感想「黄金の蜘蛛」

「黄金の蜘蛛」 レックス・スタウト ハヤカワポケミス
かなり久しぶりの再読。1953年に刊行されたネロ・ウルフもの。邦訳は1955年と思われ、おそらく、ポケミスから最初に出たネロ・ウルフもの。ちなみにポケミスが創刊されたのが1953年で、レックス・スタウト/ネロ・ウルフを収録するにあたって、最新の長篇を選んだと考えると、筋が通るように思える。今まで、作品の刊行順から見て、なぜ本書が唐突に訳出されたんだろうと、疑問を感じていたが、納得のいく理由を見つけた気がする。

訳者はネロ・ウルフの翻訳で定評のある(と勝手に思ってるが)佐倉潤吾ではなく、高橋豊。訳文は、ハードボイルド的な荒っぽさが強調されている。佐倉さんらしい、やわらかさのあるユーモラスな雰囲気には乏しい。翻訳は訳者の解釈次第なので、どちらが正解というのは結構難しい。しかも、ウルフものには、ハードボイルド的な要素が間違いなくあるので、本書のような切り口を、一概に誤りと言ってしまうのはためらいがある。とはいうものの、ウルフものの一連の作品を読んできた実感としては、佐倉訳の方が、ウルフものの味わいをうまく伝えていると思う。そもそも、明らかに佐倉訳の方が面白く読める。そんなわけで、「黄金の蜘蛛」は、シリーズの中ではいまひとつの出来、という印象が残ってしまっている。これがポケミスでの最初の翻訳(多分)だったことが、これ以降の日本でのウルフものの受け入れられ方に影響した面も、ないわけではなかったのでは、という気もする。

再読のきっかけは、死蔵していた録画ビデオを整理していて、これの映像化の「ゴールデンスパイダー」を見つけたこと。日本では「グルメ探偵ネロ・ウルフ」のタイトルで出ているアメリカ制作のTVシリーズの、パイロット版的な作品で、2000年に制作された。これが好評だったので、「グルメ探偵ネロ・ウルフ」のTVシリーズが制作された、という経緯らしい。ざっと流しで一通り見てみて、結構面白かったので、原作を再読してみる気になった。

ストーリーは…。
ウルフの子供っぽいふるまいにうんざりしたアーチーが、たまたまやってきた子供(ピート)を依頼人として受け入れて、ウルフが話を聞かざるをえないように仕向ける。しかしピートは翌日、車に轢き殺されてしまう。前日、ピートが話していた、通りで車の窓拭きをしていた時に、車中の女性から「警察を呼んで」と口の動きで伝えられた件に関係があるらしい。ピートを轢き殺して逃げたのは、ピートが話していたのと同じ車だった。しかも、ピートは絶命する前に母親に、貯金箱の金を依頼料としてウルフに渡してくれと言い残していた。5ドルに満たない金を受け取ったウルフとアーチーは、その金額で済む範囲の調査で気持ちを整理しようとしたが、その他にも殺人が起こり、どんどん話が大きくなっていく。

ウルフとアーチーの諍いで話が始まるのは、ウルフものには割とよくあるパターン。そこからどんどん話が広がっていくあたりも、熟練の安定した運びで、たのしく読める。既に警察が先行して動いている殺人事件の調査へ割り込んでいく形になるが、今回のウルフには、警察が持っていない有力な手持ちのネタがない。その辺の事情もあって、クレイマーやステビンズと、割と協力的に進めていくあたりが、シリーズ作品として少し特徴のある所かも。とはいえ、それほど顕著ではない。

ソール、フレッド、オリーも動員しての、総力を挙げての調査になり、彼らがそれぞれ持ち味を発揮している。この辺は、テレビシリーズのパイロット版の原作としても、向いているように思える。彼らとアーチーが組んで、犯罪者ときわどいやりとりをする場面があるが、この辺がいかにもハードボイルド寄りで、高橋訳でもいいのかな、と思う部分。
もう一つの特徴は、アーチーがきれいなお姉さんと絡む場面が、割と少ないところかな。全体的に、いつもと比べると、レギュラー以外に存在感が強い人物が乏しいような気はする。それだけ、プロットが強い構成になっている、とはいえるかも。
解決はごくシンプルで、細かく詰めれば、いくらでも穴は見つけられそうだが、すっきりしているので直感的に理解しやすく、納得しやすい。ウルフものの長篇の中では、まとまりがよい部類ではないかと思う。

そんなわけで、特にずば抜けてはいないけれど、シリーズものとして、決していまひとつな作品ではなかったな、という感想になったが、やはり翻訳への違和感は拭えなかった。改訳して出し直して欲しいところではある。

引き続き、TV映画版も見直したので、その感想は別途
(2020.7.26)

[付記] 初読時の短い感想(1983/10/25付)
いつもほどプロットは錯綜していないが、それで駄作とは言えないのがウルフもののいいところ。アーチー以下の私立探偵カルテットがえらくハードボイルドぽいのもよい。

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マーガレット・ミラー

このところ再読を続けている上で、長篇小説のリストがないと不便なので作成。

The Invisible Worm (1941) *
The Weakly-Eyed Bat (1942) *
The Devil Loves Me (1942) *
「眼の壁」 Wall of Eyes (1943) $ 小学館文庫
Fire Will Freeze (1944) 
「鉄の門」 The Iron Gate (1945) $ ハヤカワミステリ文庫、創元推理文庫
Experiment in Spring Time (1947) 普通小説
It's All in the Family (1948) 普通小説
The Cannibal Heart (1949) 普通小説
「悪意の糸」 Do Evil in Return (1950) 創元推理文庫
Rose's Last Summer (1952)
「雪の墓標」 Vanish in an Instant (1952) 論創社
Wives and Lovers (1954) 普通小説
「狙った獣」 Beast in View (1955) ハヤカワミステリ文庫、創元推理文庫
「殺す風」 An Air That Kills (1957) ハヤカワミステリ文庫、創元推理文庫
「耳をすます壁」 The Listening Walls (1959) 創元推理文庫
「見知らぬ者の墓」 A Stranger in My Grave (1960) 創元推理文庫
「まるで天使のような」 How Like an Angel (1962) HMM、ハヤカワミステリ文庫、創元推理文庫
「心憑かれて」 The Fiend (1964) 創元推理文庫
The Birds and Beasts Were There (1968) 自伝
「これよりさき怪物領域」 Beyond This Point Are Monsters (1970) ハヤカワポケミス
「明日訪ねてくるがいい」 Ask for Me Tomorrow (1976) # ハヤカワポケミス
「ミランダ殺し」 The Murder of Miranda (1979) # 創元推理文庫
「マーメイド」 Mermaid (1982) # 創元推理文庫
Banshee (1983)
Spider Webs (1986)

* ポール・プライもの
$ サンズ警部もの
# トム・アラゴンもの

邦訳は読んでいるものを記載

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感想「耳をすます壁」

「耳をすます壁」 マーガレット・ミラー 創元推理文庫
原著は1959年の刊行で、邦訳は1990年。これも多分、最後に読んでから、20年以上経っているはず。原著の刊行順としては、「殺す風」と「見知らぬ者の墓」の間。

メキシコ旅行に出掛けた女性の友人2人連れの片方が、ホテルの窓から転落死する事件が起きる。もう1人の女性(エイミー)も負傷し、夫が迎えに行ったが、夫だけが家に戻って来て、妻は療養に行ったと言う。女性の兄が夫の挙動に不信を募らせ、妹の身を案じて、私立探偵に調査を依頼する。

登場人物の大半が、心理的に安定感のない人物だが、彼らの心理の掘り下げよりは、ミステリらしい展開が描かれている場面の比重が高く、サスペンスが主体になっている作品と感じた。 この辺は後続の「見知らぬ者の墓」「まるで天使のような」とは、方向性が少し違っているように思う。
エイミーは、周囲の意向を常に気にかけて自分の意思が表に出ない、いかにもミラーの小説らしい人物。しかし、そもそもエイミーが消息不明になることが題材の小説なので、彼女自身の心理が描かれる場面は少ない。結果として、ストーリーはサスペンスの比重が高まっている、という印象。というより、そういう小説の作りになっている、というべきか。 
また、ユーモラスな描写が多く、コメディ的な面白さが、かなり強く出ている印象。

そうした要素があいまって、娯楽小説としての完成度は、かなり高いと思う。ただ、結末がかなり強引な展開になっていて、そこが欠点になっている気がした。しかも、最後に、真実はどちらか分からない、というような余韻を残そうとしているように感じるのだけど、結局、どっちでも大差ないのでは、と思ってしまったので、あまり感銘を受けなかった。
傑作になり損ねた作品、という印象が残った。
本書が「殺す風」と「見知らぬ者の墓」の間に来るのは、なんとなく分かる気がするのだけど、そこをはっきりさせるには、やはり「殺す風」も再読してみるべきなんだろう。
(2020.7.7)

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感想「見知らぬ者の墓」

「見知らぬ者の墓」 マーガレット・ミラー 創元推理文庫
このところ、マーガレット・ミラーを再読してる中での再読。原著は1960年の刊行で、邦訳は1988年。多分、最後に読んでから、20年以上経ってると思う。原著の刊行順としては、「耳をすます壁」と「まるで天使のような」の間に入る。

自分の墓が墓地にあるのを夢に見た女性が、墓に刻まれた「自分が死んだ」日付に何が起きたのかを調べ始める話。

途中までは、主人公の女性の神経症的な挙動に違和感を感じて、すんなり話に乗れなかった。それなりに安定して、裕福な生活を送っている女性が、気まぐれ的に自分探しを始める、というような描き方になっているので、あまり共感が持てなかった。確か、過去に読んだ時も、そんなことを思った覚えがあり、多分、その辺が理由で、ミラーの傑作群と見なされている中期の作品の中では、本書はそれほど自分の印象は良くない。
主人公(と、めぐりあわせで、彼女に雇われる成り行きになった私立探偵)の調査が進むにつれて、その日に何かが起きていたことは、当然分かってくるのだけれど、曖昧模糊とした状況はなかなか変わらず、その辺ももどかしい。
ただ、一見、安定して恵まれているように思えた主人公の生活が、彼女を「保護」しようとする(そしてそれによって、自分たちの生活を安定させようと考える)夫や母親の偽りの上に成り立っていたことは、次第に分かってくる。それによって小説は、庇護の中にいた主人公が、自立へ向かう物語へと変わっていくように見える。
話が三分の二を越えたあたりで、隠されていた真実の断片がようやく姿を見せ始め、そのあたりから話が一気に核心に迫っていく。この辺の、伏線を回収しながら畳み掛けて、結末になだれ込む展開は鮮やかで、ここでようやく、確かにこれは傑作群の一冊に違いないと思った。

書かれている内容の比率を考えるなら、本書のメインテーマはやはり、主人公の自立、もしくは、主人公と引かれあっていく私立探偵の人間性の回復ということになるのではないのかな。そして、これは「まるで天使のような」とほぼ共通するように思う。
一方で、主人公の平穏な生活が、嘘から作り上げられた薄っぺらな基盤の上に存在していたこと、そんな日常が何かのはずみで簡単に崩壊していくこと、身近にいる人物の、それまで知っていたのとは別の姿がそこで見えてくること、といった、一般的にミラーの作品の特徴として考えられている要素も、はっきり存在している。やはりこれが、ミラーの作品に一貫するテーマなんだろう。それはとても暗いビジョンだと思うのだけれど、ミステリの構成上、そういう要素が必要だから描いた、と考えるには、あまりにも痛々しくて、反復の頻度も高過ぎるように思う。

主人公に対しては、救いとして私立探偵が配されているわけだけれど、それが本当に救いとなるのかどうかは描かれずに話は終わる。これもミラーらしい形。
この時期の作品としては、「殺す風」だけが、ここは違っていたのかな?と思うと、あの小説の特別な感じが、改めて思い出される気がした。単なる思い込みではなく、本当にそうなのかどうかは、これもまた、再読してみないと分からないが。 
(2020.6.27)

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感想「コックファイター」

「コックファイター」 チャールズ・ウィルフォード 扶桑社ミステリー
1962年刊行の小説。ただし、訳者あとがきを読むと、1972年に改訂版が出ていて、本書の底本はそちらとのことだから、1972年刊と言った方がいいのかもしれない。
翻訳が出たのは今年の5月。扶桑社ミステリーはウィルフォードをよく出してくれるな、と思ったが、これも訳者あとがきによると、訳者の持ち込みだったとか。とはいえ、ウィルフォードを沢山出している扶桑社ミステリーだから、訳者も持ち込んだんだろうし、扶桑社だから出してもくれたんだろう。


本書が刊行された当時のアメリカ南部を舞台に、闘鶏に全人生を捧げた主人公を描いている。当時のアメリカでの闘鶏がどのようなものであるかを、マニアックに描きこんだ、闘鶏小説としか言いようのない作品。少なくともミステリではない。
主人公を筆頭に、あくの強い登場人物だらけな所は、いかにもウィルフォードの小説らしいが、ストーリーの骨格自体は、それほど特別なところはなく、扶桑社ミステリーから比較的近年に出た「炎に消えた名画」や「拾った女」のような、仕掛けでうならせるような小説ではなかった。本書の最大の特徴は、あくまでもマニアックな闘鶏の描写。もっとメジャーな題材であれば(野球とか、カードなどのポピュラーなギャンブルとか)、こういう小説もあるよね、という気もするのだけれど、本書を読む限り、当時のアメリカでも決してメジャーなものではなかったと思われる、闘鶏という奇妙な世界を、ここまで描き切ったというところに、この作家のカルト性の真骨頂が見える、という感じ。
もっとも、これが著者自身の闘鶏への愛情から来ているのか、あくまでも小説の題材としてのものなのかはわからない。闘鶏に打ち込む登場人物たちの、かなりグロテスクな描写を見ると、いくらか揶揄的な意図が感じられるような気もしないではなく、そこはかとなく底意地の悪さが感じられるようでもある。本当にそうなのだとすれば、やはり後者かもしれない。
ちなみに主人公は、周囲の人間の言うことには全く耳を貸さない男。信念を持っているといえば聞こえはいいが、あらゆることを自分に都合よくしか解釈しない偏狭な人物。ただ、著者が彼を、殊更に肯定的、または否定的に描いているという感じはしない。そういう男の生き方を、そのまま描いているという感じ。闘鶏に出場させるニワトリの育成や訓練の過程、試合の展開などの綿密な描写は、スポーツのドキュメンタリーを読むような真に迫ったもので、引き込まれるのだけれど、主人公の描き方は、小説のそうした内容に合っているかもしれない。
なにせウィルフォードのことだから、細部まで描きこまれた闘鶏の風景も実はフェイクだよ、みたいなことがあるのかも、と考えたりはするけれど、面白く読めた小説だったから、そうだとしても特に問題はないと思った。

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感想「魂の沃野」

「魂の沃野」 北方謙三 中公文庫
久々に読む北方謙三。2016年に刊行され、昨年文庫化。
加賀の一向一揆を扱った小説。加賀の一部を領有する地侍の一族の若者が、武士と本願寺門徒の間で揺れる時代の中で、成長していく姿を描いている。
元々、著者の意識としては、武士が日本を支配している時代に、武士ではない民衆がひとつの地域を約100年の間、統治していたという点に関心があったとのこと。その民衆の力の源泉が宗教だった以上、宗教とは何かという所にも踏み込まないいけない。主人公を、本願寺門徒とは距離を置きつつ、敵視することもない人物に設定して、宗教について考えさせながら話を進めていく。
「楊令伝」で方臘が描かれた時は、宗教勢力の得体の知れない不気味さが前面に出ていたように思うけれど、本書では、宗教勢力といっても、それを仕切る側には、世俗の権力と同じ欲得や権力争いの構図がある、というあたりを描いている感じがする。その宗教に突き動かされて戦場に向かい、殺戮される民衆という構図は同じだけれど、今回は「民衆」の側に入り込んで小説を書いている分、もう少し深い所まで踏み込もうとしたのかな
、という気がした。
とはいえ、宗教そのものに関しては、そこまで深入りはせずに話をまとめた印象。あくまでも主人公の挫折と成長の物語がメインだと思う。北方謙三の日本史を題材にした小説は、実在の人物を中心に置くことが多いが、本書の主人公は架空の人物で、その影響か、青春小説的な軽やかさがあるように感じた。「岳飛伝」の雰囲気に通じるものがあるのかもしれない。以前の小説とは、いくらか方向性が変わっていると思う。

日本史に題材を取って小説を書くのはそろそろ終わり、というような著者のコメントもあるようで。北方謙三の日本の歴史を扱った小説は好きで、ずっと読んできたけれど、ぼちぼちおしまいなのかもしれない。大陸を舞台にした描いた小説は、まだまだ続きそうだけれど。
(2020.6.6)

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感想「アバ、アバ」

「アバ、アバ」 アントニイ・バージェス サンリオSF文庫
アントニイ・バージェスといえば、「時計じかけのオレンジ」がとても有名だが、読んでいない。これが初めて読むバージェス。

サンリオ文庫がなくなった(もしくは、なくなりかけた)タイミングで、サンリオ文庫と見れば、とりあえず買ってた時期に入手した本。とはいえ、それほど関心を持てないまま、ずっと埋もらせてたが、おそらく30年以上を経て、ついに読んだ。 多分、古書で入手したと思うんだが、新刊で買った可能性もあるかもしれない。
原著は1977年の刊行、邦訳の刊行は1980年。

「SF」文庫とはいえ、当時のサンリオSF文庫には珍しくなかった非SF小説。19世紀初頭、結核の療養でローマに滞在していたイギリスの詩人ジョン・キーツが、そのままローマで亡くなるまでの日々を描いている。キーツについてのこの辺のいきさつは史実らしいが、本書の内容は、あくまでもフィクションだろう。

キーツ(と、著者自身)の母語の英語と、統一前のイタリアのイタリア諸語(イタリアの言語が「イタリア語」に統一される前で、「方言」が各地の標準語になっている)による詩作を題材にした、さまざまな言葉遊びや言語論が、本書の内容のかなりの部分を占める。というわけで、翻訳でどこまで原著の意図が正確に伝わっているんだろう、と考えながら読むことになった。正直言って、言葉遊びが多くを占める小説を翻訳で読むことに、どの程度意義があるんだろう、とは思う。読みながら、いろいろと考えることは出来るから、意味がないとは思わないけれど、どれほど訳者が努力した翻訳でも、原文のニュアンスを正確に理解して、楽しむことは不可能だ。
 

訳者による解説には、主題は詩と宗教であり、英語が母語のキーツと、ローマ語が母語の詩人のベッリが、言語が違うにもかかわらず、詩(ソネット)とはどういうものかを考えることや、宗教という共通基盤を通して、理解し合う姿が描かれている、というようなことが書かれている。小説そのものは、わかりやすく翻訳されているので、その辺は何となく感じ取れたし、ある意味、それが自分が前段で書いた疑念に対する、回答でもあるのかもしれない。とはいえ、言葉遊び的な部分を正確に理解出来ないままで、書かれている内容を十分理解出来ていると言えるのか?、と思うと、やはり相当心もとない。
裏表紙に記載された本書の内容紹介は、さらに破壊的で、ほとんどわけがわからないし。

史実的な部分は興味深かったし、本書の後半部に収録されているベッリのソネットは、聖書に対する辛辣な見方が感じ取れる面白いものだったが(ただし、これらもどの程度、原文の意図が伝わってきているのかはわからない)、仕方ないとはいえ、テーマの本質的な部分については、消化不良のままだと思う。

結核の蔓延が背景にある所が、COVID-19が世界で流行している現在とかぶって見える部分があり、たまたまこのタイミングで本書を読んだのが、ちょっと不思議な感じ。ただし、本書は、伝染病そのものを中心に据えた内容ではない。
(2020.5.10)

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感想「タボリンの鱗」

「タボリンの鱗」 ルーシャス・シェパード 竹書房文庫
「竜のグリオールに絵を描いた男」に続く、グリオールものの作品集。中篇(ノヴェラ)2篇が収録されている。
表題作はタイムトラベルの要素も組み込んだ、怪獣物っぽい小説。いろいろなテーマ・要素がちらついているのも感じられるけれど、過去の世界では呪いを掛けられる前の若いグリオールが飛び回るし、(物語上の)現在の世界でのグリオールの暴れっぷりも強烈で、怪獣物小説としての面白さに、その他の印象が圧倒された。
2作目「スカル」はかなりトーンが違う。かなり政治的なものを感じる。もっとも、併録されている著者による自作へのコメントに、印象がかなり引っ張られてしまっている気はする。グアテマラをイメージして書かれている小説とのこと。この作品の背景の時期(著者のコメントにある、グアテマラでの政府によるスペイン大使館襲撃は1980年の出来事らしい。ただしこの小説が発表されたのは2012年)には、中南米の国の多くが独裁者に支配され、反対勢力の虐殺などが頻繁に起きていたから、それを目の当たりにしてきた著者が書く小説が、こうした内容になるのは必然的とも思える。というか、そもそもシェパードには、そういう要素のある小説を書く作家というイメージを、持ってもいた。
人が虫けらのように扱われる社会への絶望が感じられる、ペシミスティックな小説という印象。さらに、そうした小説の背後にある現実に対して、アメリカ人である著者が、第三者的にしか関われない疚しさのようなものも、主人公の描写に滲んでいるように思う。そして、そこでより直接的に状況に関わろうとすれば、かえって事態を悪化させてしまう不毛感も。

ちなみに、読みながら、コスタ=ガヴラスの映画「ミッシング」を思い出していた。

それからもうひとつ、かつての日本は、この小説のアメリカの立場だったと思うんだが、今はグアテマラの側にどんどん滑り落ちているのでは、という恐怖を、近頃は感じている。
(2020.4.3)


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感想「パラドックス・メン」

「パラドックス・メン」 チャールズ・L・ハーネス 竹書房文庫
昨年邦訳された、1955年原著刊行の長篇SF。「ワイドスクリーン・バロック」の始まりとなった作品とのこと。格差社会が奴隷制まで行きついた22世紀のアメリカでの、支配階級と反対勢力を背景に、超人的な力を持つ、過去の記憶を失った主人公の戦いを描く。
スケールが大きい話の中に、SF的なアイディアを片端からぶち込んで、描写もきらびやかで華々しく、なるほど「ワイドスクリーン・バロック」だなと思う(よくわかってないが)。
先行して読んだ同じ作家の「ウルフヘッド」が、これよりも刊行時期がだいぶ新しい割に、内容は古めかしく感じられたので、どうかなと思ったのだけれど、むしろこちらの方が新しい感じのある作品だった。「ネット」に関わる描写とか、刊行時期の割に新しすぎるように見える部分もあって、不思議にも思ったが、解説を読むと、1980年代にかなり大幅な改訂が行われていて、そちらの方が本書の底本だそうなので、その辺が理由なんだろうと納得はした。
個人的には、アイディアが炸裂している所に、これこそSFという印象は持つものの、話そのものは、アイディアの華々しさに負けて、どこを目指しているのか、何を書きたいのかが、よくわからなくなっているように思える。ちゃんとプロットはあって、伏線回収もしっかり行われているのだけど、そう思ってしまうのは、まさにそのSF的なアイディアが具体化している、話の構造のせいもありそう(具体的に書くとネタバレになる…)。
小説らしさみたいなものはあまり意識せず、アイディアの面白さに着目した方が、本書は楽しめそうな気がするが、自分の趣味には、ちょっと合わなかった感じ。バリントン・ベイリーあたりが、かなり似た作風に思えるし、そちらは結構好きな作家なのだけど、本書がもうひとつだったのは、ベイリーほど、バカバカしさに徹しきった感じがなかったからかな、と思った。
(2020.3.26)

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感想「鉄の門」

「鉄の門」 マーガレット・ミラー 創元推理文庫

そういうわけで、こちらが先日出たばかりの改訳版。これで、ハヤカワ文庫から出ていたミラーの長篇4冊は、全て創元が出し直したことになる。

こちらも多分、20数年ぶりの再読。「鉄の門」は邦訳されたミラーの長篇の中では、最も早い時期のもので(1945年刊。ちなみに「まるで天使のような」は1962年)、個人的には、古さが感じられる分、比較的愛着のない作品だった。
今回の再読でも、第一部序盤での、いかにも作り物くさい登場人物の描写を読んでいて、やはり昔の小説だな、という印象は拭えなかった。主要な登場人物で、人間味が感じられるのは、探偵役のサンズ警部くらい。しかし話が本格的に動き始めると、それはあまり気にならなくなる。プロットが話の主体になって、劇的な展開が多く、進行も速いので、必要以上に人物を描き込んでいない(描き込む余裕もない)からだろう。また、第二部でかなりの部分を占める精神病院の場面では、入院患者たちが異様な言動をするけれど、それは病気の人たちだから、ということで納得してしまうし。
プロットが動き始めてからの達者なストーリー展開は、著者の巧さを感じるが、いかにもミステリ的な話の作りは、改めて考えると、「まるで天使のような」の頃とは別物のよう。
先日書いたように、「まるで天使のような」は、今読むと、自分にはミステリの要素よりも、登場人物の人生を描こうとした小説のように思える。それに比べて、「鉄の門」はかなり純粋なミステリじゃないかな。不安感や苦悩を抱えた登場人物たちという点で共通点はあるのだけれど、「まるで天使のような」のそれの大半が、登場人物の内面から滲み出してきたような根源的なものであるのに対して、「鉄の門」では、何かの犯罪を犯してしまった、誰かを信じることが出来ない、というような、かなり具体的な原因に由来するものにとどまっているように感じる。
ただし、これは個人の感想だし、これをミラーの作風の変遷とまで言っていいのかどうか、というのも、前後の作品をもう少し読み直してみないと、判断がつかない、とは思っている。「まるで天使のような」がイレギュラーな作品ではないという印象は持っているけれど、この前後の「見知らぬ者たちの墓」とか「心憑かれて」あたりは押さえないといけないと思う。ミラーの長篇の翻訳のされ方は、時期的にばらつきがあって、順序も発表順ではなかったので、正直言って、作風の変遷をしっかりと把握出来ていない気がする。こうしたことを考えるのであれば、一通り読み直してみるべき、と思うが、そこまでやれるかどうか。

なお、あくまでもミステリ的な話だが、サンズはミルドレッドの日記を見つけたことで、ミルドレッドの死の真相を確信するのだけれど、具体的になぜそれで確信するのに至ったのか、というあたりが書かれていないように思う。この日記は決定的証拠とは言えないし、そうした疑念を深めるというレベル以上の意味は持たないと思うのだけれど。パズラーではなく、心理的なミステリだから、この程度でいいのかもしれないが、ちょっと弱いなと思った。
(2020.3.16)

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