「麻雀放浪記2020」

4/5に公開された映画。五輪絡みの内容が不謹慎だとか、ピエール瀧が出演してるのが問題だとか、二度も上映中止の危機にさらされながら、東映の判断で上映が始まった映画。東映、えらい。応援の気持ちもあって、早々に見に行ってきた。

1945年の東京で賭け麻雀で暮らしていた坊や哲が、九連宝燈を出したのをきっかけに、2020年にタイムスリップ。その2020年の日本では、突然勃発した戦争に敗戦したことで、2020年五輪の開催権を返上し(この辺のストーリーが最初に揉めた理由)、代わりのイベントとして(日本が誇っているらしい)AIと人間の雀士が対戦する麻雀五輪を、「新国立競技場」で実施しようとしていた、という話。

坊や哲は元になっている「麻雀放浪記」(阿佐田哲也の小説でも、和田誠によるその映画化でも、どっちでもいい)の主人公だし、背景となる1945年の出来事も、それを踏まえている。一方、2020年の話はオリジナルだが、元作品をうまく使いこなしている感じがしたし、リスペクトも感じられた。
直前の「戦争」の詳細がほとんど語られないので、なぜそうなったのかはよくわからないんだが、2020年の日本は、マイナンバーの強制や暴力的な警察など、強権支配による管理社会になっており、そこからはみ出した人間たちは、底辺の生活を送っていて、主人公(斎藤工)はそういう底辺の東京へ紛れ込んでいく。描かれている社会は明らかにディストピアだけれど、今の世の中を見ていると、現実からそれほどかけ離れた世界にも見えなくて、コメディのネタとしてはかなり苦く感じた。ただ、東映の特撮ヒーロー物にはこういう話が多いよな、とも思ったから、さすが東映という感じではある。娯楽作品に、世の中の風潮や社会への批判をさりげなくすべりこませる。そうであっても、話の中身はあくまでも娯楽という、お馴染みの作風。
ゲテモノな映画には違いないけれども、竹中直人を中心に、笑えるシーンに事欠かないし、麻雀の試合のシーンは、イカサマのテクニックの見せ方も含め、なかなかの迫力で、本当に面白く見れた。

2020年の世界で、強い雀士として有名になった主人公(斎藤工)が、賭博で警察に捕まり、お詫びの記者会見をすれば釈放してもらえる、という場面があるが、折しも、保釈で出てきたピエール瀧が、神妙な顔でお詫びしたというのが、まるっきり映画と被って見えた。こういうネタを入れている以上、瀧の事件があったからといって上映中止するのは、まさにこの映画の精神に反する。東映が公開を決めたのは当然だったかなと思う。実際のところ、瀧の出番はそれほど多いわけでもなく、こんなもので上映中止にされたら、たまったもんではないわな。東映はよくやったし、この映画がヒットすればいいな、と思う。
(2019.4.6)

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「タクシー運転手 約束は海を越えて」

昨年日本で公開された2017年の韓国映画。公開当時、見に行こうかと思ったもののタイミングを逸したが、近場で上映会があるのを見つけたので、行ってみた。

1980年に光州で起きた民主化を求める市民運動を、軍事政権が弾圧して多くの死傷者を出した光州事件を題材としている。韓国政府は、外部に真相を知られないように光州を隔離して事を進めていたが、潜入したドイツ人の記者が映像記録を持ち帰って報道したことで、世界に知られることになった。ここまでは史実のはず。
そして、この記者の潜入と脱出を助けた韓国人のタクシー運転手が居た、という所までは、事実だそうだけれど、潜入から帰還までの一部始終のどこまでが事実でどこからがフィクションなのかはよくわからない。ただ、タクシー運転手の身元は、映画が作られた時点では判明していなかったようだし(映画が韓国国内で大ヒットしたことで、明らかになったらしい)、彼の素性に関わる部分は、ほぼフィクションだろう。
とても心を動かされる映画だったけれど、ポイントが、史実の部分とフィクションの部分の二つあるように思えたので、その境目にはちょっとこだわりたい。

主人公はソウルのタクシー運転手のオヤジ。生活するのに精一杯で社会のことには関心がなく、国のやることは間違いないくらいに思っていて、そういう社会でうまく立ち回ることだけ考えていた。その彼が、光州で起きていることを目の当たりにして、彼らを救える可能性が自分にはあると気付いた時の葛藤と行動のヒロイズムが、フィクションとして、この映画で特に心を打たれた所。
他にも、彼以外の登場人物の、ドイツ人記者や光州の人々についても、いい場面が描かれている。光州のタクシー運転手たちが、光州から脱出しようとする主人公を救いにやってくる所とか。タイトルの「タクシー運転手」は、主人公だけでなくて、暗に彼らも含んでいるんだろう。

史実として心を動かされるのは、民主化を求める動きを弾圧し、その運動への参加者を殺すことも厭わない権力の残虐さと、それに対する光州の人々の抵抗が描かれている部分。
このあたりには、近年の日本での政府への抗議行動と、それらへの権力側の対応がかぶって見えたりもするので。もちろん、東京近辺で、目の前で見たり、実際に体験しているそれは、この映画に描かれている凄まじい風景とは全く違うけれど、映像を通して見る沖縄などの似たような風景は、かなり近付きつつあるように見えるし、現状を無批判に放置していれば、エスカレートして、いずれああいう風になりかねないという危機感もある。

それから、史実とフィクションが入り交じったあたりで感じることは、メディアが報道しないことは世界に伝わらないし、正しい報道をしなければ世論を誤った方向へ導くということで、つまりは正しい報道がどれだけ重要かということ。それから、権力を無批判に信じてしまうのは危険だということ。まあ、ここいらは常日頃、思っていることではあるが。
あとは、その裏返しかもしれないが、事実を知ろうとすることの必要性かな。主人公は、事実を知ったことで、状況に関わらなくてはいけないという意識を持ったし、知って行動したことで、30年後、心安らかで居られたんだろうと思う。
それにしても、韓国であれだけ歴代の権力に対する批判が強いのは、権力が国民を欺くこうした事件が、たった40年前に起きていたというのも大きな理由なんだろうと思う。日本にも1945年まで、多分、これよりもはるかに悪質な国民を欺く権力が存在していたんだが、70年経った今では、そんなのをすっかり忘れちゃって、国に盲従したがるような雰囲気が本当に強い。70年の時間経過は40年に比べれば、確かに長いかもしれないけれど、それだけでもない気がする。歴史に学ばない国民性ということで説明出来ちゃうんだとしたら、本当にやりきれない。

映像の技術という点では、40年近く前の光州の街をよく再現したなあと思った。クレジットがすべてハングルだったので、正確な所はまるで判らないが、おそらくCGを相当使っている。そういうことが出来る時代なんだよね。
(2019.3.17)

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「アクアマン」

今年初めて見た映画。結構、前評判が良かったのと、テレビで流れてたCMだと、B級アクション映画ぽかったから、面白そうだと思って見に行ったが、ちょっと違った。

アメコミの映画化ではあるけど、今時は、そういうのが超大作になるから、それだけでは判断がつかない。実際、この映画も、相当製作費がかかってると思われる、豪華な造りだった。内容の半分くらいが海中のシーンで、そこは当然CG使いまくりの凄い映像。
お話は、地上人と海底人の間に生まれた主人公が、海底人の地上侵攻を食い止めようとするというもので、結構チャチではあるけど、そのために、海底人の国アトランティスの都市に行ったり、失われた古代都市の跡へ行ったりするし、そのビジュアルがまたいちいち豪華。そういう舞台で、海底人や海底世界の幻想的な生物たちと戦う。まるっきり、ガチガチのヒロイック・ファンタジーだな、という感じ。
もうちょっと、チャチでチープなヒーローものをイメージしていたから、ありゃりゃ、と思った。主人公のキャラも、軽いようでいて、意外にシリアスだし。もっとも、戦闘員の装備や兵器なんかは、近頃の仮面ライダーや戦隊ものなんかとそう大差がないように見えて、案外チャチとは思ったけれど、こういうのはCGで作れちゃう時代だから、まあ、しょうがないな。どっちかというと、逆に、それほど予算のないテレビドラマでも豪華感が出せちゃうということなんだから。
映画自体は華々しくて、面白かったけれども、見ようとしてたのはこういうのじゃなかったんだよな、とは思った。

もうひとつポイントがあって、のんきな魚や海生哺乳類の見せ場がほとんどなかったのも期待と違った。
終盤の方で、お姫様の乗り物としてシャチが出てきて、来た来たと思ったけど、ほんのワンシーン。こういうふうな海の生き物たちが、どんどん動き回るような場面がもっとあるかなと考えてたんだけど、出てくるのは兵器みたいに重装備した鮫とかタツノオトシゴとかばっかりで、残念という感じ。

まあ、こっちが勝手に期待してたのと中身が違ったというだけなので、映画そのものがダメだったというつもりはない。
(2019.2.11)

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「仮面ライダー 平成ジェネレーションズ FOREVER」

公開初日に見に行った仮面ライダー映画。
エグゼイドはあまりにもピンと来なくてほとんど見ずじまいで、その流れでビルドも見てなかったから、仮面ライダーとは、しばらく疎遠にしていた(もっとも、去年のビルド&エグゼイドの映画版は、旧作のライダーたちが大々的に出るというので、観に行ったけど)。でも、今のジオウは平成仮面ライダー20周年記念作で、旧作の登場人物がいろいろ出てくるのに興味を引かれて、少し見ている。その流れで見に行った映画版。

ビルドとジオウが、周囲の人間が仮面ライダーのことを忘れていくという事件に遭遇して、平成仮面ライダーをまるごと虚構の存在にしてしまおうとする策謀があることを知る話。
元々、ビルドとジオウのシリーズの内容が、色物に走りすぎてないこともあって、今作はシリアスなストーリー展開が浮かずに、しっかりした話になっている。例によってタイムパラドックスものなので、細部の整合は相当ぐちゃぐちゃだと思うけれど、大枠は納得出来る(というか強引に納得させる)話にはなっている。
仮面ライダーは虚構の存在である、という現実をストーリーに取り込んで、逆手に取ってくる荒業は、20周年記念作に相応しい趣向だなと感じた。ライダーが戦っている「現実の」光景を、周囲の人間がライダーショーのように取り囲んで見ているという、二重三重に入り組んだ演出もあり、こんなことを理屈抜きにやれるのも、20年続いているシリーズならではと思った。
格闘シーンで一人一人のライダーをきっちり見せる演出も、達者で良かった。

ある意味、最大の見せ場だったのは、某俳優(^^;)の登場シーン(いまさら名前を伏せる必要もないと思うが、まあ、一応)。映画館内がどよめいたよ。あれはびっくりだった。この種の趣向があってもおかしくはないなと、思ってはいたんだけど、全く宣伝されていなかったからね。ここは、公開初日で、ネタバレする前に見に行って、本当に良かったと思った。

よい出来だったと思う。
(2018.12.22)

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「ボヘミアン・ラプソディ」

公開初日に見に行った、クイーンのフレディ・マーキュリーが、クイーンの前身バンドに参加してから亡くなるまでを描いた映画。
ドキュメンタリーじゃなく、あくまでも劇映画としての作りだけど、現存する人物が多数登場する内容ということもあり、ほぼ事実をベースにして作られているらしい。そこまでクイーンの熱心なファンだったことはないので、よくわからないが。
当然、クイーンの曲が全篇に流れる。クイーンの新曲が普通にラジオから聴こえてくる時代に生きてた人間にとっては、それがこの映画の最大の楽しさなのは間違いない。ライブ会場でもなければ、なかなか体感できない大音量で聴くことも出来たし。でも、それ以上に、移民でゲイというマイノリティの属性を持つフレディが生きていく上での苦悩が大きく描かれている。その辺に、この映画が今の時期に作られたことの意味を考えさせられた。
クライマックスのライヴエイドのシーンには、属性を超えた人々の協調が描かれている。さまさまな分断がクローズアップされる今のヨーロッパでも、こんなことが可能なんだろうかと思ったりする。もちろん、当時の現実も、そこまで単純なことではなかったはず、とは思うけれど。
マイノリティに対して冷酷な今の日本にいるから、そういう部分が、なおさら気にかかってくるのかもしれない。

「ボヘミアン・ラプソディ」の歌詞を、フレディの人生を象徴させるように重ね合わせているところは、うまく作ってるなと思った。
それにしても、フレディはしんどかっただろうと思うけど、彼を支えてた人たちもしんどかっただろうなと思った(フレディと違って、彼らには逃げる先があったにしても)。ブライアン・メイとかジョン・ディーコンとか、いい人たちだよな。まあ、ブライアン・メイはこの映画の音楽監修をしてるから、悪く描かれるわけもないけど(?)。

それから、「ボヘミアン・ラプソディ」といえば、自分にとっては映画版「ウエインズ・ワールド」の冒頭部分が、(真っ先にではないにしても)思い出されるんだけど、あれをやってたマイク・マイヤーズがキャスティングされてるってのは、そういう人があっちにはいっぱいいるってことなのかな、と思った。
(2018.11.9)

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「ゼイリブ」

ジョン・カーペンターが1988年に監督した作品。ジョン・カーペンターは、よく考えると、「ニューヨーク1997」しか、本当に好きだった作品はないんだけど(実はそんなに本数を観てもいない)、何となく、好きな監督というイメージがあって、代表作のはずの「ゼイリブ」を見てないのを、長年、残念に思っていた(と言いつつ、「ハロウィン」を観てないのは気にしてない。元々、ホラー映画は見ない人間なので)。映画自体は見てないけど、予告編だけはかなり度々見たもんだから、サングラスを掛けると、街頭の看板に「Obey(服従せよ)」等の洗脳の文句が浮かび上がるというシーンが大好きで、結構ネタに使ったり(といっても、これが分かる人間は限られるから、近年は特定の1人くらいにしか使ってない(^^;)。観てないのにネタに使ってるというやましさもあったから、今回、新宿でリバイバル上映やっているのを見つけて、嬉々として観に行った。

とはいうものの、1988年時点で観に行かなかったのは、それなりに理由があったはずで(たぶん、最大の理由は、侵略者の造型がホラー映画ぽくみえたせいだと思う)、今回観に行ってハズレだったとしてもしょうがないな、くらいの覚悟はしてたが、幸い面白く見れた。

地球は既に異星人の侵略を受けていて、侵略者は人間に擬態して地球人の中に紛れ込んでいるとともに、街頭の看板やテレビ画面に洗脳の言葉を潜り込ませ、地球人が従順に従うように仕向けていた。しかも、地球人の権力者は彼らと結託して、一般市民を搾取していた。その事実に気付いた人々が、擬態を見破る眼鏡を開発しており、成り行きでその眼鏡を手に入れた主人公が、真実を知って侵略者を倒すために立ち上がる、という話。

身も蓋もないことを言っちゃえば、眼鏡を掛けると見えないものが見えるというワンアイディアだけの映画、という気はする。話の展開はありきたりで突っ込み所だらけだし、映像もかなりチャチ。同時期に撮られた「ニューヨーク1997」や「遊星からの物体X」は、こんなチャチだったかなあ、と思うくらい(記憶に美化が入ってるだろうとは思うが)。面白く見れたと言っても、アイディアの面白さ、話の単純さといった、あくまでもB級SF映画としての面白さ。

ただ、侵略者側に立っている警察が、抵抗者側が隠れ蓑にしていたコミュニティを力づくで押し潰しに来る場面には、権力が牙をむき出しにする恐怖感がよく現れているし、侵略者の洗脳のメッセージは、今の日本で見ていると、まるっきり自民党のそれだったりして、妙にリアリティを感じてしまった。要は、ジョン・カーペンターの立ち位置が反権力的、ということなんだよな(「ニューヨーク1997」からも、それは感じられる)。
ただ、自分が知ってる限りでは、カーペンターはむしろ右寄りな人間だし、蜂起を準備する抵抗者側の姿は、サバイバリストみたいに見える。この映画自体、反権力的と感じられる一方、取りようによっては陰謀論の映画とも思えるわけで、エンタテインメント映画から単純に思想的なものを汲み取ろうとすることの危険も、感じないわけにはいかなかった。
カーペンター自身も、この映画は1980年代のアメリカの状況にリアクションしたもので、普遍的な社会批判の映画ではない、というようなことを言っているらしい。

主演のロディ・パイパーはプロレスラー。映画の途中にある無駄に長い(^^;彼の格闘シーンは、プロレス技の応酬で笑った。
(2018.10.7)

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「太陽の塔」

太陽の塔とは何だったのか、というテーマについて、いろんな人たちへインタビューした内容を繋げた映画。「ゼイリブ」を見に行こうとしたら、同じ映画館でやっていたので、ついでに見る気になったが、今年2月に太陽の塔の現物を見て、感銘を受けていたというのもあった。

もうちょっとベタベタなドキュメンタリーかと思ったが、オープニングなどに、ハッタリの効いたCG映像などを挿入して、変化を付けていた。その分だけ、飽きずに見れたかな。
太陽の塔の実際の製作過程は、記録や証言が残っていて、まとめられた出版物などもあるし、その辺はごく簡単に流したという印象。その辺は、映画を見てから公式サイトを見たら、やはりそういう意図があった、というようなことが書いてあった。
メインは太陽の塔の意味合いについての考察。制作者の岡本太郎が既に亡くなっているから、インタビューされた人たちが、彼がこういうことを考えてたんじゃないかと、ああだこうだと推測を語るけれど、まあ、所詮推測だな、とは思った。
とはいえ、その背景にある太陽の塔が作られた時代の雰囲気は、当時は自分は子供だったけれども、今もなにがしか覚えているし、その中でああいうものが作られたことに対する分析は、いろいろと興味深かった。
「人類の進歩と調和」なんて、全然信じていなかった岡本太郎が、アンチテーゼ的に構想した作品が、そのまま作られて、結果的に大阪万博の中心的なモニュメントになったというのは、結構凄いことだと思う。わけが分からないうちに、岡本太郎に作られちゃったという面もあるんだろうけど、結局は受け入れた側の度量の広さみたいなものも、感じないわけにはいかないなと。そのあとのChim↑Pomのインタビューで、公的な協力を受ける場では、NGワード的なものがどんどん増えていて、アート制作の幅がどんどん狭まっているという話が出ていて、対極的だなと思った。
映画の後半は、少し間口を広げすぎて、散漫になっていたような気がする。チベット仏教や南方熊楠への言及などは、岡本太郎との繋がりが見えなくはないけれど、唐突な感じは否めなかった。縄文と弥生の対立など、少し話を単純化しすぎてやいないか、と思う部分もいくらかあったし。
映画の製作者が、自分たちの主張を岡本太郎に託して描いているだけなのでは、というふうに感じる部分もあった。製作者のスタンスや問題意識自体(たとえば原発への疑念だったり、「自発的隷従」という概念)は、かなり共感できるものだったのだけれど、それを岡本太郎と繋げて語るのであれば、岡本太郎の側にそういうふうに語られる必然性があるという点を、もっと掘り下げて欲しかったなと思う。

興味深くはあったけれど、今一つ、物足りなさが残った感じ。
(2018.10.7)

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「MEG ザ・モンスター」

原作小説「メガロドン」を2006年に読んでいて(感想)、割と気に入っていたので、観に行こうと思った。そもそも映画化ありきで書かれた小説ということだったし、書かれてから20年も経ったにしても、映像化向きな素材なのは確かなので。

古代の地球に棲息していて、今は滅んだはずの巨大鮫メガロドンが、現代に現れて大暴れ、という話で、小説はその暴れっぷりが読みどころだったはずなんだが、この映画では、まさにその点が全然物足りない。突然変異した怪獣ではなく生身の生物だから、現実には、現代の人間のテクノロジー相手にそうそう戦えるもんじゃない、とは思うんだが、この映画は、相当荒唐無稽で無茶な内容なので、メガロドンの戦闘能力の所ばかり、そんなにリアリズムでなくていいのに、と思った。だって、ちょっとサザエでも獲ってくるみたいな雰囲気で、潜水艇がマリアナ海溝よりも深い超深海までホイホイ潜っていくし、事故を起こした潜水艇の救援までのタイムリミットが数時間、みたいな状況で、中国近海からタイの田舎町まで、救援のダイバーを探しに行ってしまうし。昔の30分物の特撮ドラマならありだけど、みたいなレベルの雑な話作りだった。そういえば、研究所や潜水艇のセットの造りやセンスにも、微妙にその辺のドラマぽい雰囲気を感じたし、今時の大作映画にしては、お粗末過ぎないかと思った。それとも、この程度の作品は、今では大作じゃないのか。あるいは、3D効果に頼り過ぎた作品だったという可能性もあるのかな。今回見たのは2D版。

正直、期待外れだった。せっかくのジェイソン・ステイサムの主役も、これでは暴れたりなかったんじゃないかなと。

なお、中国資本で撮られていて、舞台や登場人物には中国色が濃い。今は、アメリカ映画でもこういうのが作られる時代なんだね、という感じ。そういう中に、マシ・オカが日本人役(結構重要な役)で出演していたのには、逆にちょっとびっくり。日本市場もにらんでいるということなのかな。もっとも、日本でマシ・オカがそれほど人気があるとは思えないが。
(2018.9.7)

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「ランペイジ 巨獣大乱闘」

悪徳バイオ企業が遺伝子操作の研究をやっていた宇宙ステーションが崩壊して、生物を巨大化させるガスの入ったカプセル3個が地上に落下。ガスを浴びたゴリラとオオカミとワニが、怪獣化して暴れるという話。

昔ながらの怪獣映画という感じのする作りで、見ていて心が安らいだ。話にツッコミ所は山ほどあるけれど、気にならない。怪獣が街をぶっ壊して、鎮圧に来た軍隊も吹っ飛ばして、大暴れするのと、彼らを止めようとして主人公たちが奮闘するのを見てるだけで楽しい。
主人公のドゥエイン・ジョンソンが、怪獣化したゴリラと心を通わせていて、彼を救おうと必死になるのも、悪役がどうしようもなく安っぽい悪役な所も、ルーティンだけど、いい。要は自分のツボにはまってる、ってだけのことなんだけど。
こういうのを見てると、鬱っぽい怪獣映画なんて要らないな、という気がしてくる。70年代の特撮ヒーロー物みたいに、必然性のある鬱展開ならいいけれど、近年のそういう映画は、娯楽のために、殊更に鬱展開を作っているという気がするので。もっとも、これは単なる思いつきで書いているだけで、しっかり検討してみたわけではない。

ゴリラに鎮静剤を与える場面が、個人的にはこの映画のベストシーンだった(^^;)。
それにしても、ゴリラの名前がジョージで、おさるのジョージを思い出す。犬のポチみたいな、類人猿にはジョージという名前付けの習慣があるのかな。
ゴリラだけでなく、オオカミもワニも犠牲者のはずなんで、そこはちょっと、彼らが気の毒に思えた。

公式サイト

(2018.5.19)

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「ホット・ロック」

1972年の映画。HDDに溜めてあったもの。
確か、ずっと昔に一度、テレビで見た記憶があるが、今回見ていて、内容を全然思い出せなかったから、記憶違いかもしれない。一方で、見た覚えがあるのに、なぜテレビ放映を録画したかも、よく覚えてない。ちなみに2014年に録画したもの。

監督はピーター・イエーツ。主演はロバート・レッドフォード。共演は、ジョージ・シーガルなど。ちなみに、オープニングのクレジットを見ていると、ゼロ・モステルという俳優が、共演者の中では特別扱いされてる感じ。アメリカの著名なコメディ俳優だったらしい。
原作はドナルド・E・ウエストレイクのドートマンダーもの第1作で、とても好きな小説だったが、読んだのはもうずいぶん前なので、細部を覚えてない。泥棒の一味が、同じ宝石を何度も盗まないといけない羽目に陥る、スラップスティックな小説で、大笑いしながら読んだのは覚えているが。
なので、あくまでも印象レベルの話になるけれど、この映画は、ニューヨークを舞台にした、都会的な軽いコメディという感じだが、原作はもっとコメディ色が強かったと思う。そもそも、主役のドートマンダーは、いつもツキに見放されている、もっと惨めな感じの男で、そういう主人公が逆境でジタバタもがくのが、このシリーズのコメディとしての面白さなんだが、ロバート・レッドフォードみたいに格好いい俳優が演じてしまうと、あまり雰囲気が出ないよな。一応、映画の話も、そういうシチュエーションに、なってはいるんだけど。
ニューヨークの街を舞台にした画面の作りそのものは、好きなタイプの映画だけれど(音楽も、クインシー・ジョーンズで、はまっている)、コメディとしては、そこまで面白くない、という感じ。ドートマンダーの仲間のケルプやスタンも、原作ではマンガみたいな笑える登場人物だが、実写映画でリアルに演じられてしまうと、小説で読む時のようなバカバカしさがいまいち出て来ない。

それから、バカバカしさという点では、ドートマンダー一味が仕掛けるいろいろな犯罪計画は、それはいくらなんでも無茶では、と思える類のもの。70年代初期のアメリカの警察って、まだ随分のんびりしていたのね、と思ってしまう。単に時代が違うというだけかもしれないが、そういう所も、ちょっとリアリティの無さを感じてしまって、あまり乗れなかった。全然覚えてないんだが、原作はどうだったんだろうな。まあ、小説の描写と実写映像のリアリティというのは、全然別物ではある。

脚本がウィリアム・ゴールドマンなのを見て、そうだったんだ、と思った。この作家は、小説家としてはとても好きな人。
好きになってもいいはずの要素が、これだけあるのに、今一つの映画としか思えないのは残念。録画してあった理由は、そういう残念な印象があったから、見直してみたいと思った、ということじゃないかな。で、見直した結果も、やっぱり残念だった、と。

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