感想「「日本人の神」入門」

「「日本人の神」入門」 島田裕巳 講談社現代新書
昨年刊行された本。「神道の歴史を読み解く」というのがサブタイトル。日本の「神道」が、どういう風に生まれて続いてきたか、という経緯を解説した本。

わかってるようでわかってない、天照大神とか、八幡神とか、大国主神とか、どういう存在なのかというあたりが、丁寧に説明されていて、なるほどと思ったし、ためになった。もっとも、大国主神に関しては、文献が存在する以前の時点で、既にいろんなものが混交していて、実際にもよくわからない存在、ということらしく、わからなくって当たり前、というところみたい。ただ、いずれにしても、神道というのは、元々非常に政治的なものだな、という印象。

それをさらに明治政府が、国を統治するのに都合のいい道具として、国家神道に改変した。その流れを汲んでいる神道なんて、全然、日本の古来のものじゃないし、伝統でもなんでもないと思う。拝礼の仕方だって、明治以降に制定されたものと聞くと、ありがたみなんて全く感じない。もっとも、神社へ行って拝むということは、元々、基本的にしてないが。まあ、今ある全ての神社が、そういう存在というわけでもないはずだけれど。
流入してくる西洋の思想に対抗するためのバックボーンとして、こうした思想的なものが必要とされた時期があったのは分からないでもないけれど、ある時期以降は、明らかに暴走したし、それは今も続いているように思える。
自然発生的な神への信仰を否定しようとは思わないが(それこそが、日本の伝統的な宗教意識だろうと思うし)、国家神道の延長にある神道に関しては、なんでこんなものをありがたがれるんだろう、としか思わない。

もっとも、本書は明治より前の神についての考察が主体で、こういう話は最後の部分だけなんだけど、読んでいると、どうしてもこの辺りに強く反応してしまう。
(2017.2.9)

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感想「エラリー・クイーン 推理の芸術」

「エラリー・クイーン 推理の芸術」 フランシス・M・ネヴィンズ 国書刊行会
エラリー・クイーンの業績の全貌をまとめたもの。昨年末に刊行された分厚いハードカバー。
30年以上前に出た同じ著者による「エラリー・クイーンの世界」を大幅に増補改訂した内容で、これ以上の本はもう作れないだろうと思う。データ的な部分は、新たに資料が発掘されれば補強する余地があるだろうが、著者が2人のクイーンや関係者から直接得ている情報の量が非常に多い点については、話を聞いた相手が既に亡くなっていて、これ以上の情報を、もはや得られない場合が多い。それだけでもこの著者を凌ぐのは無理だし、ネヴィンズ自身も結構な高齢になりつつある。

個人的には、「エラリー・クイーンの世界」の時は書くのを控えられていたり、それ以降に資料が出て来て明らかになった事情が、いろいろと記述されているのが、最大の読みどころだった。ラジオドラマなどへのアントニー・バウチャーの大きな貢献や、ペーパーバックオリジナルや「盤面の敵」以降の正典のゴーストライトの話など、非常に興味深い。ある意味、エラリー・クイーンというのは、2人の従兄弟が合作していたペンネームというだけでなく、もっと多くの人間が関わって作り上げていた「ブランド」だったのかな、という気もしてきた。

そう考えると、今度は、ダネイとリーの2人は、どうして、そこまでしなくちゃいけなかったんだろう、という気がしてきた。小説だけでなく、それにかかわる、ありとあらゆるものに、積極的に手を出していった、という感が強い。お金が必要だった、という理由付けは、何箇所かに記述されているし、実際、そうだったんだろうとは思うんだが、一方で、本書に書かれている内容を読む限りでは、そんなに生活が追い詰められていた雰囲気もないように思える。それだけでは説明しきれないように感じられ、お金以外にも彼らを突き動かす要因があったんじゃないのかな、という気がする。

それから、晩年の小説は、むしろ正典以外の活動があったからこそあり得た作品群だったのかな、とも思えてきた。だとすると、クイーンを論じるためには、正典だけ見ていたのではダメで、全ての活動を視野に置かないといけないんじゃないんだろうか。クイーンを論じることの難しさの一端は、もしかしたら、実はその辺に原因があるのかもしれないと思った。

それにしても、後期のリーが、古典的な本格ミステリをここまで嫌っていたというのは、驚きに近いものがある。人の好みなんて、年が経てば変わるもの、というのは、自分自身を振り返ってもよくわかるんだが、これほどの状態で、よく合作を維持できていたなあ、と思う。その辺も、経済的な事情ということで、全て説明しきれるものなんだろうか。
(2017.2.8)

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感想「THIS IS JAPAN」

「THIS IS JAPAN」 ブレイディみかこ 太田出版
著者は若い頃にイギリスに渡り、そのまま在住している人で、イギリスの社会や、イギリスから見える日本の状況について、主にイギリスの労働者階級の視点で、ブログや著者で発信している。その人が日本の社会運動などの周辺を生で取材して書いた本。昨年8月の刊行。

取材といってもジャーナリストではないので、報道ではなく、あくまでも日本探訪記みたいな感じ。いろんな現場を訪れて、直に見た上で考えたことを書いている。賃金不払いのキャバクラへ交渉に行くユニオンとか、安倍政権反対のデモとか、近頃何かと話題の多い保育所とか、ホームレス救援の組織とか。
報道ではないけれど、描かれている内容は、確かにそうだろうなと思いあたるようなもの。「これが日本だ」と言われて、うん、そうだね、と思う。正直、暗くなるような気分の話ばっかりだが、今の日本が本当にそうなんだから、しょうがない。
なんでそうなのか、という点についての、著者のとりあえずの結論は、「一億総中流」意識の呪縛というやつなんだと思う。ちなみに、帯には「日本人は「中流の呪い」がかかっているのか?」という文言が書かれている。
確かにそう考えると、いろいろ腑に落ちるというか。自分が底辺じゃないと思いたいから、実質的には全然そういう状態なのに社会に助けを求めない、「中流」以上に見える人間にへつらって、社会に助けを求める「中流」未満に見える人間を見下す。その分、自分が脱落したと認めざるを得なくなると、ダメージが大きいから、すぐに精神を病んでしまう。そうはありたくないと、日頃から思ってるが、自分自身にも思い当たる部分は確実にあるし。

ただ、日本はそういう状態のはずなのに、いろんな社会運動が、欧米みたいに盛り上らない。結局、とりあえず食えてはいる人間が多いからなんだろうなと、前から思ってて、そういう話は本書の中にも出てくる。それはもちろん悪いことじゃないだろうけど、人間の尊厳とか人権意識とかを考えない低いレベルで食えてるのであれば(生かさぬように殺さぬように、みたいな)、積極的に肯定出来ることでもないと思う。そういう形で、本来主張されなきゃいけない権利がないがしろにされてる日本の現実というのが、本書で著者が見てきたことだと思う。

イギリスでは階級意識がはっきりしている分、下層階級の権利意識が明確で、社会に対する要求も強い、ということを著者は書いていて、やはりそれがあるべき姿じゃないかな。ただ、前提の強固な階級意識ってのは、全然あるべき姿ではないと思うけれど。(その辺は「デヴィッド・ボウイ・イズ」を見た時に考えたことのひとつに近い)
そういう意味では、別にイギリスも、全面的に憧れる対象ではないとは思う。どんな国にもいい所と悪い所があって、それはある程度は裏表のような気がする。ただ、今の日本はいい所の方だけを、どんどん捨て去ろうとしているように思えるが。

ちなみに、著者は自分とだいたい同世代で、考え方が理解しやすかったのは、そのせいもあるのかなと思った。
「この世界の片隅に」の受け取られ方を見ていて、世代による物の感じかたの違いというのを痛感している所なので、そういうことをつい考えてしまう。
著者がそんなことをちょっと書いてるくだりもあるが、まあ、うちらは幸運な世代だったんだと思うよ。ただし、この先もそうかどうかについては、自分はかなり悲観的だが。

それと、「世代」ということで言うと、実際の所、今の若い世代になると、「総中流」って何?というくらいでもおかしくない、経済情勢の中で育ってきているはず。だから、そういう世代については、こういう分析は当てはまらないのかもしれないし、そういう人たちには、この本で書かれていることも、あまりうまく伝わらないんじゃないだろうかと思ったりした。もちろん、子供は親の世代の影響を受けないわけにはいかないだろうし、家の中の雰囲気(家風みたいなもの)は簡単には変わらないし、そんな単純なものではないかもしれないが。
ただ、そういう層が主流になった時点で、世の中は大きく変わるのかもしれない。どういう形に変わるのかは分からないが。
(2017.1.21)

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感想「ワケありな国境」

「ワケありな国境」 武田知弘 ちくま文庫
世界のあちこちにある、いろいろな奇妙な国境について、その由来を解説した内容。

こういうテーマには元々関心があって、いろいろ読んでるから、知ってる話もあったけれど、手際よくまとめられているので、知らなかった件については興味深く、知ってる件についても、整理した形であらためて知識を得られたという感じ。とても面白かった。
ブラジル独立のいきさつとか、タイにリゾート地が整備された理由とかは、初めて知ったんじゃないかな。そういうことだったのか、と思った。

2011年に出た本なので、今なら、こういう書き方にはならないんじゃないかな、という記述が所々あったりするが(EUに触れているあたりとか)、基本的には過去のいきさつを解説する内容なので、それほど気にはならない。それにしても、たかだか5年でも、世界の状況が結構変わっている、とは思った。

著者の思いみたいなものが、巻末の「文庫版あとがき」に書かれている。「国境とは、国と国のエゴのぶつかり合いである」「国境問題は人間関係と同じである」「冷静に客観的に粘り強く進めなくては、いい結果は得られないのである」、などなど。今の日本に居る、ナショナリズムを煽れば国境問題が解決すると思ってるような向きに、警鐘を鳴らしているんだと思うし、その通りだとも思う。
もっとも、煽ってる側の意図は本当は逆かもしれないが。解決しそうもない国境問題をダシにして、ナショナリズムを煽っているんじゃないかな。北方領土については、昔からそう思っていたし、今もそう思っている。
(2017.1.4)

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感想「イランの野望」

「イランの野望」 鵜塚健 集英社新書
サブタイトルは「浮上する「シーア派大国」」。
「野望」というのは、かなり煽情的なタイトルだけど、内容は、日本では誤解されている所が多々あるイランの真の姿を伝える、という意図を感じさせるもの。
イスラム教の中では少数派のシーア派の国で、アメリカと対立しているから、ネガティブな情報ばかりが流れがち、という構造らしい。先日読んだ「クルアーンを読む」という本でも、著者の一人の中田考(スンナ派のイスラム教徒)は、イランをばりばり敵視していたし。

イランは中東にあっては、危険な国どころか、国内の治安は最も安定している部類だし、ガチガチなイスラム教徒はそれほど多いわけではなく、庶民レベルでは反米どころか親米。生活水準も教育水準も結構高く、イスラム教の影響で女性に抑圧的と見られているが、男女の分離が厳密に行われている分、むしろ日本よりもはるかに女性の社会進出が進んでいる、というような感じ。
物事を、一方向からではなくて、いろんな角度から見ることの必要性を感じさせてくれる。

もちろん、イランが手放しで素晴らしい国というわけではなくて、ネガティブな要素も多々あって、女性が機会を奪われている面は確実にあるし、報道に対する抑圧も非常に厳しい。
ただ、今の日本で、現政権が報道に対する干渉をどんどん強めていたり、女性の地位向上に対する抵抗が根強いことを考えると、日本には、そうした面で、他国のことをどうこう言えるような資格が、急激になくなりつつあるんじゃないか、という気がするけれど。

イランのような独自の立ち位置にいる国と、独立したスタンスでうまく付き合うことが出来てこそ、一人前の国だと思う。昔の日本はそれが出来てたように思えるんだが、近年は、そういう所も急激に劣化しているような感じがする。日本はすごいとかえらいとか言ってる人間が、逆に、日本のすごかったりえらかったりした所を、どんどん壊していってるのが現状のような気がしてしょうがない。

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感想「サッカーと愛国」

「サッカーと愛国」 清義明 イースト・プレス
サッカーとレイシズムの関係についての考察。著者はマリノスのサポ。著者が以前からツイッターやブログに書いていた文章をまとめた内容。ネットに載せられた文章はかなり読んでいるので、目新しい内容は3割くらいかな。著者紹介によると紙のメディアでも展開してるらしいが、そっちは守備範囲外なので知らないから、読んだ記憶のない内容は、そっちの方のものなのかもしれない。いずれにしても、ちょっと寄せ集め感はあるにしても、まとまった形で読めたのは有難かった。

おおまかな構成としては、日本の状況を概観した後で、重要な要素になっている朝鮮や中国との関わりについて述べ、最後に世界(主にヨーロッパ)の状況を説明していくという感じ。

日本とヨーロッパでは事態のフェイズが違うんじゃないかということを、漠然と思った。
ヨーロッパではレイシズムはあることが前提で、自覚してそういう行為が行われているし、対抗する側も明確にあるものに対して反対する形になっている。日本にもレイシズム的な意識は昔から存在していたけれど、たいていの人はそれに無自覚で、意識せずにレイシズム的な行動をしていたり、そういう行動に気付かず、スルーしている状態じゃないかと思う。ただ、一部のレイシズムの活動家が、それを自覚的で、より惨たらしいもの(要はヨーロッパに近いもの)にしつつある、というのが、今の状況なんじゃないのかな。
ただし、無自覚だったら害が少ないというものでもないし、見えていなかったり、実感がない分だけ、対抗もしにくい状態にあるのも間違いない。

書かれている内容は、著者が現場で体感した実際の経験がベースになっているので、信頼感がある。日頃から自分自身が体験したり、見聞きしていることに照らしても、違和感は覚えない。
実際、1990年代後半以降、サッカーが日本の中で不健全なナショナリズムを加速させたという実感はあるし、自分が日本代表の試合にどんどん関心がなくしたのも、多分にそれが理由だから、サッカーとナショナリズム・レイシズムの親和性は感覚的によくわかる。
むしろ、代表戦なんて、それがあるから盛り上がるんじゃない?、とも思っているので、W杯自体にも否定的にならざるを得なくなっている(オリンピックも同様)。
そういえば、Jリーグが始まった頃、日本代表の強化のために創設したリーグ、みたいな説明を聞いて(その辺の話も、本書には出て来る)、違和感を覚えたことを思い出した。

ただ、本音の所ではわからないが、今のFIFAはアンチレイシズムを強く打ち出しているし、サッカーの強い影響力を使ってレイシズムと戦うという姿勢を見せているのは立派だと思う。そうせざるを得ないくらい、ヨーロッパの状況が酷い、という話なのかもしれないけれど。それはこの本を読んでいて感じたこと。
日本では、この問題に関しては政府があてにならないから(政府の中心にいる人間たちが、レイシストを支持基盤の一部にしているくらいなので。ただし、それもある程度は、無自覚から来ているようには思える)、FIFAの直下にある日本のサッカー組織は、かなり重要な存在なのかもしれない。Jリーグがアンチレイシズムを掲げることで、そうした問題に実感のない層にも意識を浸透させていく、ということが可能かもしれないし。
そこまでの自覚がJFAやJリーグにあるのか?という点は、正直疑問符だけれど、スタジアムでレイシズムの事件が起きれば、対応しないわけにはいかないし、それを続けていくことで、意識が醸成されていく可能性はある。実際、どこまで効果が上がっているのかは分からないが、本書に紹介されているマリノスの取組みがあったり、浦和レッズもそれらしい働きかけを行ったりはしているわけで。ただ、十分な効果を上げるためには、臭いものに蓋的な対応ではなくて、こういう許されない行為があったので厳しい対処を行ったということを、誰にでも見えるところに公表していくことが必要だろうな。
(2016.7.30)

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感想「歴史再発見 アフリカは今 カオスと希望と」

「歴史再発見 アフリカは今 カオスと希望と」 松本仁一 NHK出版
NHKのラジオ番組のテキスト(放送は聴いてない)。アフリカの国々が軒並みぐちゃぐちゃな状態に陥っているのはなぜか、というあたりを、概説する内容。
ボリュームが薄いので、あくまで概論。話を単純化し過ぎてない?と思う所はあるけれど、論点が整理されていて、頭には入りやすい。比較的馴染みのある題材を選んで解説しているので、とっつきやすさもある。

もちろん、混乱の元凶は、かつてのヨーロッパ列強。植民地支配の過程で、元々存在していた社会秩序を完全に破壊したことと、植民地解放の際には、地域の部族の分布や力関係に配慮することなく、植民地当時の枠組みのまま、独立させたこと(それによって、多数派の部族が利権を貪るような状態になった)が問題だった、と著者が言っている印象。
ただ、前者は当然そうだろうけど、後者に関しては、部族毎に分割して独立したとしても、内戦じゃなく国同士の紛争が起きただけでは、という気はしないでもない。それと、多数派が数の力で権力の座に居続けたことで権力の腐敗が進んだという話なら、必ずしも部族がどうというだけの話じゃないはず。話を単純化し過ぎてない?と思ったのは、特にそのあたり。

しかしまあ、独占的な権力が腐敗を生むということを考えるのは、重要なことだと思う。日本で、賄賂を貰うどころか、自分から要求するような元大臣が、平気な顔で政治活動を継続してるのも、そういう構造だし、そういう連中は自分たちが権力を握っている構造を維持するためなら、どんなことでもするよな。

そう考えると、アフリカの事態は、そんなに他人事でもない気がしてくる。
著者は、日本は幕末時にあった、ヨーロッパ列強に植民地化される危機を、国民国家を形成することで賢く切り抜けた的なことを、しきりに言いたがっているが、そっちの観点はないのかな、と思った。それに、日本とアフリカでは地理的にも歴史的な経過も全然違うから、植民地化の有無を単純に比べるのは、あまりにも無理があるし、そのあたりにもかなり違和感を持った。

権力者のモラルの低さ(結局そういうことだと思うんだが)については、力のある対抗勢力がない限り、どうしたってそういう方向に流れると思う。それを押し止めるのが、たとえば宗教の役割なんじゃないかと思うんだけど、それがうまく機能していないから宗教原理主義が台頭して、タリバンやISが登場するという構図なんだろうかと思ったり。
近頃はイスラムばっかりで、キリスト教のそういう動きは聞かないのは、イスラムの方がそれだけ世俗的だからなのか、それとも、もしかして、そういう意味でのキリスト教はもう終わってるということなんだろうか。
(2016.6.22)

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感想「現代思想の遭難者たち」

「現代思想の遭難者たち」 いしいひさいち 講談社学術文庫
帯に「学術文庫でマンガ!?」とある。著名な現代思想家の面々をネタにしたマンガ。
この本自体は、何年か前の「文藝別冊」でいしいひさいち特集が組まれたのを読んだ時に、そういうのが出てることを知って、興味を持った。いかにも、いしいひさいちがやって、はまりそうなネタだな、と思ったので。文庫化されたので、買ってみた。

現代思想って、よくわからんから、いしいひさいちが適当に紹介してくれてれば、さわりくらいは分かるようになるかも、という期待があったんだけど、正直、全然だった(^^;。そもそもマンガ自体が、思想家の言葉をそのまんま引いて来てるような箇所が多くて、よくわからん。いしいひさいち自身も、素材をそんなにうまく消化できてない気がする。マンガの脇に書いてある解説文も、また、よくわからなくって、やっぱり現代思想って、わからんわ、という結論。

もっとも、多分、思想そのものが分からないというより、思想家が自分の思想を語る説明の言葉に、いちいちオリジナリティがありすぎて、それを飲み込んだ上でないと話に付いてけないから、分からないということなんだろう、という気はする。最初に掲げられてるテーマ自体は、多くの場合、なにがしか物を考え始めれば、かならずぶち当たりそうなもので(その程度のことは、読んでいて分かった)、全く別次元のことをひねくり回しているわけではないはずだから。そういう意味で、高等数学とか理論物理学とかとは、話が違うはず。
日頃、自分がもやもや考えてることを、考えることの専門家である学者や教授がやってる、ってことなのかな、と思ったし、自分で、ただやみくもに考えるよりは、そういう人たちの成果を貰って来る(読んでみる)方がいいのかもしれないな、という気はした。

でも、それをするにしても、彼らの言葉が理解できないことには…。多分、思想を語るためには、まずは自分の思想を正確に定義するための言葉を作ることが必要、ってことなんだろう。
しかも、ここで紹介されているのは、すべて外国人なので、思想も外国語で表現されているし、それが翻訳される過程で、エラーが生じてる可能性もあるし、読みにくい翻訳の場合もあるだろうし。
そういう意味でも、現代思想は難しいわ。
(2016.6.6)

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感想「二階の住人とその時代」

「二階の住人とその時代」 大塚英志 星海社新書
後ろ向きな読書になるのが目に見えてたから、一度は読まないことにしたんだけど、結局読んでしまった本。
70年代後半から80年代前半にかけての、まんがや特撮やアニメーションの周辺に発生したマニアと、それに呼応した製作者やメディアの動きを、当時、徳間書店の「リュウ」や「アニメージュ」の編集部があった、ビルの「二階」で渦中に居た著者が、回想記の形で綴っていく。

あの頃の、そういう動きに、雑誌などを通して触れてた人間にとっては、すごく懐かしい話なので、それはそれで楽しめる内容なんだけど、何を今さらな感じは否めないし、そう思ったから、一旦は読まないことにしたわけで。
でも、読んでみたら、当時の自分の立ち位置ってのが改めて確認できた気がするのと、自分はあんなにオタクに近い所に居たのに、結局そっちへ行かなかったのはなんでだろうという、自分でもよく分からなかったあたりが、何となく分かった。ごく個人的な上に長ったらしい話になるから書かないけど、それはちょっと良かった。それにしても、やっぱり後ろ向き、ではあるけど。
まあ、あの時代、俺みたいな中途半端な立ち位置の人間が、いっぱい(多数派ではなかった実感はあるが)居たんだろうな、と思った。そういう中で、うまく(?)条件が揃った人間がオタクになって、さらに成り行きに恵まれた(?)人間が、著者のような、情報の送り手側に行ったんだろうと思う。

他にも、ほとんどページ毎に、いろんなことを思い出したり、考えさせられた。きりがないので書かないけど、特に印象的だった話をひとつだけ。
「テレビランド」の特撮ヒーロー物のコミカライズ(「アクマイザー3」や「キョーダイン」の頃)がとても好きだったんだけど、こういう背景があったのかと、初めて知った。年齢的に微妙な時期だったので、そんなには読んでないんだけど、もっと読んどけばよかったと思った。
(2016.6.1)

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感想「フィフティーズ」

「フィフティーズ」 デイヴィット・ハルバースタム ちくま文庫
50年代のアメリカ社会で起きた様々な変化について論じたもの。一般的には巨大な変動が60年代に起きたと思われているが、安定していたと思われている50年代に、むしろ、その変動が準備されていた、ということを書いている。
いろいろなテーマについて、キーになる人物にスポットを当てる形で(そういうスタイルなので、「フィフティーズ」というのは、「50年代」というだけでなく、「50年代人」というニュアンスも込めているのかなと思う)、ひとつひとつ細かく述べているので、分量も多く、文庫3分冊。読むのに一月かかった。まあ、一月ずっと、この本だけ読んでたわけじゃないが。

アメリカの50年代が背景になった小説とか映画とか、いろんなものを随分読んだり見たりしてきたけれど、あれはそういうことだったのか、と思わされる所があちこちにあって、かなり興味深かったし、今のアメリカを見るにしても、こういう背景があることを知っていれば、随分違うと思った。だいぶためになった。
俺にとって、アメリカの50年代は元々憧れでも何でもなかったけど、これを読んでると、いよいよ嫌な時代に見えてくる。とはいえ、悪い面だけでなく、いい面もあったと思えるし、単純にひとくくりには出来ないね。

ちなみに、50年代といっても、あくまでもアメリカのなので、日本の50年代とは全然話が違う。背景に、マッカーサーが支配する日本が見えるくらいだから。
むしろ、今の日本が、ようやくアメリカの50年代なのかもしれないと思う所もちらほら。というか、今の日本の社会のいろんなあり方が、遡るとアメリカの50年代に端を発しているんだな、という感じ。価値観とか、労働者と企業の関係とか、家族の形とか。

劣勢だった共和党が、共産主義の脅威を強くアピールすることで、民主党から主導権を奪い、赤狩りでいろんな人間を陥れていったやり方は、容易に今の自民党とその周辺のやり口を思い出させる。彼らはそういう所を歴史に学んできてるのかもしれないなと思った。
それでも、共和党・民主党で単純に割り切れない複雑さがあるのがアメリカだし(この辺の構図もなかなか理解出来ないんだけど、本書を読んで、今までで一番よく理解出来た気がする)、民主党=良識的というわけでもない。
むしろ、入り組んだ構図の中には、良識的な考え方が伸長する隙間もあって、それが公民権運動や女性解放に繋がったという風に見える。文化の多様性がそうした隙間を作っているように思えるし、そこがアメリカの良さなんだろうと思う。
もちろん、アメリカのどこにでも常に多様性が許容されてる、というわけじゃない。そんなに素晴らしい国じゃないし、他にもダメな所はたくさんある。そうはいっても、近頃のこの日本では、多様性を許容するそういう空気を感じることが少な過ぎるし、権力に対して素直に従い過ぎると思う。そういう所は、アメリカの方が、まだマシなんじゃないんだろうか。
(2016.5.14)

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