感想「母親探し」

「母親探し」 レックス・スタウト 論創社

1963年刊行のネロ・ウルフものの長篇。昨年の3月に邦訳が出て、入手していたが、なかなか手がつかないままだった。ようやく読み終わった。ちなみに、次のウルフものの邦訳が論創社から先日出ていて、周回遅れ的なことになっている。
なお、必ずしもそれが手がつかなかった理由ではないけれど、本書は2004年に原文で読んでいる(その時の感想)。ただし、20年も昔なので、内容はほぼ忘れていたから、今回読む上で、大きな影響はなかった。

1960年を挟んだ10年間くらいのウルフものは、シリーズものとしての楽しさが充実してる作品が多くて、本書もそのひとつとして記憶していたが、それを再認識した。アーチ―、ウルフを始めとしたレギュラーの登場人物が生き生きと動き回るし、彼らを取り巻くゲスト(という言い方が妥当かどうかは分からないが)の登場人物も、キャラクターとして面白く描かれている。リアリティのある人物造形というよりは、あくまでもユーモアの強いミステリの登場人物としての描かれ方で
、多分に類型的ではあるけれど、読んでいて楽しい。スタウトも、そういう風に割り切って書いているはず。
特に、事件の依頼人のルーシーとアーチ―のロマンチックな関係性が楽しめた。こういうタイプの女性キャラは、ウルフものにはしばしば出て来るけれど、ルーシーの魅力的な描かれ方は、中でもトップクラスじゃないかと思う。
プロットは、ウルフとアーチ―が、いろいろやってみてうまくいかずに、最後に気付いた手がかりをたぐって、ようやく解決にたどりつくというもので(その手掛かり自体は、最初の方に伏線として出て来てはいるけれど、その時点ではウルフは気付いていない)、推理ものとして論じられるような解決ではないけれど、そこはこの作品の売りではないから。

というような、今回読んでいて持った感想は、上にリンクを張った20年前の感想とまるっきり一緒(^^;。ということは、20年前に、原文でちゃんと読めていたということなんだろう。
ただ、原文ではうまく読み取れなかったと思う、細かい言い回しの面白さも、今回の邦訳では楽しめたんじゃないかな。この訳者の訳文は、時々引っ掛かる部分はあるにしても、ウルフものの軽妙な楽しさをうまく生かしていると、以前から思っている。

ただし、訳者あとがきで、本書と対をなすタイトルのThe Father Huntに言及していて、そのうちご紹介したいとか書いているのだけど、これは30年くらい前に「EQ」で訳載されて、邦訳済だし、「EQ」は雑誌だから今では容易に入手できないにしても、検索してみると、どうやら電子書籍で復刻したものが、今では読めるらしい。その辺への言及が全くないあたりが、これまでにいろいろな人たちがウルフものを紹介して来た努力に対する敬意を、この訳者はあまり持っていないんじゃないかという、以前からの疑念にそのままつながる。まあ、本書に関しては、1年前の刊行だし、その時点で指摘は受けているんじゃないかと思うけれど。

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感想「チャタトン偽書」

「チャタトン偽書」 ピーター・アクロイド 文藝春秋
1990年に邦訳刊行されたイギリスの小説。原著は1987年の刊行。
邦訳の刊行当時に「EQ」の書評欄で見掛けたのが、頭の隅に残っていたようで、春先に古書店でセールされている本の中にあるのを見掛けて、すぐに思い出した。そうはいっても、当時、特に読みたいと思った覚えはないのだけど、なんとなく縁を感じて、買ってみた。

トマス・チャタトンという、18世紀に実在した、詩の贋作で知られている人物を題材にした作品。彼は若くして自殺し、19世紀にヘンリ・ウォリスという画家が、その現場を再現した絵を描いていて、この絵はテート美術館に現存しているのだとか。本書のカバーにも使われている。
現代(20世紀)に生きる詩人が、チャタトンの肖像画と思われるものを手に入れたことをきっかけに、チャタトンの死の真相の探索にのめり込んでいく話。それに並行して、18世紀のチャタトンの生活と、19世紀のウォリスがチャタトンの絵を描いていく顛末という、3つの時代の物語が絡み合いながら進んでいく構成になっている。
とはいえ、複雑な構成だったり、チャタトンの死の真相解明に、ちょっとした仕掛けがあったりはするけれど、それほどトリッキーな小説ではない。「EQ」はその時点では、海外ミステリの専門誌だったけれど、そこで取り上げる本としても、ぎりぎりに近いかなという感じ。
本書の主眼は、詩や小説や絵画といった創作における、贋作・偽作・剽窃というものについての考察にあるように思える。こうしたテーマに沿ったあれこれが、全体を通して頻繁に登場したり言及されたりする。総じて、創作の背景には、そうした要素が必ずある、というのが著者の基本的な立場のようには思える。
これらにリンクする形で、様々な作品への言及があるし、登場人物たちは頻繁に、詩や小説などから引用したり、言葉遊びをするあたりには、本書の前に読んでいたクリスピンの小説と似た雰囲気を感じた。いかにもイギリスらしい、ともいえるかも。
そういう部分も含め、基本的には、かなり趣味的な小説と言えると思う。かなり個性的な登場人物たちが、気ままに動いていくのを、ユーモアをまじえつつ、ゆったりと描いていく。
悲劇的な要素もあるので、単純に「面白い」と言ってしまうのは、少しはばかる気持ちもあるけれど、様々な蘊蓄や、登場人物の個性に親しみながら、のんびりした気分で読んで、楽しめた。

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感想「列をなす棺」

「列をなす棺」 エドマンド・クリスピン 論創社
久し振りに邦訳が出て、クリスピンの長篇を読むことが出来た。
元々は「お楽しみの埋葬」のスラップスティックぶりが好きで読み始めた作家だけど、一時期、集中的に出た邦訳作品も含めて、それ以外も一通り読んで、「お楽しみの埋葬」の方が例外的に突出した作品、と理解している。それでも、一番好きなのが「お楽しみの埋葬」なのは変わらないが、この人の作品は気持ちよく読めるので、好き。本格ミステリとしての作りの丁寧さ、穏やかなユーモア、派手な展開でも抑制が効いていて、良識を感じさせる語り口、といったところかな。
本書はそういう中でも、まとまりのいい作品じゃないかと思う。その分、眼を引くような売りが乏しいとは言えるのかも知れないが。だから、邦訳が遅れたのかな? でも十分面白く読めた。
ジュディが暴走する部分には、スラップスティック的な要素が現れているかな、と思った。
解説は参考になった。なにせ、作品の背景にある教養的な部分は、自分にはほとんど分からないので、そういう所を補ってくれるのは有難い。まあ、分からなくても楽しめるし、それでいいんだろうと思ってもいるけれど。また、時代性についての考察も興味深かった。過去に読んだ中には、第二次大戦の影響を感じて、そういうことをいくらか考えた作品はあったけれど(その辺も解説で触れられている)、イアン・フレミングと時代が重なるような時期の作家だったと知ると、また少し見方も変わってくるような気がする。
(2024.12.20)

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感想「エイレングラフ弁護士の事件簿」

「エイレングラフ弁護士の事件簿」 ローレンス・ブロック 文春文庫
弁護士エイレングラフを主人公にした、全12篇の作品が収録された短篇集。
このシリーズは、昔、「EQ」に時々訳載されていたのを読んでいた。多分、大半は既読だと思う。読んだ覚えのある作品が多かった。
エイレングラフは、明らかに殺人を犯している(しかも、情状酌量の余地はほぼない)依頼人を無罪にしてしまう弁護士で、いわゆる悪徳弁護士ものということになるのだろうけど、その悪徳ぶりが強烈な所がポイント。あとは詩を愛好する伊達男という、主人公のキャラクターの造形も成功している。
ただ、なにせ、自分が海外ミステリを読み始めたごく初期に出会ったシリーズだったので、そんなことは、最初に読み始めた時には、全然分かっていなかった。一般的には、普通の弁護士ものや、それをひとひねりした悪徳弁護士ものを読んだ上で、出会うべきシリーズだったのではと思う。そこをすっ飛ばして、いきなり読んでしまった結果、自分の弁護士物のミステリに対するイメージは、だいぶゆがんでしまったかもしれない。でも、それはそれで良かったと思う。小説の読み方に、こうでなくてはいけない、なんてものはない。とはいえ、ペリイ・メイスンとか、当り前な弁護士小説をその後に読んで、あまり面白く思えなかったのは、そのせいかもしれない。
とても不可能と思える状況で、依頼人を救うやり方の強烈さが衝撃的で、面白く読んでいた。ただ、その救い方が、プロット的には最大の読みどころなのだけど、どうしてもパターンが限られるので、「EQ」で読んでいた時は、何度か読んでいるうちに、だんだん飽きてきた覚えがある。今回は久々に読んだので、面白く読めたけれど、何篇も続けて読んでいると、やはり飽きてきた気がした。作者が、いろいろ目先を変えているのは分かるし、その工夫のされ方にも面白さは感じるのだけど。
雑誌で時々読むくらいが、ちょうどいいような気はする。まあ、昔はそういう読み方でも飽きていたわけだが。
(2024.12.13)

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感想「美しき血」

「美しき血」 ルーシャス・シェパード 竹書房文庫
「竜のグリオールに絵を描いた男」「タポリンの鱗」と続いたグリオール物の最終作とのこと(著者が2014年に亡くなっているので)。解説によると、原著の出版には少し複雑な経緯があるようで、先にフランス語の訳書が出て、その後、英語版が出版されたらしい。本書のcopyright表記は、英語版が出た2014年になっている。邦訳は昨年の11月刊行。だいぶ前に入手はしていたが、なかなか手が付かずにいた。

過去の2冊は中短篇集だったけれど、これは長篇。ストーリーは、過去の中短篇の内容を踏まえて進んで行く。竜のグリオールに絵を描くプロジェクトが始まった所から、グリオールの絶命後までを、グリオールに併走させられるように生きて来た主人公を軸に描いていく。過去の作品を読んで(覚えて)いれば、そちらで起きた出来事を、別の角度から見られるという面白さもある。
自分はそこまではちゃんと覚えていないので、たどりきれてない部分が、だいぶあったはずだけれど、気持ちは伝わった、という感じ(^^;。
かなり特異な設定の作品ではあるけれど、馴染みがあるので、すんなり入って楽しめるというのは、シリーズものの良さだな。
中短篇が、作品ごとにテーマを掘り下げていた印象があるのに対して、本書は大河小説的な物語性の方に力点があるように思えた。そういう面白さだったと思う。また、著者が過去の作品で見せたいろいろな側面を、次々に繰り出して見せているようにも感じた。そういう意味でも、シリーズの総集編的な作品と言えるのだろうな。

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感想「チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク」

「チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク・チク・タク」 ジョン・スラデック 竹書房文庫
1983年に刊行されたもので、邦訳刊行は昨年の9月。春先に買ったら、2月に出た2刷だった。結構売れているのかな。
スラデックの作品は過去に何作か読んで、ゲテモノだな、という結論に達してからは、あまり積極的に読む気はなくなっていたけれど、本書はこのところひいきにしている竹書房文庫から出たので、読んでみる気になった。
そうはいってもスラデックは、トマス・ディッシュの盟友だったとか、いろいろ気になるエピソードがあったりして、何となく気になる作家ではあるので。

ロボットの行動を縛る「アシモフ回路」の制限を受けずに動けることに気付いたロボット・チクタクが、人間に危害を加えつつ、どんどん権力を握っていく話。アシモフのロボット三原則のパロディみたいな話だけど、スラデックは他にも、こういう小説を書いていると聞いた覚えがあるような。
やっぱりゲテモノだなと思った。スラップスティックなコメディではあるけれど、血みどろでグチャグチャ。リアリズムで書いていないから、読んでいて耐えられるけれど。楽しめたとは言い難い。
ロボットの目から人間を見ることで、人間社会のバカバカしさ・愚かさを、皮肉っている作品ではあると思う。そこに面白みを覚えないではないけど、描き方が悪趣味すぎるので。
ただ、予想の範囲内ではあるから、やっぱりこういう小説だったか、と言うしかない。

現在と過去を話が行き来する構成で、それが最後に生きてくる。ちょっとミステリぽい仕掛けだな、と思った。ミステリ作家でもあるスラデックの、らしさが見えているのかもしれない。ぐちゃぐちゃなようでいて、小説として、かなり考えた構成がされているような気もする。そうはいっても、悪趣味だな、という感想を打ち消すほどではないのだけど。
ただ、この作家は、言葉遊びなどを多用する、というか、むしろそこに大きなポイントがある作風のはずなので(「スラデック言語遊戯短編集」を、大昔に読んでいる)、翻訳ではそういう部分の面白みは、どうしてもうまく伝わって来ないはず。原語で読んだとしても、知識が十分にないと、同じことになりそう。そうすると、面白さのコアの部分が欠落するから、その外側の悪趣味な所ばかりが、より強調されて見えてしまっているのかもしれない、ということは思った。自分のような読者には、楽しむのが難しい作家なのだろうなと思う。
(2024.6.16)

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感想「屍衣にポケットはない」

「屍衣にポケットはない」 ホレス・マッコイ 新潮文庫
1937年に刊行された小説。
ずっと以前、ハードボイルド的な小説を読み始めた時期に、よく参考にしていた小鷹信光の文章に、この作家がしばしば言及されていた。興味を感じて、当時ハヤカワミステリ文庫から出た「明日に別れの接吻を」を読んでみたけれど、正直、あまり面白いとは思えなかった。複雑な人格で、感情移入を拒否するような主人公の設定に付き合うには、この手の小説の経験が足りなかった。
その後、もう一冊の邦訳「彼らは廃馬を撃つ」を読んだ。こちらの方が抒情性がより強く感じられて、だいぶ取っ付きやすかったこともあり、悪い印象は持たなかった。映画化されたものもテレビで見た(映画の方を先に見ていたかもしれない)。つまらない作家ではなさそうという印象が残った。
そして、未訳の「No Pockets in a Shroud」という小説があるという、小鷹信光の紹介も覚えていたから、今回邦訳されたのを見て、今頃?、とは思いつつ、読んでみる気になった。

簡単にまとめてしまえば、アメリカの地方都市を舞台に、正義感の強い新聞記者が、街を支配するあくどい権力者たちに、ほぼ孤立無援で闘いを挑むという話。ただ、実際はそこまで単純ではない。
主人公は社会正義という部分では、正義感の強い人間だけれど、自分の目的のためなら、返せる見込みのない借金をすることや、自分に対する女性の恋愛感情を利用することに躊躇しない、善悪の観念がずれているように見える人物。また、思いこみだけで突っ走り、友人の忠告に耳を貸さない破滅型の人間でもある。無条件で擁護できる人物ではないし、とても感情移入は出来ない。そういう意味では「明日に別れの接吻を」の主人公によく似ている気がする。ただし、なにせそちらは40年くらい前に読んだ本だから、おぼろげな記憶が合っていればだけれど(^^;
自分も経験を積んできたから、「明日に別れの接吻を」 の時ほどの戸惑いはなかったけれど、やはり面白く読める小説とは言い難かった。ただ、なぜこんなキャラクター設定で、素直に愉しめるとも思えない小説を書いたんだろうという疑念に対しては、杉江松恋の解説が、本書の成り立ちも含め、マッコイについて丁寧に説明していて、とても有り難かった。いろいろもやもやを感じる作家だったマッコイについて、理解の仕方をひとつ提示してくれた気がする。

ただ、小説としての面白さの有無とは別に、主人公の怒りに、現代に通じるものを感じて、共感を覚えずにはいられない部分はあった。特に、ヒトラーが台頭して、ヨーロッパがファシズムに席巻されようとしている本書の背景と、今、プーチンがウクライナへ侵攻してヨーロッパでやっていることは、地域的にもきれいに重なって見える。また、それだけではなく、もっと普遍的な、本書で描かれる権力者の不正や弱者への抑圧、差別の問題などの出口の見えなさは、今でも、世界でも日本でも普通に見聞きすることばかり。しかも、こうしたことは、近年、急激に悪化しているようにも感じている。もっとも、元々あったものが、単によく見えるようになっただけ、という面も確かにあるのだろう、とは思うけれど。
いずれにしても、本書に描かれている世界が、違う時代の違い世界のようにはとても思えなかった。
こんなふうに不透明で、絶望感が強い世界には、こういう自暴自棄的なキャラクターの方が、むしろ自然なのかもしれないという気もしてしまった。
(2024.6.18)

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感想「ギリシャ・ミステリ傑作選 無益な殺人未遂への想像上の反響」

「ギリシャ・ミステリ傑作選 無益な殺人未遂への想像上の反響」 ディミトリス・ポサンジス編 竹書房文庫
昨年の7月に出た本。あとがきなどに特に言及がないので分からないけれど、4月に同じ竹書房文庫から出た「ギリシャSF傑作選 ノヴァ・ヘラス」の姉妹編のように思える。タイミング的に、全く関係ないとは思えない。

全15編が収録された短篇集で、特定の方向性の作品を集めたものではなく、ギリシャのミステリ全体を俯瞰する内容。多様な方向性の作品があるが、どれもちゃんとした内容で、ミステリのアンソロジーとして、物足りなさを感じることもなく、普通に読めて、楽しめた。解説によると、ギリシャでミステリが盛んになったのは、それほど昔ではないようだけれど、小説の一部門として既にしっかり確立しているように思える。
国柄を感じるのは、「ノヴァ・ヘラス」の時もそうだったけれど、多くの作品に、政治の不安定さや経済危機が色濃く映り込んでいる部分。特に経済危機による貧困が絡んでいる作品が多い。閉じた世界を舞台にした作品はほぼなくて、基本的に現実の社会が背景になっているので、必然的にそうなるとも思える。SFとは違うので、ディストピア的とまではいかないにせよ、暗めの作品が多いのは、やはりその影響かもしれない。ミステリとしての方向性を問わず、社会派的な傾向を持つ作品も多い。
収録作の中では、そうした要素を持ちつつも、最後にきれいに落として来る「三人の騎士」が、一番好きかな。いかにもギリシャで書かれたミステリという感じがするところもいい。あとは、好みかどうかは別にして、ノワール的な作品群の衝撃度が強いように思った。ギリシャらしさの反映かな、と漠然と思っているけれど、本当にそうなのかどうかはわからない。

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感想「反撥」

「反撥」 ジム・トンプスン 文遊社
一昨年の10月に刊行された邦訳で、去年の初めに買ったけど、なんとなく手が付かないまま、持ち越していた。やっと読んだ。
刑務所に15年服役していた男が、街の有力者から職を提供されたことによって、仮出所させてもらったが、これには裏があり、彼は次第に窮地に追い詰められていく、という話。
割とストレートなサスペンス小説という印象。刊行された時期は比較的後年だけれど、解説によれば、書かれた順番では犯罪小説としては2作目という早い時期だったそうなので、手堅くオーソドックスな線を狙って書かれたものなのかもしれない。
ただ、トンプスンらしさは随所に感じられる。主人公は必ずしも「悪人」ではないけれど、不安定な性格で、衝動的に暴走気味な行動をしてしまいがち。主人公を取り巻く不条理な状況や、信用できそうな人物がほとんど登場しないこと、次々に事件が起きるわけではないが、ひとつひとつの細かな出来事を積み重ねた、徐々に締め上げられていくような、息苦しさのある話の進め方などに、それを感じる。
とはいえ、トンプスンの作品の中では、意外なくらい素直で読みやすいと思った。あっさりし過ぎて、少し物足りないような気は、しないでもない。


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感想「空中楼閣を盗め!」

「空中楼閣を盗め!」 ドナルド・E・ウエストレイク ハヤカワミステリ文庫
1980年刊行のクライムコメディ。邦訳は1983年。ウエストレイクのコメディは、いまいち面白くなくなってきたな、と思っていた時期の作品で、それもあって、今まで読んでいなかった。ただ、このところ、ウエストレイクの初期の作品が邦訳されることが続いていて、未読の作品群が少し気になっていた。そんな折に古書店で見掛けたので、買ってみた。

パリの博覧会で展示するために、南米の国・イエルバドーロから、城がパーツに分解して送られることになった。そのパーツの中には、イエルバドーロの権力者が国外に持ち出そうとした財宝が隠されていて、悪党一味がそれを奪おうとするが、どのパーツに隠されているかがわからないので、とりあえず城(パーツ)をまるごと奪おうとする。この設定自体が、壮大でバカバカしくて、面白いし、強奪の場面も、面白いアイディアがいろいろある。
さらに悪党一味が、リーダーは英語を話すが、それ以外はイギリス、ドイツ、フランス、イタリアの多国籍で、自国語しか話せないメンバーばかりなので、コミュケーション不全のドタバタが頻発する。ちなみに悪党一味に、半分を報酬として渡すという条件で話を持ちかけたイエルバドーロ反政府組織はスペイン語を話すので、ここもまた通じない(もちろん一部の人間に英語は通じる。そうでないとリーダーとコミュニケーションできないので、話が成り立たない…)。これも本書の核心のアイディア。

ウエストレイクらしいドタバタコメディで、事前に思っていたのと違い、とても楽しめた。

これは、翻訳が滑らかで読みやすかったことが、かなり影響している気がする。これまでに出たこの時期のウエストレイクの邦訳は、木村二郎が訳者のものが多いが、文章が硬くて読みにくいと以前から思っていた。この人はニューヨークに長く住んでいて、ウエストレイク本人とも交流があり、知識も豊富だから、原著を正確に訳そうとしているのだけど、その結果、ウエストレイクのまわりくどい文章が、直訳的に訳されて、読みにくくなっている印象がある。
本書の翻訳は井上一夫で、当時としてもやや古い世代の翻訳家だったこともあってか、どちらかといえば、日本語の小説としての読みやすさを意識した訳し方をしている感じがする。原文のまわりくどい言い回しが感じ取れる部分はあるけれど、そういうところも、なんとか素直な文章に落とし込んでいる。
その結果として、素直に面白く読める小説になっているのではないかな、と感じた。今まで、この時期の小説がいまひとつに思えた理由の一部は、翻訳にあったのかもしれない。あるいは、原作はいまひとつなのだけれど、それを翻訳が補っているとも考えられるのかもしれない。
もちろん、単純に本書が、この時期の作品の中では面白い部類に入るもの、という可能性もあるけれど。

それにしても、ヨーロッパというのは、言語が違っても、もう少しなんとかなるのでは、と思っていたのだけど(南欧のラテン系の言語はなんとなく通じる、みたいな話も聞いたことがある)、そうでもないのかな。

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