感想「ネロ・ウルフの事件簿 ようこそ、死のパーティーへ」

「ネロ・ウルフの事件簿 ようこそ、死のパーティーへ」 レックス・スタウト 論創社
論創社が刊行しているネロ・ウルフ中編集の第2集。2015年に出たもので、当時読んだが、感想をまとめそこなっていた。先日、「ネロ・ウルフの災難 女難編」を読んだついでに、再読してまとめ直しておくことにした。

収録作品は「ようこそ、死のパーティーへ」「翼の生えた拳銃」「『ダズル・ダン』殺害事件」の3篇。すべて既訳があり、既訳の訳題は「死の招待」「翼のある拳銃」「ヒーローは死んだ」。ネロ・ウルフものは長篇は確実に全部読んでいるが、中篇は多分そうでもなくて、この3作のうち、前の2つは以前読んだことがあるが、3つ目はこの本で読んだのが初読だった可能性がある。ただ、例によって、ネロ・ウルフものは、既読でも内容を忘れてしまうので、あんまり関係ない気もする。なんせ、今回の3篇も、2015年に確かに読んだはずなのに、どういう話だったっけ?と思ってしまった始末だから。

「ようこそ、死のパーティーへ」
脅迫されているので犯人を突き止めて欲しいと、ウルフに依頼してきた女性が、突然破傷風で死亡。自然死のように見えたが、被害者の弟がこれを殺人と主張したことから、ウルフとアーチーがかかわっていくことになる。
殺人のトリックがかなり独創的で、トリック集成のような所に、取り上げられそうに思えるもの。事件があってウルフが動き出すという形ではなく、ウルフが関わったのちに事件が始まるという展開になっているのも面白い。長篇ではそれほど珍しくないパターンのような気がするが、尺が短い中篇ではあまりないんじゃないかな。他にも、解決につながる手がかりが二重に解釈できて、そこが引っ掛けになっていたり、ウルフが料理のアドバイスをしてくれた女性を、すっかり気に入ってしまったり、いろいろと読みどころが多い。
黒い蘭にまつわるエピソードが唐突に放り込まれていて、これに関してはアーチーが頭を悩ますだけで、解答が得られないまま終わるが、スタウトにはどういう意図があったんだろうか。解決篇的な作品を、この後、さらに書くつもりがあったのか、単に気まぐれで、他の作品との連続感を出してみただけなのか。ウルフものの作風を見ていると、後者のような気はする。

「翼の生えた拳銃」
夫が自殺した女性が恋人と結婚しようとするが、夫の自殺現場にはこの二人だけが気付いた不審な点があり、実は自殺ではなく殺人で、殺したのは相方ではないかという疑念を、双方が捨て切れないことから、そうではないことを証明して欲しいと、ウルフのもとへやってくる。
依頼内容の特殊さに面白さがあるし、自分で勝手に動くはずのない拳銃の位置が動いた謎を解いていく過程の展開もいい。事件を解決するために、ウルフが依頼人を追い込む結構ひどいやり口や、アーチーの抜け目なさも楽しく、シリーズのファンとしては、上位に置きたい中篇じゃないかと思う。

「『ダズル・ダン』殺害事件」
人気コミックの作者の依頼で、拳銃が盗まれた事件の解決を手伝うために、アーチーが出向いた先で殺人事件が起き、依頼者の嘘の供述からアーチーが犯人と目されてしまい、ウルフも私立探偵免許の停止を受ける。
事件が進行している最中も、だいぶややこしい話に見えるが、解決した後も、犯人が必要以上にめんどくさい計画を立てていたように思えて、あまりすっきりしない。しかも犯人は、その割には、だいぶズサンなこともしている。コミックの製作現場が舞台になっているが、必然性がいまひとつ見えない。唯一、これがあるからこの舞台か?と思える、コミックの内容が手がかりになるくだりも、かなり無理やり結び付けているとしか思えない。あまりよい出来の作品ではないと思う。
(2019.3.10)

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感想「ネロ・ウルフの災難 女難編」

「ネロ・ウルフの災難 女難編」 レックス・スタウト 論創社
論創社から出た4冊目のネロ・ウルフもの中篇集。3篇収録の内訳は、商業出版としては確か初訳の「悪魔の死」、「EQ」に訳載された「第三の殺人法」の改訳「殺人規則その三」、「EQ」に訳載された「スイートコーン殺人事件」の改訳「トウモロコシとコロシ」。

「悪魔の死」
女性の依頼人が、自分は夫を殺すつもりはないとウルフに向かって宣言していた時、その夫が他殺死体で見つかっていた、という話。ハッタリの効いた導入部には引き込まれるが、いろいろ探った上での決着ではあるものの、解決もウルフのハッタリ一発という感じはしないでもない。この辺のちょっと薄い感じが邦訳が遅れた原因かな?

「殺人規則その三」
アーチーがウルフと喧嘩して、辞職しますと言って玄関を出た所で、他殺死体を抱えてやってきた女性につかまり、アーチーがウルフを助手に(アーチーが「辞職」した手前、そういう形に)、この女性を依頼人として、事件の犯人を探すことになる話。
登場人物が奇矯な人間だらけなのと、人間関係がややこしい上に、尺が短いので、なんでそういう事件になったのかというのが、いまいち説明不足な感があるが、解決は結構すっきりしている。

「トウモロコシとコロシ」
アーチーと親しい女性がその場しのぎの出まかせの証言をしたせいで、アーチーが殺人事件の最有力容疑者になる話。
しっかりした話の作りになっていて、邦題はヒドイが、内容としては3篇の中でベストと思う。
ヒロインの奔放なキャラクターと、アーチーとの絡みが楽しい。それから、リリー・ローワンがいい味を出している。

全作再読のはずなんだけれども、例によって、スタウトは読んだら忘れてしまうので、全然問題なく楽しんで読めた。多分、前回読んでから、「殺人規則」は20年以上、「トウモロコシ」は30年くらいは経ってるから、忘れてて当たり前かもしれない。比較的近年読んだつもりでいた「悪魔」も、読んでから10年以上経っているらしいし。

ちなみに、小説自体は楽しめたので、翻訳の雰囲気も含め(ネロ・ウルフものは、ここが結構重要)本文には特に不満は感じなかったのだけど、タイトルの付け方とか、帯のセンスとか、巻末の作品リストの粗さとか、本造りのそれ以外の部分には、いろいろ言いたいことはある(そのうち、追記するかも)。

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感想「長く暗い魂のティータイム」

「長く暗い魂のティータイム」 ダグラス・アダムズ 河出文庫
「ダーク・ジェントリー全体論的探偵事務所」に続く、私立探偵ダーク・ジェントリーのシリーズ第2作。
今回も主人公のダークが巻き込まれるのは、一般的なミステリで扱うような事件ではなく、北欧の神々が関わって次々起きる異常な出来事。訳者あとがきでは「ミステリー」と言われてるが(純然たるミステリーとしては粗が目立つ、という書き方だけれど)、自分としてはミステリとは言いにくい。前作のようなSF的な趣向も薄いし、まあ、ナンセンスなコメディというしかないかなと。それこそ著者が関わっていたこともあるという、モンティ・パイソンのような。全体的なセンスも、前作同様、モンティ・パイソンぽい。
人間の想像力が作り出した「不死」の神々は、不死なので今も生きてるが、現代では人間が顧みなくなったせいで、人間の世界の中で悲惨な状況で生きている、という発想がベースになっている話。
イメージや個々のシーンはかなり面白いが、プロットはかなり雑。意味ありげに最初の方に出てくる殺人事件の被害者の息子とか、その後、全く姿が見えないから、あの場面のドタバタを書きたかっただけ?、という感じだし、その殺人事件そのものの説明も、結局、分かったような分からないような。書いているうちに、最初の方の細かい所がどっかへ行っちゃってる気がする。もっとも、モンティ・パイソンのコントだと思えば、そんなものかも。
あとはやっぱり、こういうタイプのコメディ小説は、翻訳で面白さを伝えきるのは厳しいなと。文脈を追って、ああそういうひねった書き方なのね、と思うけど、すっと入って来ないから笑えない、みたいなところがそこここにあった。この辺は、よっぽど達者な翻訳家がやるか、割り切って翻案に近い翻訳にでもしない限り、どうしようもないと思っているが、前作ほど小説としての完成度が高くない、と感じられた分だけ、そういう所が気になってしまった感じ。
(2019.2.18)

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感想「さらば、シェヘラザード」

「さらば、シェヘラザード」 ドナルド・E・ウエストレイク 国書刊行会
ウエストレイクの初期の未訳作の翻訳。昨年6月に邦訳刊行されていたことに、年末に気付いた。書名は知っていたし、基本、ウエストレイクは見つけたら読む作家だから、買って読んだのだけれども、あとがきに書かれている、一部のミステリファンの間で伝説の作品だった、というのは知らなかった。90年代半ばくらいまでは、ミステリファンのコミュニティに、ある程度、繋がっていたけれど、そういう話を聞く機会はなかった。その後、1997年に若島正がミステリマガジンで本書を激賞して、さらに盛り上がったそうなのだけど、その頃にはもう、コミュニティとはほとんど切れていたし、ミステリマガジンを読むのもやめていたから、当然それは知らない。

ミステリじゃなくて普通小説。原著は1970年の刊行で、ドートマンダーもの第1作の「ホットロック」が出たのが同じ年。それも含め、著作リストを見ると、ちょっと転機があった時期、というふうに見える。
ポルノ小説のゴーストライトをやっていたライターが、締め切り目前で小説が書けなくなり、窮地に陥って悶々とする話。
出だしはそれこそ「ホットロック」のような、軽快なコメディ小説なのだが、話が進んで行くうちに、事態がどんどんとんでもない方向に進んで行く。一人称の主人公の語りと、彼が書く小説の内容が、かわるがわる出てくるが、次第にその境目が混然としてきて、不条理な雰囲気が強くなっていって、最終的には追い詰められた主人公の人格が崩壊したかのような状況にたどりつく。
それでも最後までコメディはコメディだし、主人公の苦闘ぶりがうまく書かれているので、すらすら読めて、面白い(もちろん、達者な翻訳の功績は大きいと思う。訳者は矢口誠)。そもそも、不条理なコメディというのは、ウエストレイクの芸風のうちだから、怪作と書かれているけれど、それほど意外な内容ではない気がする。

改めて著作リストを見てみると、ウエストレイクは、1970年前後の時期の作品が、一番面白いように思える。そう考えると、キャリアの中で彼が一番乗っていた時期なので、こういうややこしい構造の小説も、スイスイ書けたのかな、と思った。本の作りにいろいろと仕掛けがあるあたりにも、作家の勢いが感じられるような気がする。
ウエストレイクは(スターク名義も含めて)60年代前半の初期の犯罪小説が、スタイリッシュで格好よくて好きだけれど、本領は、こういう技巧的な小説にあるように思う。
(2019.2.3)

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感想「精神病院の殺人」

「精神病院の殺人」 ジョナサン・ラティマー 論創社
1935年に原著が刊行されたビル・クレインものの第1作。去年末に邦訳が刊行された。シリーズは全5作で、他の4冊は邦訳刊行済で既読。

精神病院に入院中の老女が手元に置いていた金庫が盗まれ、それを探すために、クレインが精神病患者を装って病院に入院するが、こっそり事件を調査しているうち、殺人事件が起きて巻き込まれる。
ハードボイルドと本格ミステリの中間に位置すると思えるシリーズだが、本書は謎解きを意識したプロットがかなりしっかり構成されていて、本格ミステリ側に引き寄せて論じられても、特に違和感は感じない内容と思った。クレインがやたらとオーギュスト・デュパンに言及しつつ、アクロバット的な推理を披露するあたりからも、著者に本格ミステリ的なスタイルへの意識があるのは明らか、という気はする。

ただ、これがシリーズ第1作ということを考えると、それほど単純ではないようにも思える。
シリーズの中では、本書が最も本格ミステリ寄りと思えるし(と言いつつ、「モルグの女」「処刑六日前」を最後に読んだのは大昔で、ろくに内容を覚えてないから、自信を持って言うには、そちらを読み直してみる必要があるだろうなあ)、2作目以降、その方向性が薄まっていくとすれば、著者が本格ミステリ的な小説を書こうとしていたという想定は、そう簡単には出来ない気がする。第1作でとりあえず様子をうかがって、次作以降でより自分のカラーを出していったとも考えられるし、デュパンへの言及が多いのも、まずは本格ミステリの読者層を意識した仕掛けだったのかもしれない。
また、シリーズ第1作ということは、読者はクレインというキャラクターに初めて接したわけで、冒頭でクレインは精神病患者を偽装して登場するが、これが本当に偽装なのか、実は名探偵気取りの本物の誇大妄想の患者なのか、少なくとも途中までは判断がつかなかったはず。実はそういう効果も狙っていたかもしれない。そのあたりも含めて、かなりハッタリを効かせた作品だったんじゃないだろうか。後続の作品を読んでしまっている身には、実感しにくいのだけど。
本書については、そういう所も意識して考えないと、間違った結論に行ってしまう可能性があるんじゃないか、ということを思った。

後続の作品を読んでいる読者にとっては、病院に患者として潜り込みながら、酒を手に入れて飲みまくるクレインは、いかにもいつもの姿だな、という感じだけれど、これが初見だった読者にとっては、どう感じられたのかな、と思う。とはいえ、さすがに病院患者なので、本書ではクレインも、酒以外で愉しむ場面はあまり多くない。遊びと仕事を混同しているような要素は、いまひとつ薄いようには思える。それでも、ユーモラスな語り口は十分に堪能できたし、クレインのシリーズのファンにとって、楽しめる小説だったと思う。
(2019.1.29)

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感想「犯罪者」

「犯罪者」 ジム・トンプスン 文遊社
若い女が殺されて、幼馴染みの男が容疑者になる、という話だけれど、ミステリ的な展開はほとんどなくて、ひたすらトンプスンらしい殺伐とした混沌が描かれていく。そうした雰囲気自体はトンプスンの小説でお馴染みのものだけれど、単純に主人公が破滅していくという話にはなっていない。というか、明確な主人公がいない。
奇妙な人物がいろいろ登場するとはいえ、それでも途中までは、普通の犯罪小説のような結末を目指しているように見えなくもない。現実の社会で起きていそうな不条理な出来事を揶揄的に描いた、社会批判と取れなくもない部分もある。しかし、終盤、急激に異様な雰囲気になっていき、突然ブツッと、結末を投げ出したかのように終わる(というか、終わってない?)。
この異様さが、本書の最大の読みどころかも。

はっきりした主人公がいない分だけ、トンプスンが書こうとしているものが、より見えやすくなっているようにも思える。つまり、本書に限らず、トンプスンが多くの作品で書こうとしているのは、個人の人生(破滅)ではなく、社会の破綻(現実の社会というよりは、抽象的、観念的な意味での)と思えるし、それが本書では、とりわけ明確に見えるように感じた。
この、社会の破綻が描かれていると、自分が感じる所が、いくつかの評論でトンプスンの特徴として論じられている、キリスト教的な原罪意識とかいったあたりに通じるものなのかなと思う。自分はその辺の知識が乏しいので、あいまいな形でしか理解できないが。

本書を読んだ後で他の作品を読んだ方が、トンプスンはより理解しやすいかもしれない、という気もした。本書は比較的初期の作品だから、そういう読み方もあまり不自然ではないと思う。
(2019.1.24)

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感想「サンダルウッドは死の香り」

「サンダルウッドは死の香り」 ジョナサン・ラティマー 論創社
酒飲みの私立探偵ビル・クレインを主人公にしたシリーズの4作目(全5作)。原著は1938年の刊行で、昨年9月に翻訳が出た。

脅迫状を受け取った金持ちを守るために、雇われたクレインと仲間の私立探偵たちが、フロリダで酒を飲みまくり、美女と戯れ、海で遊んだりしながら、事件の真相を追及していく話。
不可能犯罪的な興味で引っ張る内容で、ミステリらしさはかなり濃く、プロットも結構しっかりしている。主人公たちは、最初の方で自分から(多分、半分くらいは洒落だけど)宣言している通り、仕事と遊びを合体させるというスタイルなので、遊びまくっているようでも、調査はきっちりやっている。脱線の連続のようでいて、ストーリーも案外まっすぐつながっている。
ただ、読者にもよるだろうけれど、自分にとっては、事件の謎解きそのものよりも、主人公たちが軽口を飛ばしながら、享楽的に事件を追いかけていく過程の方に面白さを感じた。事件の真相は終盤の少し前でクレインによって解き明かされてしまい、その後に最大の見せ場の派手な立ち回りがある、という構成を見ても、著者の意図としても、そっちの方に比重があるのかなと。とはいえ、手がかりの提示や謎解きのプロセスで、著者は手を抜いていないが。
そのあたりが、本書の解説のように、本格ミステリの側からこの著者の作品が論じられる所以なんだろう、という気がする。ただ、実はそこが、近年ずっと、自分がモヤモヤしている所で、そこそこ謎解き要素がしっかりしているというだけで、その作品の方向性も考えずに、安直に本格ミステリの観点から語ろうとする向きがいる、と感じていて、なんかイヤ、と思っている。これは、瀬戸川猛資が遺した悪い流儀じゃないかと。まあ、あの当時は、そういう話でもしないと、本格ミステリの新しいネタが乏しかったから、そういう強引さにも必然性があったし、新鮮な感じだった。でも今は、いろんな状況が大きく変わっているから、そんな必要はないと思うし、何でわざわざそんな切り口で語る?、という鬱陶しさが先に立つ。
もっとも、本書などは、そういう観点で語れるから翻訳紹介してもらえた、という面もありそうなので、難しいところではある。
それと、今回の解説を読んで、ラティマーは、ライスやスタウト、E・S・ガードナーあたりの、本格とかハードボイルドとかいうジャンル意識があまり強くなさそうな作家たちの系譜なんだなということを思った。だからまあ、違和感のある観点からであっても、論じてもらえれば興味深い発見もあるわけで、一概に否定的に考えることでもないか、とも思う。

それにしても、本書の翻訳は問題が多いのでは、という印象。原文と照らし合わせて読んでるわけではないので、正確にはわからないが、辻褄の合わない所や不適切に感じる注釈が、あちこち目に付いた。もっとも、訳者あとがきを見ると、趣味で?訳していたのを論創社に持ち込んだら、出して貰えることになった、みたいな顛末らしいので、仕方ないかという気もするが。そんなことでもなければ、この時点で出されることもなかった本だろうな、とも思うので。
(2019.1.17)

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感想「綿畑の小屋」

「綿畑の小屋」 ジム・トンプスン 文遊社
比較的初期の作品で、原著は1952年の刊行。
オクラホラの田舎町の貧農の息子が、不条理な状況に翻弄される話。

殺人事件などは起きるけれど、ミステリ的な興味よりは、青春小説的な要素が強い。不条理さはトンプソンの小説ではお馴染みのものだけれど、主人公の青年の若々しさが、いつもとは違う雰囲気をもたらしているように思える。絶望的な暗さの向こうには、ぼんやりとした希望が見え隠れしているのかもしれない、というような。
そのあたりが、どことなく「天国の南」を思わせる所があり、あちらを読んだ時、こうした作風は晩年の例外的なものかと思ったけれど、初期にもこういう作品があるということは、これもトンプソンの一面だったということなのかな、という気がしてくる。本書には、あちらほど、不思議な清々しさみたいなものはないにしても。
このところ、文遊社から出た一連のトンプスンの翻訳を見ていると、今までのトンプスンの紹介のされ方は、かなり偏ったものだったのかもしれない、とも思えてくる。それくらい、今まで翻訳されてきた作品と、毛色が違っている。

アメリカのインディアンに関して、今まであまり接したことのない事情が色々描かれているのが興味深かった。オクラホマにはインディアンや黒人の方が多数派な地域があって、そういう所では白人よりも彼らの方が支配的だったりするとか、インディアンの中にも金持ちで地域の有力者が居たりとか。インディアンの特殊な儀式について描かれている場面もある。そういう意味では、エキゾチックな所もある小説。
「殺意」に登場した弁護士・コスメイヤーが出てくる。彼はこの他、未読の「犯罪者」にも出てくるらしい。脇役で登場する場面は少ないが、存在感が強い、ちょっと奇妙な感じのキャラクターで、著者自身の投影と言われると、確かに納得する役回りだと思う。
(2018.12.29)

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感想「砂漠の空から冷凍チキン」

「砂漠の空から冷凍チキン」 デレク・B・ミラー 集英社文庫
原著刊行2016年、訳書刊行は今年8月の小説。
ちょっとふざけた感じのタイトルと、最初の数ページをぱらぱら読んで、軽い雰囲気のサスペンスを想像して読んでみたが違った。
著者は軽妙なタッチを意識して書いてはいるけれど、背景にあるのはシリアやイラクの悲惨な状況だし、少し前の時期の話とはいっても、この状態は現在も続いている(というか、当時よりさらに酷くなっているかも)。読んでいるとしんどくなって、中断するのを繰り返していたら、読み終えるまで、えらく時間がかかってしまった。

話の骨格は、1991年のイラクで、1人の少女が目の前で殺されるのを止められなかったことをきっかけに、人生が変わった2人の男が、22年後に似たような境遇の少女を救うべく、再びイラクに赴くというもの。かなり強引な導入には思えるけれど、そこから展開される話にはリアリティが感じられる。著者はこういう方面でのキャリアもあり、充分な知識を持って描いている印象。ネットで見かける、外国のメディアで報じられる(日本のメディアではあまり報じられない)、シリアやイラクの絶望的な状況が、しっかり再現されている。
登場人物の多くが、軍事組織ではなく、難民援護団体や赤十字のスタッフなので(ただし、軍事組織から転じてきた人たちの存在は、もちろん欠かせない)、より現地の住民の目線に近い所で話が進むし、それでなおさら、やるせなさが募ってくる。
あくまでも小説なので、書くことを手控えている部分もあるだろうし、都合良く話が進みすぎる面ももちろんあるけれど、最低限、あの地域でこんなことが起きているということを伝えるには充分だろう。
ちなみにタイトルの出来事は、ふざけた感じの印象とは裏腹に、イラクで難民に降りかかった、米軍によって引き起こされた悲惨な事件なんだけど、これは実際に起きたことだと言うから、なんとも…。

とはいえ、筆致はあくまでもやさしいし、サブプロットである、主人公の片割れ、初老のイギリス人ジャーナリストのイギリスでの暮らしに関わる話が所々に挟み込まれ、そこが息抜きになっている面もあるので、決して読みにくくはなかった。こちらも決して気楽な話ではないが、混乱した戦地よりははるかにマシなので。
読んでいて、度々中断はしても、先へ進む気は失せなかったし、ストーリー自体は楽しめたから、最後まで読んで良かったと思う。

主人公の片割れがジャーナリストということで、安田純平さんがクローズアップされた時期に、これを読んでいたのはタイムリーだったと思う。全く偶然だったけど。戦場にジャーナリストが行くことには意味がある、ということがよくわかる。
読み終わった後で、読む前にはほとんど見ていなかった帯や紹介文を改めて見ると、内容の雰囲気とはかなりかけ離れていた。そういう話じゃないだろ、という違和感は感じたのだけど、内容がそのまま表に出ていたら、多分自分自身も手に取らなかったかもしれないと思うと、これはこれでいいのかも、と思い直した。とにかく手に取ってもらわなければ、始まらないんだから。
とっかかりはどうであれ、これを読んで、こういう現実があると知る人がいればいいと思う。
(2018.11.18)

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感想「泥棒はスプーンを集める」

「泥棒はスプーンを集める」 ローレンス・ブロック 集英社文庫
10年ぶりのバーニイ・ロウデンバーものの翻訳で、これが最終作なんだとか。原著は2013年刊行で、こちらの刊行自体が、前作から10年近い間隔が空いていた。

久しぶりの作品だけれど、ブランクを感じさせない、以前のままのたのしさ。もちろん、こっちも久々に読んだから、以前とは細かい所が変わっていても気付かなのいかもしれないけれど、たのしめているんだから、別に問題はない。
中心になる事件のネタは、ある程度勘のいい人なら結構気付きそうに思えるが、雑談の山に埋もれているので、自分のようにボーッと読んでると読み流してしまう。でも、このシリーズの面白さは、事件の謎解きそのものよりも、それをきっかけにした雑談の方だと思うので、それでいいかと。
87分署やネロ・ウルフへの言及がたのしい。古書店を営むバーニイが、紙の書籍への愛着を語る部分も含め、この本が、そういう感情を共有出来る特定のクラスタに向けて書かれていることがはっきり分かる。彼自身がそういうクラスタ内の人間なのかどうかは分からないが、ミステリのオールドファンのことをよくわかっていて、そうした読者層を想定した小説を意識的に書ける作家なのは確かで、今では貴重な存在じゃないのかな。そういう面ばかりが目立つようだと、それはそれでいやらしいのだけど、さすがにブロックは、娯楽小説としてきっちり仕上げていて、そんなヘマはしていない。昔馴染み、という気安さもあるし。

攻めた所がほとんどない、手慣れた感じの小説とはいえ、これだけ面白いものが書けるのは、彼の作家としての技量がまだ落ちてないということなんだろうな。
(2018.10.18)

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