下野市、下野国分寺跡(5/4)
下野市に観光に行ってきた。ちなみに、市町村合併で下野市というのが出来たのは知ってたが、ニュースなどで地名を聞くたびに、どこ?、と思っていた。今回、ようやく理解した。昔は国分寺町だったりした辺りだったのか。「下野」という市名は大仰に思えたけれど、大昔、下野国の国分寺や国府があったようなエリアだと知れば(国府は隣の栃木市にあったみたいだが)、特に違和感はないかなと思った。
小金井駅。ところで昔から思ってたが、東京は小金井市と国分寺市が隣り合っていているけれど、栃木も小金井駅が国分寺の最寄り駅(というか市町村合併前までは、国分寺町の中心駅?が小金井)というのは、何か意味があるんだろうか。今回行って、要はここも、小金井と国分寺がほぼ隣り合ってる町名だと知ったのでなおさら。
観光の主目的は下野国分寺で、小金井駅前の観光案内所でレンタサイクルを借りて行った。
途中で立ち寄った日酸公園には、丁寧に保存された電車の車両があった(クモエ21001号)。解説看板があったので、読んでみたけれど、なぜこの車両が、駅から離れたここで保存されているのかは、どうもよく分からなかった。特に縁がある場所でもなさそうで、たまたまスペースがあったから、というだけのような。小金井駅は車両基地があるような場所だから、鉄道愛の強い地域と思われるので、保存車両があること自体はそれほど不思議には思わなかったのだけど。
駅から自転車で15分くらいのところに天平の丘公園というのがあり、その中に国分寺跡も国分尼寺跡もあった。公園までは、道筋に丁寧に看板が出ていたので、迷うことはなかった。
国分寺跡も国分尼寺跡も、よく整備されている一方で、広々とした原っぱという雰囲気もしっかりあって、気分よく過ごせる場所だった。しかも公園の一部ということで、すぐ近くにいろいろな施設があったから、便利でもあった。そちらの方へは地元の人たちもおおぜい訪れていて、地域にとけこんだ場所だな、という感じ。関東で見た国分寺跡の中では一番、公園として機能している場所のように思えた。もっとも、見に行った時期がまちまちなので、今は賑やかになっているという場所も、他にあるかもしれないが。
下野国分寺と国分尼寺の全体図
国分寺跡
国分尼寺跡
併設のしもつけ風土記の丘資料館という郷土資料館も寄ってきた。いろいろと興味深い展示があった。下野(栃木)の歴史なんて、ほとんど知らないものな。「東の飛鳥」というのは、下野市がアピール用に作ったキャッチフレーズらしいけれど、少なくともある時期、この付近が政治的に、東国でかなり重要な地域だったらしいことは、よく分かった。
天平の丘公園全体は、下野市の旧国分寺町地域の重要な観光地ということのようだし、国分寺跡・国分寺尼寺跡は、その中の重要な一部として、大切にされているんだな、という感じを受けた。
国分寺跡周辺を一通り見て回った後は、観光地図で、「伝・紫式部の墓」というのが近所にあるのを見つけていたので見に行った。ただ、説明看板を見ると、相当胡散臭いもののように思えた(看板を作った市自体も、それは認識している模様)。由来の分からない墓があり、周辺の地名が「紫」なので、そういうことになった、とかいうことらしい。とはいえ、道案内も含め、看板が充実していて、観光名所として強くアピールしているようにも思えた。地元的にはどういう感覚なんだろうな。
駅近くに戻って、最後に日光街道の小金井宿本陣というのを見に行った。
閉ざされた屋敷の門に表札的なものが掛けられているだけだった。周辺には崩れかけた古い家屋があった。これが宿場町の名残なんだろうかと思った。
この後、小金井駅へ戻り、電車で帰ってきた。
これで関東の国分寺跡は全部行ったことになる。最初に五井の上総国分寺へ行ってから、ちょうど20年だった。いつもついででまわって来ただけで、国分寺跡を見に行くのを主目的にしたのは、今回が初めてだったのだけど、ひとつの目標をクリアしたような達成感はなんとなくある(^^;。
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