも見かけたんだけど、なにせ雨がひどくて、最悪電車が止まっちゃうかも、という懸念もなくもない状況。先を急ぐことにして、寄るのはやめた。

それはそうと、大宰府って、なんとなく海沿いなのかと思っていた。こんな内陸だとは知らなかった。川が近くを流れているので、これで海と繋いでいたのかな、とも思うが、そんなに広い川でもない。もっとも、平安時代以前は、もっと広い川だったのかもしれないが。

そして、豪雨の中をなんとか国分寺にたどり着いた。先に国分尼寺跡があり、ただし、ここも野原。そもそも発見された時点で、礎石が一個残ってただけだったらしい。その礎石も取り外して、近くの展示館へ持って行ったそうだから、本当に何もない原っぱ。
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国分寺は尼寺から300mくらいの所。後継の寺は隣に建ってるが、国分寺跡自体は、やっぱり原っぱ。どこもこうなんだなと改めて思った。
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原っぱを一回りした後、撤退して、西鉄の都府楼前駅へ出て、そこから福岡へ向かった。

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