石岡、常陸国分寺跡

水戸へ行く前に、常陸国分寺跡のある石岡に立ち寄った。

石岡駅
20170902isioka

石岡は過去二度寄ってるが、短時間立ち寄っただけで、どういう土地か、全く知らなかった。国府や国分寺や総社があって、常陸の中心地のような時期もあったとは、初めて知った。
駅の観光案内所で地図を貰い、街中を歩いて「府中」「国分」という地名を見ると、古都があったんだな、という感じがしてきた。古い建物もそこここにある、北関東の小都市らしい街並みもあったし、半日くらいは見て回れそうな感じだったが、1時間弱しか時間がなかったので、そそくさと通り過ぎるしかなかった。
20170902juutaku

国分寺跡は駅から徒歩15分くらい。看板が出ていたので、国道355号沿いに行って、すぐに見つけられた。
20170902kanban1
現役の常陸国分寺も隣接して建っていたが、入り方がよくわからなかったと、時間もなかったのでパス。広い敷地を現役の国分寺と、国分寺跡などのエリアで区切っていた感じ。国分寺跡のエリアには、いろんな古い建物や石碑(国分寺関連なものや、そうでないものや)が建っていて、手入れはされているものの、そこそこ朽ちている感じもあり、かなりカオスな雰囲気だった。こういう国分寺跡は初めて見た。
20170902tera
20170902naka

国分寺の看板や石碑
20170902kokubunji_2
20170902setumei
20170902kondo
20170902kodo

国分尼寺も近くにあるらしく、探してみたが見つけられず。駅へ引き返し始めて、ようやく355号沿いの道端に矢印の看板を見つけたが、時間的に無理と判断してパスした。次回…はあるかなあ。まあ、ついでに寄るのではなくて、石岡周辺を目的地にして、一度行ってみてもいいかもと、少し思ってはいるけれど。
20170902kanban2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

熊本、肥後国分寺跡

熊本城を出た後、市電沿いに水前寺方面へ向かった。
20170731kumamon

目標は肥後国分寺跡。
事前にある程度リサーチしていたので、薄々分かってはいたが、想像以上にささやかな場所だった。市電の水前寺公園駅近くというのは押さえていたし、それは間違っていなかったが、見つけるのに結構てこずった。気付いた範囲では、近所に場所を示す看板等は一切なかったので。それもそうだろうなと、現地に着いてみて思ったが。

国分寺跡にまつわるものは、大きめの礎石が1個だけ。しかも、場所は移動していると思われる、という但し書付き。それが熊野坐神社という所の境内に置かれているが、ここ自体が、街中にポツンとある、神主も常駐していないと思われる小さな神社。比較的大きい通りに面していたし、神社の名前も抑えていたから、通りかかってすぐに気づいたが、何も知らなかったら、ここが国分寺関連の場所とは、多分、わからない。

礎石 神社に入って、すぐ右手にあった
20170731soseki
熊野坐神社
20170731jinja

現在も稼働している肥後国分寺も、熊野坐神社のすぐそばにあるが、裏通りなので、すぐには分からなかった。ここも、街中の小さいお寺。昔の国分寺を継承した寺ではあるんだろうと思うけれど、相当スケールダウンしている。
塀には、かつての国分寺をイメージしたと思われるイラストが、2枚掲示されていた。
20170731kokubunji
20170731saigen
20170731tou

ただし、このお寺は、割とユニークな活動をしている感じだった。塀には、7/29のシューマン忌というイベントのチラシも、掲示されていた(ドイツの音楽家のシューマン)。シューマンの戒名は蕗帯院亜歴朱満居士らしい。

まあ、このスケールでは、観光名所にも史跡扱いにもなっていないのは、無理もない。礎石の脇の説明板は、熊本市が立てたものらしいが。
今まで見た国分寺跡の中では、一番、何もなかった所かな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

久留米、筑後国分寺跡

タマスタ筑後へ行く前に、久留米で降りて、寄り道。
久留米は2013年に鳥栖に行った時も寄ったが、あまり時間が取れなくて、JR駅近くの久留米城跡をササッと回ったくらいだった。今回の目的は筑後国分寺跡。
西鉄久留米で降りて徒歩。久留米はJRよりも西鉄周辺の方が繁華街というのが分かった。
20170618nisitetukurume

国分寺跡までは、道を探しながら30分くらいかけて行ったが、はっきりわかってれば、もう少し早かったはず。そもそも、西鉄にもJRにも、もっと近い駅がある。もっともJRは久大本線だから、あまり使えない駅かも。

筑後国分寺跡は日吉神社という所の境内の一角にあった。分かって行かないと、見つけにくそう。周辺に看板の類いは見当たらず、地図から判断して、この辺のはずと思って、神社の境内に入って見回して、ようやく見付けた。跡地の前には説明板が立っていた。もっとも、日吉神社の中にあると知っていれば、行くのは問題ないか。
遺構としては礎石がいくつか残ってるだけという、毎度のパターン。ただ、実質的に別の神社が跡に建ってるという形なので、いまいち面白くなかった。周辺が住宅地というのも含めて、最近行った中では、出羽国分寺跡の印象に似てた。
なお、礎石の背後に、大きな石碑が建っていて、碑文が刻まれていたが、近寄ってじっくり見ることが出来なかった。写真も撮ってみたが、文字が摩耗している上、字体も古くて読めなかった。
20170618kanban
20170618ato
20170618soseki
20170618soujiato
2013年に久留米に来た時、市の観光地図に国分寺跡が載ってないなと思ったが、現地を見て、確かに久留米市は、ここを地図に載せるような扱いはしてないな、という感じがした。まあ、観光資源が、他にいくらでもある街みたいだから、この程度の場所をアピールする必要もないんだろう。
ちなみに、筑後国分寺は、市内の別の場所に、今も生きてる後継の寺もある。時間がなかったので、今回はそちらはパスした。後継の寺には、元々、それほど興味がないことでもあり。

説明板には国分寺尼寺跡の記載もあり、事前に地図でも調べてあったので、行ってみたが、こっちの存在感の無さはもっと凄かった。住宅地のまん中に、敷地を切り欠いて建てた石碑が1本建ってるだけ。しかも「国分寺跡」としか書いてないので、ここで合ってるのか?、と思うくらい。尼寺跡は、こういう、わかりにくいのが多いね。
20170618niji

JRの久留米駅へ出て、筑後船小屋へ向かったが、途中、西鉄久留米をかすめるルートになった。西鉄とJRの駅間は徒歩30分くらいの距離だった感じ。
20170618jrkurume

| | コメント (0) | トラックバック (0)

尾張国分寺跡

美濃国分寺跡の後に行った。ここも車で連れて行ってもらったが、名鉄国府宮駅から行けることは分かった。駅からはちょっと遠いが、近くまでバスがあるらしい。近所に比較的有名なスポット(矢合観音)もあるようなので、アクセスにはそんなに困らないんだろう。

ここは、美濃に比べると、衝撃的なくらい、何もなかった(^^;。
50平米もなさそうなくらいの空地に、塔の土台の石が数点、地面の上に顔を出していて、近くに「尾張国分寺塔跡」と刻まれた石碑が建っているだけ。石碑も、正面からは写真が撮れない状態。
この周辺に広がる国分寺跡全域の調査は行われたそうだが、周辺は私有地なので、その状態が維持されていない。あまり頻繁に人が出入りするのも、望ましくないのかもしれない。もっとも、私有地と言っても植木畑だし、遺構も、埋まってさえいれば、破壊されるようなこともないだろうから、それでいいのかもしれない。
広々とした空き地というのが国分寺跡のイメージだけど、何もなくなって埋没してるという意味では同じことかな。これはこれで悪くない。
20170604owarianai
20170604owarihiroba
20170604owarisekihi

なお、今回使ったルートは、途中に道案内の看板などは出ていなくて、小道に入り込んだ所に、ようやく「塔跡」という矢印が出ているだけだった(「尾張国分寺」とも書いてない)。ちゃんと分かっていないと、たどり着くのは相当厳しいなと思ったし、何もない感をさらに強めたんだが、後で調べると、案内板が出ているルートもあったらしい。
近所には、現在稼働している国分寺が建っていて、そちらにも案内のようなものはあったのかもしれないが、時間がなかったので、寄らなかった。
名古屋からそう遠くない場所なので、また行く機会はあるかもしれないし、その時は、もう少し、周辺を見てこようかと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

美濃国分寺跡

豊田スタジアムに行った翌日に、ついでに寄ってきた。
今回は車で連れて行ってもらったので、自力でアクセスする方法はよくわかってないが、美濃赤坂駅が割と近いらしい。美濃赤坂駅にはレンタサイクルがあるらしい。

公園として整備されているけれど、建物は特に何もない状態で、今まで行った国分寺跡の中では、標準的なレベルという感じかな。整備はされているけど、山並みを背景に広々した空き地が広がっていて、天気も良かったし、気分のいい場所だった。
20170604kanban
20170604isi
20170604annai
20170604zenkei
20170604kinkei
20170604sekihi
隣に建っていた大垣市歴史民俗資料館では、全国の国分寺を写真付きで丁寧に紹介していて、とても面白かった。こういう資料館は、割といつも、時間に追われるようにして行っていることもあり、ほとんど入ったことがないが(入ったことがあるのは、4月に行った上野国分寺跡くらい)、結構面白いのかもしれない。

隣には後継寺院の国分寺が建っていたが、稼働中(^^;のお寺には、それほど興味がないので、外から見ただけ。
20170604kokubunji

近所には国分尼寺跡(推定)もあった。ただし、こちらは石碑以外は何もない。ここにある、と分かっていて行かないと、見つけるのはかなり難しそう。隣接した寺(願證寺、威徳寺)の一隅に建っている、みたいな感じだった。
20170604niji

| | コメント (0) | トラックバック (0)

山形、出羽国分寺

夜行バスで新宿から山形へ。山形駅前に早朝に着いたら寒い。こっちの感覚で行ったら寒いかも、とは思っていたが、土曜のこっちが暑すぎるくらいだったもので、そこから一段階下げたくらいでは足りなかった。耐えられない寒さ、というほどではなかったが。
20170507yamagata
山形は、何度も行ってる割に、「山形市」自体は立ち寄るくらいで、あまり市内のことを知らない。駅前通りを流したことがあったくらい。今回はなにしろ朝一で着いて、試合は14時だったから、時間はあった。今まで行ったことのない市内をうろついてみた。

とりあえず、市の中心部に初めて足を踏み入れた。市内で一番の繁華街らしい七日町界隈を通り抜け、出羽国分寺へ向かった。国分寺は、駅からまっすぐ行けば、多分徒歩30分くらいで、市街地の中にあった。
出羽国分寺が元々あったのはここではなく、はっきりわかっていないある時期以降、移転してきたということらしい。国分寺が作られていた時代は、まだ朝廷が東北を、完全には制圧していなかったわけだから、そういうこともあるだろうな。移転前の場所は鶴岡だったらしいが、それも完全には確定していないらしい。
(参考 → 護国山 柏山寺(出羽国分寺・その3)
現地の表示は、「国分寺」というより、「国分寺薬師堂」がメイン。今も現役の寺が存在していて(護国山 柏山寺)、どうやらお祭りがあるらしく、境内ではその準備が行われていた。古風なお化け屋敷や迷路の設営も始まっていた。寺に隣接して公園があり、球技場も見えた。
20170507yakusido
20170507kokubuunji
20170507emgi
生きている国分寺には、あまり興味が持てないので(^^;、ざっと一回りしたくらいで撤収した。

文翔館の前を通過して霞城公園へ。ちなみに文翔館は明治時代の建物で、旧県庁・旧県会議事堂だそう。後で詳細を知って、立ち寄っても良かったかなと思ったが、ちょっと時間が足りなかったかもしれない。
霞城公園は山形城址。城は明治の初めに取り壊されたそうで、比較的近年に整備された門や塀はあるが、天守閣などはない。
20170507higasi
20170507yagura
公園内にあった山形市郷土館(旧済生館本館)。ここは入ってみた。これも明治時代の建物。
20170507yakata
霞城公園の隣には、最上義光歴史館という立派な建物もあった。最上義光というのは、関ヶ原の合戦の時に、米沢から攻めて来た直江の軍勢を撃退して、山形を守った武将なんだそうで、公園のあたりに、やたらと銅像が建っていた。
山形市郷土館には、明治維新後に任命された最初の県令・三島通庸は偉かったという記事が並べられた部屋があったし、試合後に山形市内に戻った時には、水野元宣という、山形藩の最後の筆頭家老(実質的に藩政を取り仕切っていたとのこと)だった人物を称える神社(豊烈神社)を見つけた。この人は、戊辰戦争の時に、朝廷軍に侵攻されそうになった時、自分が全責任をかぶって刑死して、山形藩を救ったそうだ。
こういうものだけを見ていると、個人崇拝の傾向が強い土地柄なのかなと思ってしまうが、郷土の英雄に手厚いのは、どこの土地でも同じかもしれない。
ちなみに、水野元宣がそういう状況に追い込まれたのは、隣接する大藩の米沢に振り回されたといういきさつがあったそうで、最上義光の件といい、山形と米沢は仲が悪いと聞いてるが、そりゃそうだろうな、と思った。

霞城公園を抜けて、駅へ戻って、天童へ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

前橋、上野国分寺

前橋は、過去に何度も行ったことがある都市だが、前橋駅にアクセスしたことは、多分なくて、街の中心部がどんな感じなのか、全く知らなかった。今回は前橋駅で降りて、早めに行っていたこともあり、市内を流してみた。
20170429eki1
20170429eki2
観光案内所で貰った地図を見て、萩原朔太郎とかの文学碑がいろいろあるのや、前橋城址(前橋公園)が目に止まったが、いまひとつ気が乗らずにいたところで、上野国分寺に気が付いた。歩いて行くのはちょっと無理だったが、前橋駅にレンタサイクルがあったことを思い出して、借りることにした。1日200円で、19時まで。
その自転車で国分寺へ向かったが、この頃から空模様が急激に怪しくなり、とりあえず北からの強風を受けながら走ることになった。道を探りながら行ったこともあり、多少時間はかかったが、30分はかからなかったはず。
20170429kokubunji
20170429kokubunjiato
20170429hi
上野国分寺跡は、今まで行った国分寺跡の中では、何もない感は中間くらいか。
礎石などは結構残っていて(一部は、露出した状態でもずっと残っていて、地域の人に大切にされていたらしい、とのこと)、発掘調査された時点で、割と丹念に整備されていた。まあ、これは割とどこでもそういう感じ。
ただし、跡地を取り巻く塀が一部復元されていた以外は、構造物の復元はなかったし、後継の寺などもなく、市街地から外れた場所なので、ほぼ一面の原っぱ状態。
まあ、そもそも、そういうところ(1000年も経つと、なにもなくなっちゃうんだよな、というところ)が好きで、国分寺跡に行っているわけなので、良かったと思う。

現地を見た後、近くにあった資料館は無料だったので、入ったら、他に見物人が居なかったこともあり、案内のおじさんが丁寧に説明をしてくれた。

市内へ引き上げかけた所で、ついに雨が降り始めた。それほど強くはないにしても、雨具がないと厳しいレベル。風は暴風で、雷も鳴り始め、さすが上州、という感じ。近所に国分尼寺跡もあると聞いたので(発掘調査後埋め戻したので、碑が立ってる程度、とは聞いた)、帰りがけに見ていこうと思っていたが、断念した。
観戦用に持って行っていたグランパスの合羽をかぶって走ったが、気付いた人が居たとしたら、かなり妙に思えただろうな。
利根川を渡る所は、まともに横風を受けて、本当に大変だった。

前橋駅まで一旦引き返して、しばらく待っていると、雨は上がったので、もう一度自転車で、駅近くを少し流して、上毛電鉄の中央前橋駅などを見に行った。
20170429chuuoueki
17時ころに自転車を返却。駅前のシャトルバスでスタジアムへ、と思っていたが、行列していたし、市内を流しているうちに、何となく土地勘もついてきたので、歩いてしまうことにした。
道草や買い物をして、割とゆっくり歩いたが、1時間で着いた。真剣に歩けば、45分くらいで行けたんじゃないかと思う。街中をゆっくり見れたし、スタジアムの近くでは、天然記念物らしい、岩神の飛岩という奇岩を見ることも出来たので、歩いてよかったと思った。
20170429toiisi
結局、雨が降ったのは、国分寺から戻る時だけ。間が悪かったが、時間配分を考えれば、仕方なかったな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

松江、出雲国分寺

24日は朝から松江市内をぶらついた。
とりあえず一畑電鉄の始発駅、松江しんじ湖温泉駅まで行ってみた。これは出雲大社の前まで行く路線だが、所要時間を考えると、スケジュールが厳しいと判断して、出雲大社へ行くのは止めた。
20160725matsueitibata
松江城はこの近所で、城の建造物が、天守閣を含めてかなりたくさん、そのまま残っている。また、このエリアには市役所や県庁もある。ちなみに、ここから15kmくらいの近距離に島根原発があり、事故が起きたら、福島第一原発とは比べ物にならないくらい、大量の住民が避難しないといけないことになる。(原発を見に行ってみることも、少し考えていたが、これも結局実行しなかった)
県庁の横に原発を管轄してると思しい県の庁舎があり、そこの横には放射能等のモニターの結果が表示されていた。(写真を撮ってみたが、シャッタースピードの関係で、数値はうまく撮れなかった)
20160725matsuegenpatu
県庁周辺には、竹島がどうとか、みたいな表示が何カ所かにあり(松江駅前にもあった)、そういえば、そういう場所だっけと思った。ただ、その割には、市内にハングル表記が目立つし、韓国(や中国)から観光客をかなり熱心に誘致しようとしてる感じもあった。「政治」と「経済」は別物ってことなんだろう。誘致される側が、どう感じているかはわからないが、市内でそれらしい観光客は結構見かけた。
しばらくぶらついた後、松江駅へ。
20160725matsue
松江駅からは、バスで出雲国分寺跡へ。最寄りバス停は武内神社前という所で、所要時間は15分程度。この神社は今も生きていて、割と元気そうな感じ。
国分寺跡は、バス停のすぐ近くに、方向を示す標識が立っていたので、そのまま道なりに歩いて行くと、山陰道をくぐったすぐ先に見つかった。徒歩10分程度だったと思う。場所を示す標識と説明板以外は、基礎の置石くらいしかなく、雑草が茂ったただの野原。観光施設的なものは何もない(トイレは設置されていたが)、好きなタイプの国分寺跡だった。
20160725kkbhi
20160725kkbato
国分寺跡の説明板に、出雲国分寺と武内神社の間には国分尼寺跡があると書かれていたので、それも見ていこうと思ったが、見つけられなかった。それらしい場所はあったが、立ち入ると危険そうな気配(^^;があった。この辺は、寺自体は跡形もないが、武内神社の裏手にあたり、神域?という雰囲気で、そういう種類の薄気味悪さがあった。深入りしなくて賢明だったんだろうと思う。

このあたりの最寄り駅は東松江で、武内神社から徒歩10分強というところ。
東松江に近づくと、大きい橋が見えてきたので行ってみることにしたが、駅舎と線路の反対側にあり、すぐ近くなのに、大きく回り込まないとたどりつけなかった。
これは中海大橋というそうで、松江市内から続く大橋川が中海に接続する場所に掛かっている。しばらく前の車のテレビCMで流れてた「ベタ踏み坂」に似ていた。あれは確か、この近辺だったはずと思ったが、後で調べたら、それは近所の別の橋だった。ただし、この橋も地元では「ベタ踏み坂」として知られているそうで、実際、見た感じは相当な急勾配だった。上がると、かなり怖いらしい。
20160725higasihasi
橋を眺めた後、東松江駅に戻って、山陰本線で米子へ向かった。
20160725higasimatue

| | コメント (0) | トラックバック (0)

三河国分寺跡

豊スタへ行く前に、名鉄の国府駅で降りて、三河国分寺跡に寄ってきた。
1926268438_230
道が分かってれば、駅から15分くらいだったと思う。近辺で、区画整理とかの工事をやっていて、道が分かりにくくて、若干、時間をロストしたけど、そんなに大したことはなかった。
20140510kanban
20140510douhyou

三河国分寺跡は、何もないただの広い野原、と思ったけど、端の方で何か作っているのが見えて、どうやら建物の一部を再建しようとしているらしかった。多分、公園としての整備もやるんじゃないかな。特に計画の説明の立札とかは見当たらなかったが、あまりゆっくり探してる時間もなかったので、どこかにはあったのかもしれない。
1926268249_68
1926268249_160
1926268249_188

国分寺跡から5分くらいの所に、国分尼寺跡もあった。こっちはもう公園としての整備が終って?いて、建物の再現や、展示館(入らなかった。開いてたかどうかもわからない)もあった。多分、国分寺跡の方にも、こういう建物を作ろうとしているのではないかと。
こっちの方が、風景としては開けていた。いい雰囲気の場所だった。
1926268438_155
1926268438_174
20140510nijisetumei

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Kスタ宮城、陸奥国分寺

せっかくこのタイミングで仙台へ行くんだし、と思って、パリーグのプレーオフ真っ最中のKスタ宮城を見物してきた。
11時前だったので、まだ人影もそんなになかった。

隣の陸上競技場は、確か前世紀に2回入ったことがある。JFLオールスターと旧JFL。
手前に陸上競技場、奥に野球場という構図もなぜか脳裏にくっきり焼き付いている。奥に(確か)宮城球場と書かれたバックネット裏の建物があったはず。その時点では、既にかなり古ぼけた球場のように見えた。
立派になったねえ。もっとも、来年以降、中に入りに来る可能性もあると思ったので、あまり深入りはしなかった。話のタネに、優勝記念グッズのひとつくらい拾っていくかとも考えたが、別にイーグルスを応援してるわけじゃないので、思いとどまった。そもそもスワローズのリュックを持っていたし、場違いだなという抑制が働いた。
1914325105_30
1914325105_204
1914325105_221

そして、Kスタの近くに陸奥国分寺があることに、今朝(^^;調べて気がついていたので、探しに行った。

誤算は、仙台駅で貰った観光地図が、そこまでカバーしていなかったことだ。Kスタの位置からだいたいこの辺、というところまでしか分からない状態で、木ノ下町内をだいぶ歩き回って、時間をロスしてしまった。ただし、近くまで行けば、立派な案内板などが建っていた、
20131019tizu
薬師堂という立派な建物が残存してるが、これは伊達正宗の時代に再建されたものらしい。本当に昔からあるものは、例によって、土台の痕跡とか、そんなものくらいしか残ってないらしい。あたり一帯は、宅地開発が始まりかけて中断したみたいな感じ。広い原っぱが虫食い状に宅地になっている。開発が始まりかけたタイミングで、史跡保護ということになったのかな。雰囲気的に、ここまで行った国分寺跡の中では、一番敷地の広がりを感じられたけれど、虫食いになっている分、開放感はいまひとつ。
1914326387_19
1914326387_74
1914326387_164

近所には国分尼寺址もあるというので、そっちも行ってみたが、こちらは後継の現役の立派な国分尼寺が建っていて、かえって昔の様子はよくわからくなっていた。
20131019niji
20131019nijikanban

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧