感想「ネロ・ウルフの事件簿 アーチー・グッドウィン少佐編」

「ネロ・ウルフの事件簿 アーチー・グッドウィン少佐編」 レックス・スタウト 論創社
去年の10月に出ていた、論創社版ネロ・ウルフもの中篇集の3冊目、最終巻。やっと読んだ。
第2次世界大戦中から終戦直後の時期に書かれた作品を集めたもので、アーチーが従軍して、「アーチー・グッドウィン少佐」になっている作品が含まれる。とはいえ、肩書きがそうだというだけで、ウルフの事務所で、助手的な仕事をしているのは変わらないんだが。
帯には「戦時色が濃い」と書かれているし、背景に戦争が見えている作品ばかりではあるが、ウルフやアーチ―がやってることは、日頃ととりたてて変わってないので、それほど特別な雰囲気は感じない。また、エラリー・クイーンがやっていたような、戦意高揚・戦争協力的なニュアンスを感じさせる作品群でもない。スタウト自身は、戦争協力の団体に積極的に参加していた、というようなこともあったと記憶しているんだけれど、これらの作品には、その辺の要素は持ち込まれていないように見える。他の所でどうだったかは知らないが、少なくとも、ウルフ物については、そういう活動とは分離していたということか。
スタウトは、戦後のウルフ物では、政治的なニュアンスのある作品を、結構いろいろ書いているんだけれど。


収録作品は4作。

「死にそこねた死体」
これは未読だったかもしれない。
愛国心に燃えてしまった結果、従軍するべく探偵業を放り出して、ダイエットとトレーニングに励んでいるウルフを、軍が探偵仕事をやらせるために正気に返らせようと、アーチーを派遣してくる。
ウルフの奇行、強引にウルフを殺人事件に巻き込もうとするアーチーの悪だくみ、リリー・ローワンとアーチーの痴話?喧嘩など、シリーズ物らしい面白さは十分。事件の真相も、かなり意表を突いているだけでなく、納得出来るもので、割と良い出来と思う。

「ブービートラップ」
過去に読んだことがあるような気がするが、よくわからない。
アーチーは、軍の任務として、ウルフの助手に復帰した状態になっていて、ウルフは軍の仕事を受けているが、過度に禁欲的な生活はもうやめている。なので、全体的には通常のウルフ物とほとんど変わらないように見える。
複数の容疑者に罠を仕掛けて、引っかかった人間が犯人、という話なので、名探偵物ですらないような気もする。あまり面白みがない。
戦時色が一番強く出た作品ではあると思うし、そこに寄りかかり過ぎたプロットになっていると、言えなくもないのかな。

「急募、身代わり」
既読。原文邦訳で2回読んでることを確認したが、内容をさっぱり覚えていなかったのは、どうにも…。読んだのは2004年だから、13年も前じゃあ、しょうがないかなあ、とは思いつつ。ウルフが脅迫状を受け取って、身代わりを雇うというシチュエーションが面白いし、プロットも割としっかりしている。話が調子良過ぎな感はなくもないが、犯人が自分に都合がいいと思えた時機を捉えただけ、と考えれば、納得は出来るか。

「この世を去る前に」
これも既読。ただし、原文でしか読んでないので、邦訳を読むのは初めて。これも読んだのは2004年。ウルフが、戦争の影響で入手が困難になっている肉を手に入れるため、ヤバそうな依頼を引き受けて、面倒な状況にはまり込む、というあたりは覚えていた。この状況設定も含め、ウルフのキャラクターの面白さが十分に出ている中篇と思う。戦争が終わって、落ち着き始めた時期に書かれたものだからかな。そういう余裕が感じられる気がする。

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感想「ラム・パンチ」

「ラム・パンチ」 エルモア・レナード 角川文庫
「ザ・スイッチ」の13年後の後日談的な作品。1992年の刊行で、邦訳は1998年。
邦訳直後に読んだはずなので、ほぼ20年ぶりの再読。

主人公のジャッキー・バークはスチュワーデス(昔の本なので、表記はCAではなく、スチュワーデス)。「ザ・スイッチ」に登場した悪党オーディルが武器密輸で稼いだ大金を、アメリカ国内に運び込むのに協力している。捜査官がそれに目を付け、ジャッキーを抱き込んで、オーディルを摘発しようとした所から話が始まる。

「ザ・スイッチ」から再登場する他の人物は、オーディルの仲間だったルイスとメラニー。今回、「ザ・スイッチ」を読み返した限りでは、割と短めの長篇ということもあり、この3人は半端な小悪党という程度の印象で、それほど作り込まれたキャラクターではないように感じたけれど、レナードには、彼らを書き足りなかったという気持ちが残っていたんだろうか。今回はじっくり描かれていて、人物像がくっきりしている。

この3人とジャッキー、成り行きでジャッキーと組む形になっていく保釈金融業者のマックス・チェリー、捜査官のニコレットなどが、それぞれ自分の思惑に基づいて、互いに駆引きしていく。その過程は、綿密に立てたプロットに合わせて登場人物が描かれているというよりも、一人一人が勝手に動き回っているような感じがする。こういうオープンな裏のかきあい、化かし合いが描かれている所が、レナードの小説の面白さのひとつだと思う。登場人物が自立している感じというか。
中でも、周囲の人間すべてを手玉に取るような動きを見せるジャッキーが、一番したたかと思えるわけで、タランティーノが映画化した時のタイトルが、「ジャッキー・ブラウン」なのも無理はない(ジャッキーが白人から黒人に変更になった影響で、セカンドネームが「ブラウン」に変わっている)。なお、「ジャッキー・ブラウン」は見てない。

ただ、ジャッキーを含めて、鬱屈している感じがある登場人物が多く、抜けたような楽しさが、今一つないような気はした。たとえば、ルイスやメラニーは、「ザ・スイッチ」からの印象で、抜け(マヌケ?)担当のキャラかなと思って読んでいたんだけれども、そういう展開にもならなかったし。

本書のすぐ前の長篇が、先日読んだ「Maximum Bob」になる。「Maximum Bob」を読んで、レナードの作品の持ち味というのを再確認したくなって、本書を読み直してみた。本書はオーディルの摘発と、彼が貯えたカネが、ストーリーのはっきりした軸になっていて、割ととりとめのない展開で進む「Maximum Bob」よりも、小説のまとまりはいいと思うし、ミステリ的な面白さも上じゃないかと思う。
ただ、「Maximum Bob」のとりとめのなさこそが、レナードの持ち味だったような気もするわけで、少し微妙。もう少し読み返してみないとだめかな。

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感想「ザ・スイッチ」

「ザ・スイッチ」 エルモア・レナード サンケイ文庫
1978年刊行の長篇。邦訳は1986年で、直後ではないが、2-3年のうちには読んでたはず。「Maximum Bob」を読んで、いくつか考えたことがあったので、約30年ぶりに再読してみようと思った。

主人公のミッキーは、やり手の不動産業者と結婚し、良き妻・良き母親を演じて来た女性だったが、夫との関係は破綻しかけていた。そのミッキーを、3人組の悪党が誘拐して、夫に身代金を要求する。しかし夫は、ちょうど妻宛に離婚届を送達した所で、妻が誘拐されたまま殺されてしまえばいいかもしれない、と考え始める。事態がうまく運ばないことに悪党たちが焦る一方で、誘拐されたことで日常の束縛から解放されたミッキーの心境に、変化が起きる。

かなり初期の作品なので、「Maximum Bob」とは結構タッチが違う。かなりサスペンスを意識して、コンパクトに書いている感じがする。ただ、話がどういう所に落ち着くのか、先が読みにくい展開なのは変わっていない。もっとも、かなり昔とはいえ、一度は読んでいたから、何となく分かったけど。30年ぶりにしては、意外に覚えていたな、と思った。細かい所は全然だったけど、アウトラインくらいは。
コンパクトな分だけ、やや物足りなさはあるけれど、気楽に読める面白い小説ではあると思った。楽しめた。
で、やっぱり主役は女性だし、思い通りに事が進まずあたふたする男の登場人物(悪党だけでなく、主人公の夫や、その周辺の男たち)は、基本的にマヌケ扱いだね。レナードには、そうでないタイプの作品もあるけれど(タフガイ的な男が、ばりばり活躍するタイプの小説。もっとも、そういう場合も、主人公の性格や設定はだいたいひねっているが)、少なくともこういう系統の作品群はずっと続いているはず。

ところで、訳者あとがきに、レナードの小説の書き方を紹介しているくだりがあり、まず登場人物の名前を付け、肉付けして行くうちに、登場人物たちが動き始めたのを、小説に書く、というようなことが書いてある。書いている途中は、レナード自身も結末が分からないんだとか。
それって、「Maximum Bob」の感想で書いた、「舞台と個性的な登場人物を設定し、あとは多分に成り行き任せ(に見える)というのがレナードのスタイルだと感じてる」というのと、かなり近い気がする。作品から読み取っていたのかなあ。いや、多分、この解説とか、レナードのスタイルについて書かれた他の記事を読んだ記憶から、そういうイメージが漠然と作られていたんだろうな、きっと。
とはいえ、少なくとも見当違いの事を書いていた訳ではないということがわかって、良かった。
(2017.6.8)

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感想「Maximum Bob」

「Maximum Bob」 エルモア・レナード Penguin Books
未邦訳の長篇。1991年の刊行で、作品順としては「ゲット・ショーティ」と「ラム・パンチ」の間。

フロリダのパームビーチで保護監察官を務める主人公のキャシー・ベイカーが、警官への暴行で公判待ちになっている若者デイル・クロウの担当になったことをきっかけに、混乱した状況に巻き込まれていく。

その他の主な登場人物は…、
デイルの担当判事のボブ・ギブス。量刑が重いことに定評があり、それで犯罪者の恨みも買っている。「Maximum Bob」のあだ名で知られる。
ギブスの妻リーン。水族館で人魚ショーに出演していた時に、溺れて臨死体験をしたのをきっかけに、100年前にワニに食われて死んだ黒人少女の人格が取り付いて、スピリチュアルな言動をするようになった。ギブスはそれを承知で結婚したが、近頃、持て余し気味。
デイルの伯父エルヴィン。刑務所帰りで、衝動的で暴力的な性格。破綻した人間だが、悪賢い。
ゲイリー・ハモンド。ギブスの家に巨大なアリゲーターが放された事件の捜査で、キャシーと知り合う警官。

キャシーを中心に、彼女に好意を持つギブス、エルヴィン、ハモンドの三人の男の動きが絡み合いながら、話が進んでいく。
個々のエピソードは面白いが、話の進みかたは行き当たりばったり。デイルは途中で居なくなってしまうし、巨大アリゲーター事件は、うやむやな感じのまま、話の半ばで適当に決着する。おおざっぱといえば、その通り。
でもまあ、いつものレナード調ではあると思う。舞台と個性的な登場人物を設定し、あとは多分に成り行き任せ(に見える)というのがレナードのスタイルだと感じていて、あまり予定調和的でない所が、この作家の面白さだと思っている。むしろ、そういう意味では、本書の終り方は、普通の小説のように、いかにも盛り上がった結末になっている所が、ちょっと珍しい気がしたくらい。
また、例によってヒロイン(キャシー)は格好いいが、いかにもレナード的な、癖のある人物であるギブスの存在感が、話の中盤から後半にかけて、少し薄いような気がする。そういう意味では、少しらしさが薄い作品とはいえるのかもしれない。邦訳されてないのも、その辺が理由の一部だったりするのかな。

ただ、自分自身も、レナードの小説を読んだのはかなり久々なので、過去の作品と比べてどう違うのかというあたり、本当の所はどうなのか、何とも言えないかも、とは思った。

レナードを原文で読むのは初めてだった。俗語・隠語的な表現が多そうだから、読むのは難しいかなと思っていたが、そうでもなくて、文章自体はむしろ読みやすかった。当然、意味を掴みきれてない部分は多々あると思うが、自分の英語力では、それは何を読んだって同じだろうなという気はするし(^^;)。

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感想「岳飛伝」7

「岳飛伝」7 北方謙三 集英社文庫
「岳飛伝」も後半に入ってきたし、「大水滸伝」としてのクライマックスへ向けて、いろいろな布石が、いよいよ本格化してきた感じがする。
岳飛が生き延びた時点で、完全にオリジナルな展開になっているとはいえ、歴史と整合しない結末はありえないだろうから、中国本土からは梁山泊は消えて終わるんだろうけど、西アジアや東南アジアの方に一部が残るという展開に持っていこうとしてるのかな? インドシナ半島のこの頃の歴史は全然知らないし、どういう決着に持っていこうとしてしてるのか、想像がつかない。ただ、インドシナ半島に拠点を作るにしても、そんな単純に、平和裡には行きそうもない気配は見えてるが。
なんにしても、近いうちに、今の梁山泊の穏やかな状況が終ってしまうのは確かだろうし、それは残念な感じがする。現実の歴史に沿った話である以上、そういう展開しかありえないんだけど。それでも、北方謙三の歴史物は、幸福な結末はありえない制約の中でも、ぎりぎり希望を残して終わってくれるから、いいなと思っている。
解説に北方謙三の言葉として書かれている、「小説は優しくなけりゃいけないんだ」ということなんだろうな。北方謙三の小説をずっと読み続けているのは、多分、そういう所に共感しているからだし、今回も裏切られることはないんだろう。

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感想「岳飛伝」6

「岳飛伝」6 北方謙三 集英社文庫
帯にでかでかと「岳飛、死す」と書いてあって、タイトルロールの主役が、話が半分もいかないうちにいなくなっちゃうの?と思って、ビックリしたんだけど、そういう手で来たか、という感じ。史実では岳飛が非業の最期を遂げているというのは聞いていたが(このタイミングで、というのは把握してなかった)、それを逆手に取ったというところか。これで、ここから先は、それこそ楊令のように、著者が好きなように書けるわけだ。さすがだね。
ちなみに、ここで重要なポイントになっている太子晉の件は、元々、「楊令伝」の真ん中辺くらいに出て来た話と記憶しているけれど、その時点で既に、ここで使うという構想が出来ていたんだろうか。だとしたら、北方謙三の構想力って、大したものだなと思う。もっとも、そうでなかったら、これほど巨大な作品は書けないか。

徐々に最終決戦へ向かうプロットが引き始められている、という感じがする。

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感想「されど時は過ぎ行く」

「されど時は過ぎ行く」 北方謙三 角川文庫
「約束の街」8作目。読み落としていたことに気付いて、急遽読んでみた。2009年に出てたらしいが、文庫化は2015年のようなので、そんなに遅れを取ったわけでもないらしい。いずれにしても、文庫でしか読まないので。

前作に引続き、「ブラディ・ドール」シリーズが全面乗り入れ。ハードボイルドっぽく様式化された登場人物がいっぱい出て来て、それっぽい絡みを繰り広げる。
2つのシリーズの主な登場人物が次々出てくるから、登場人物が多すぎるように感じる。しかも、似通ったような人物が多い。それ以外に、重要な役回りで、新顔が一人出てくるが、レギュラーを格好悪く描くわけにもいかないから、その役回りを振るために(振るためだけに)、外から連れてきた、みたいな感じに見える。なんだか人物設定に無理があるし、貧乏くじ引いたみたいな登場人物だなあ、と思った。
まあ、そういうシリーズだと分かって読んではいるんだけど、今回はいつも以上に不自然に思えた気がする。それとも久しぶりに読んだせいかな。
ちなみに、シリーズの次作は書かれていないみたい。本書が最終作になるのかな。

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感想「岳飛伝」5

「岳飛伝」5 北方謙三 集英社文庫
第一部終了という雰囲気のある巻。金と南宋の戦いが一旦終わるし、ついに呉用が亡くなるし。
岳飛の人物像って、揺れ動いてるな、と思う。完璧に近い人物像だった楊令の対称として描かれているんだろうと思う。いつも迷っているし、自分が一旦決断して実行したことを、度々後悔、とまでは言わないにしても、正義ではなかったかもしれないと思い返して、逡巡したりしている。人間くささのあるキャラではあるけれど、大軍を率いる人物としてはどうなの、という気はする。
ただ、楊令と違って、岳飛は実在した人物だそうなので、史実との整合もある程度は考えないといけないだろうから、描く上で、そういう難しさもあるのだろうな。

ところで、解説(諸田玲子という作家の人らしい)は「男の人はどうして、闘いの場面が好きなのか」という文章で始まってるが、自分は別に好きじゃないけど、と思った。そこを読みたくて読んでいるわけではない。じゃあ何を?というと、多分、登場人物の人間像だと思う。闘いはそれを浮き上がらせてる背景で、闘いがなければ描けないものが描かれているわけだから、切っても切れない関係なのは確かだけれど、闘いそのものを読みたくて読んでるわけではないのは間違いない。少し違和感のある解説だった。
(2017.4.20)

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感想「ゴッド・ガン」

「ゴッド・ガン」 バリントン・J・ベイリー ハヤカワ文庫
昨年出た短篇集。日本で編纂された傑作選。
ベイリーは、何冊か読んだ邦訳長篇の、無茶なアイディアを詰め込んだぶっ飛んだ感じがとても面白かった作家。「時間衝突」とか、好きだった。短篇を意識して読んだのは、長篇のそういうイメージが出来てからで、やっぱりアイディアの面白さに引かれた。
ただ、そもそもSF短篇というのは、アイディアで読ませるものが多いから、それだけでは、それほど引きは強くならない気がする。よほど凄いアイディアでないと。
そういう意味で、本書で印象が強かったのは「ブレイン・レース」かな、グロい内容だが。それから、「蟹は試してみなきゃいけない」は、青春小説的な造りが意表を突いていて、面白かった。
冒頭に収録されている初期の作品のいくつかは、説明を読んでも、なんだかよくわからないアイディアのものが多かった気がする(表題作も含む)。ベイリーの中ではしっかりした理屈付けがあり、それに基づいて書いているのだけど、こちらに伝わって来ていないのか、元々イメージ先行で、理屈は大雑把なものでしかないのか、どちらかだと思うが、どっちだろう。ただ、「空間の海に帆をかける船」は、比較的初期の作品でも、イメージが分かりやすくて、楽しめた。
(2017.4.20)

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感想「恋する原発」

「恋する原発」 高橋源一郎 河出文庫
2011年の大震災を受けて書かれた小説の文庫化。
大震災被害に対するチャリティAVを作ろうとしている男を主人公にした話。

この作家には元々あまり興味はなかったけど(というか、そもそもミステリ以外の国産小説には、元々ほとんど興味がなかった)、Sealdsの関係でいろいろ知ったことで、関心が出てきた。

書きなぐりに近い雰囲気がある、かなり荒っぽい小説。日頃の作風を知らないので、これが特別なものなのかどうかは分からない。震災からあまり間を置かずに書かれた小説だから(2011年11月刊行)、その辺の影響もあるのかなと思った。
ただ、途中に挟み込まれている「震災文学論」の部分は、かなり腰を据えて書かれているので、やはり本文のタッチは意図的に選んだものなんだろう。このスタイルは、震災や原発事故について、タブーと見なされそうな角度から敢えて切り込んでいく内容に、確かに合っているように思える。
震災の被害に寄り添うとか、そういう方向性ではなく、なぜこんな事態になっているのか、という状況への違和感や怒りがベースになっている小説なので。

本書の中心テーマは、タブー扱いすることで、語られるべきことが語られない状況に対する批判そのものじゃないかと思う。震災や原発に絡めつつも、取り上げられている題材は、戦争とか差別とかセクシャリティとかの、広い範囲に渡っているし。
タブーと言っても、結局のところ、空気とか同調圧力とか忖度とか、本質的な問題ではない類いのものが大半なんだが、それが重視されることで、伝えられるべきことが伝えられないまま、この国はどんどん悪い方向に持って行かれている。そんな状況は、この小説が書かれた時よりも今の方が、より深刻化しているし、そういう意味で、本書での著者の意図は、多分、今の方が、より強く伝わって来てるんじゃないかと思う。

声をあげることの重要さと、今の状況に対する著者の強い切迫感を感じる。

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