感想「「空気」と「世間」」

「「空気」と「世間」」 鴻上尚史 講談社現代新書
3月に同じ著者の「不死身の特攻兵」を読んだ時、日本人の精神構造について、こちらの方で詳しく書いたという記述があり、読んでみたかった本。

今までずっと、この国で生活していて感じていた強い違和感について、自分なりに考えてきたのと同じことが、この本に書かれていた、という気がした。自分の狭い経験の範囲で理屈で考えていたことが、もっと広い経験を持って、いろんな勉強もしてきた著者と、似たような結論に達していると知ったのは、随分心強かった。
鴻上尚史は、「不死身の特攻兵」を読んだ時に感じた通り、 確かに自分と同じようなものの考え方をする人らしい。ずっと、そうだとは思っていなかった。

特に印象が強かったのは終盤の部分。キリスト教などの一神教を信仰する人々にとって、気持ちの最後の拠り所ともなる宗教に対し、日本人のそれは「世間」なんだというくだり。こうした考え方自体は、特に新しいものでもないと思うが、そこから先の、「世間」に対して強い違和感を持ちながら、宗教も信仰しない(自分みたいな)人間にとって、「救い」はどこに求められるのか、という部分が、個人的にかなり重かった。
このテーマは、以前から時々頭に浮かぶけれど、それに答えてくれる考察をあまり読んだことがないような気がしていただけに(もっとも、そういう関係の文章を読み漁っているというわけでもないが)、とても興味深かった。ちなみに本書の前書きには、「世間」や「空気」の重苦しさを取り払う方法について書いた、という趣旨の文章があるから、この部分こそが、本書の一番重要なテーマなのだと思う。
そして、著者が提示するのは「社会」とつながること、複数の「共同体」とゆるやかにつながること。前者はやや抽象的な言い方で、具体的な手段になるのが後者かなと思う。それはなんとなくわかるし、自分が日頃、漠然と考えていることにも近い気がする。そして、多分これは、「複数」で「ゆるやか」なのがポイントなのだろうと思う。 

ただ、本書で触れられていない、知りたいと思う点が、ひとつある。日本同様に一神教に支配されていない他の地域はどうなんだろう、ということ。たとえば中国やインド。彼らは何に救いを求めているのか。そういう地域にも、日本で言う「世間」に似た重苦しいものがある、ということになるんだろうか。

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感想「漢帝国 400年の興亡」

「漢帝国 400年の興亡」 渡邉義浩 中公新書
中国の漢とはどういう国家だったのかを論じた本。国家の成立から衰退までの権力構造の推移を、主に「儒教国家」の成立という観点から語っている。前漢・新・後漢と続いていく中で、儒教がどういう風に国家経営の理念に取り込まれていったか、という過程を解説している。

漢の時代の歴史について、それほど知識はなかったけれど、故事として見聞きしたことがある題材は多いし、近年では北方謙三の「史記」を読んだりもしている。断片的に知っているそうした出来事の、歴史の中での位置付けが分かるのは興味深かった。

というか、北方謙三の中国物を読んでると、登場人物がやたらと漢に拘る場面が出てくる。下敷きにしている原典に、そういう要素があるんだろうと思う。それから、今の中国の中心的な民族は明らかに漢民族だし、端から見る限り、漢民族が周辺のモンゴルやチベットやウイグルといった民族を、元々中国の一部というような言い方で支配して、抑圧している構図が見える。そんなに後世に大きな影響を残している漢というのは何なのか、という疑問は前から持っていた。その辺について、何か教えてくれる本かなと思って、読んでみた。本屋で読んでみた前書きにも、それらしいことが書かれているように感じたので。
結果的には、その辺の疑問の回答は得られなかった気がする。ただ、 かなり細かい専門的な記述も多く、素人には理解しにくい所があったので、実際には書かれているけれど、読み取れなかっただけなのかもしれない。ともあれ、すんなり納得できるような説明が得られなかったのは、残念だった。 後世への影響という点では、著者の強い関心は「三国志」の時代あたりまでで、それ以降に関しては補足程度のようにも感じられたから、こちらが求めていたものと、焦点が少しずれていたという気もする。

ただ、漢の時代に形成された国のあり方が、時代に合わせた変革は行われつつも、近代に至るまで(もしかしたら今も)中国の体制の骨格であり続けているというのは理解した。元や清のような、異民族に長く支配された時期があっても、それが続いたというのは、よくわからないのだけど、巨大な国だったので、うまく支配するためには、異民族であっても、それまでの体制を残さざるを得なかった、ということなのかな(1945年のアメリカが、天皇制を残して日本を占領したようなものか?)。経緯はともかく、そうやって漢に端を発した支配体制が長く維持され続けることで、それこそ日本の天皇制のような、漢を輝かしい過去と捉える、一種の神聖化が起きているのかな、とは思った。

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感想「日本の野球場100選巡礼 スタジアム漫遊記」

「日本の野球場100選巡礼 スタジアム漫遊記」 久保田登志雄 彩流社
日本全国で300以上の野球場で観戦した著者が、その中から100球場をピックアップして、観戦体験をまとめたもの。
データベースとして使うには情報量不足だが、著者がその球場を見て、感じたことが細かく書き込まれているので、球場の雰囲気を感じるには手頃な感じ。
著者がやってることは、球場への行き来の過程も含め、自分が日頃やってることとほとんど同じなので、感覚はよく分かるし、同好の士という感じで読める楽しさのある本だった。
ただ300以上というのは、一般人が日常のかたわらに行くというレベルとしては、なかなか届かない数字だと思う。しかも、この著者は、長年に渡って積み上げたというよりは、巻末のリストを見ると、この10年間くらいに急激に数を積み上げていて、観戦球場数を増やすことに特化して、観戦に通っているように思える。その辺の方向性は、自分とは違うと思った。自分の場合、そういうことをやりたい気持ちもないではないけれど、特定のチームやリーグを定点観測的に見続けたいという意識の方が強くて、そちらを優先してしまうから、なかなか球場数は増えていかない(ちなみに現時点で40程度。あとは、サッカーと兼業だったり、基本的には見に行かないカテゴリーがあったり、という事情もある)。
それから、いろいろと著者の雑感が書き込まれているが、皮相的な面だけを見て、安直にコメントしているように感じる部分がちらほら。もっとも、あくまでも「漫遊記」なので、そんなものだろうなとは思う。
誤字が目立つのも気になった。あまりしっかり校正されていない様子。ただ、そうした所を見ると、個人が趣味で出した自費出版的な本のように思えるし、そういう本に細かい所をとやかく言うのはヤボかもしれない。

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感想「内戦の日本古代史」

「内戦の日本古代史」 倉本一宏 講談社現代新書
日本の古代に起きた内戦がどのようなものだったか、というのを解説する内容。
前振りとして、日本の古代は、諸外国(といっても、中国や欧州程度と思われるが)に比べて、対外戦争も含めて極端に戦争が少なく、事後処理も、敵側の人間であっても、降伏したのであれば戦後の統治体制に受け入れるなど、概して穏やかなものだった、ということを言っている。
その後、ひとつひとつの内戦を細かく解説していくが、日本史のかなり細かい所まで踏み込んだ内容なので、バックグランドの知識が乏しい自分にとっては、なるほどそうなんですか止まりだった。それでも、こんな所まで文献から読み解けているのか、というあたりには、ちょっと感銘を受けたけれど、たとえば邪馬台国の所在にしても、説が色々ある中で、この著者は自身が妥当と思う説に基づいて自説を組み立てているから、この本全体の内容も、どこまでが専門家の中での共通認識なんだろう、とは思った。

元々は、穏やかだった古代が、なぜ血腥い中世へ移行して、さらには明治以降の殺伐とした好戦的な国家へ繋がっていったのかというのが、著者の問題意識らしいのだけど、本書は古代の戦争の解説の域を出ていないように思える。問題意識に関わる部分の考察はあまり厚くなく、そこに興味を引かれて読んでみた本だったので、その点は残念だった。諸外国に比べて、と言っている割に、外国の歴史にそれほど通じているようでもない印象を受けたあたりもマイナス点。要するに、著者の主張の部分に、どの程度の妥当性があるのかを、本書を読んだだけでは、いまひとつ判定しづらかった。
それでも、あまり知識のない古代の権力闘争について、なにがしかの知識が得られたのは良かった。古代の権力闘争が、朝鮮半島のそれと、思っていた以上に密接に繋がっていたのも興味深かった。日本と朝鮮半島は、少なくとも権力者のレベルでは、今よりもずっと密接な関係にあったということなんだよな。
(2019.5.5)

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感想「犬であるとはどういうことか」

「犬であるとはどういうことか」 アレクサンドラ・ホロウィッツ 白揚社
犬の嗅覚について論じた本。学術的な検証結果や、犬の嗅覚を実際に利用している様々な現場を取材した経験をまとめている。著者はさらに、自分でもいろいろな嗅覚のトレーニングを体験して、においを嗅ぐというのはどういうことなのかとか、人間の嗅覚についても踏み込んでいく。

自分は別に犬好きというわけではないけど、散歩している犬が、道端のにおいを必死で嗅いでいる姿には、いつも心を打たれているので(^^;)、この本に興味を感じた。なぜ心を打たれるかというと、自分自身がにおいに興味があるからで、それは間違いなく、子供の頃、あんまり視力がよくなかった分、聴覚や嗅覚を鍛えようという意識が強かったから。でも犬には勝てないよなあ、と思っていて、その点は犬に敬意を持っているよ。
犬の高度な嗅覚(においを感知するというだけでなく、それを使ったさまざまな探索能力も含め)についての、興味深いエピソードがいろいろと書かれているが、飼い犬からはその能力が失われつつあるというのは、残念なことではある。餌が貰えるから、自分でいろんなものを嗅ぎ出さなくても食事に困らないのと、いろんな所に鼻を突っ込むのを、飼い主は概して嫌がるから、というのがその理由だそう。確かに近頃、散歩中に嬉々としてにおいを嗅いでる犬を、昔ほど見かけない気がするなと、思ってはいた。もっとも、それは能力を使うことを忘れている(教えられていない)だけなので、訓練すればちゃんと思い出すらしい。
まあ、それにも関わってくるのだろうけど、においを嗅ぐのは意識的な行為だというのは、興味深かった。勝手ににおってくるにおいも確かにあるにせよ、基本的には意識して嗅がないと、においは分からないらしい。ということは、人でも訓練すれば、犬並みは無理としても、今よりはにおいが嗅げるようになるかもしれないわけで(著者はそういうトレーニングも受けてみたりしている)、夢のある話。

ちなみに、人間の病気を犬が嗅ぎ出すというくだりを読んで、そんなら犬を1匹飼ってみるのも悪くないかと一瞬思ったものの、面倒見切れないのは確実なので、やっぱり無理。
(019.4.13)

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感想「不死身の特攻兵」

「不死身の特攻兵」 鴻上尚史 講談社現代新書
太平洋戦争末期に特攻を命じられ、9回以上出撃しながら、生き延びて帰った佐々木友次という人物を紹介することを通じて、特攻がどういうものだったのか、なぜこんな不条理なことが行われたのか、といったあたりを論じた内容。
日本軍がやっていた特攻が、どれだけ愚劣な作戦だったか、それを推進した連中が、どういう風に醜い人間たちだったかというのが、よくわかる。
理屈で考えれば最悪の作戦であることが分かるはずなのに(あるいは、ある程度、事態が進んだ後では、結果も明白に出ていたはずなのに)、それを認めず、そのまま特攻に突き進んだ背景には、無能な指揮官と、愚劣な命令に従順に従う家来たちという二重構造があった。
前者に関しては、個人の資質だから、どうしようもない面もあるだろうけれど、そういう人間が地位に留まることを許しているのも、また後者だと考えれば、最大の問題はそっちかと思う。で、それは多分、著者が本書の最後の方で簡単に述べているように、日本人の精神構造によるものなんだろう。その証拠に、今の日本にも、内閣や政権与党を筆頭に、そんな構図がそこら中に見えるし、特攻を強制したような連中と同じメンタルの人間も、珍しくないように思える。
また、本書中にも記載があるように、政府による誘導や締付けはあったにしても、戦争中の世論は決して反戦的ではなかったし、そういう世論に同調的でない人間を排撃する空気があった。それも多分に、同じところから来ていたんだろうなと思う。
そう考えると、気分が滅入ってくるが。せめて、何が敵なのかがはっきり分かれば、対応のしかたもある、とでも考えるか。
日本人の精神構造についての考察は、著者は別の本、「『世間』と『空気』」で詳しく書いているようなので、そっちも読んでみようかと思う。

著者の鴻上尚史に対しては、演劇というのがあまり好きでないこともあって、先入観があったから、以前はあまり好感を持っていなくて敬遠していたが、近年、この人が書くものをポツポツ目にする機会があり、日本の社会に対して、自分が日頃考えているようなのと似たような意識を、この人が持っていることに気付いた。本書の内容についても、ほぼ全面的に共感出来ると思った。相手のことをちゃんと知ろうとせずに判断するのは、やっぱり間違いのもとなんだなと思う。
(2019.3.2)

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感想「プロ野球と鉄道」

「プロ野球と鉄道」 田中正恭 交通新聞社新書
プロ野球ファンの鉄道愛好家が、タイトルの通り、プロ野球と鉄道の関わりについて、プロ野球の歴史の初めからたどったもの。今年の2月に出た本。

当然、鉄道会社の球団の親会社としての関わりが、内容の大きな部分を占めるが、チームや観客の輸送という観点も結構大きくて、本書の独自性になっていると思う。当時の列車時刻表から検証しているのを見ると、確かに新幹線開通前の広島や福岡や仙台からの移動は大問題だったんだなと分かる。今みたいに全国にチームが散らばっていても、週6日ペースで試合が出来るのは、対応する交通インフラがあってのことなんだなあ。

それ以外では、著者には阪急の東京応援団員だった経歴があり、今では全球団の試合をまんべんなく見に行っているとのことで、実際に現場を知っているリアリティが感じられるのがポイントと思う。ただ、神宮球場のスタンドの風景の描写は、ちょっと古い(2-3年前な感じ)気がした。あと、そういう経歴にしては、球場観戦試合1000試合以上というのは、控え目な数字だね。まあ、2000試合には届いてない、くらいのイメージなのかな。

単にプロ野球の歴史をコンパクトにまとめた本として読める部分もあるが、その辺は今は類書も多いので。参考文献がいろいろ挙げられていて、それらの内容に拠る所も多いんだろうと思う。ちなみに宝塚運動協会について、ここまで丁寧に触れた記事を読んだのは初めてだった気がするが、これも参考文献のどれかに元ネタがありそう。やはり本書の一番の読みどころは、独自性を感じられる部分の面白さだと思う。
(208.8.18)

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感想「独裁国家に行ってきた」

「独裁国家に行ってきた」 MASAKI 彩図社
世界204カ国を旅行したという著者が、各地の独裁国家へ行った体験をまとめたもの。
あくまでも限られた時間と地域での著者の体験記なので、この本の記述だけで、この国はこうなのか、と考えてしまうのは危険だろうけれど、一般的なメディアでは、あまり伝えられない国のレポートが多いので、興味深い内容ではあった。コンゴとかサウジアラビアとかベネズエラとかの内情を伝えた記事って、なかなか見ないものな。

独裁国家と言っても中身は様々で、統治機構自体が腐敗している結果、危険きわまりない国もあれば、独裁によって安定が保たれている国もあり、ひとくくりでは考えられないというのがよくわかる内容だと思う。
独裁は、イコール悪ではなくて、本当に理想的な独裁政権なら、むしろ健全で効率的に国を運営出来るかも、とは思っている。
ただ、一方で「独裁」は、原理的に多様性とは相反するのでは、とも思う。そもそも、本当に理想的な独裁なんてものが、現実にありえるのか、ということもある。
そして最大の問題は、仮に良い「独裁」があったとしても、それが腐った時に、それを国民が排除するのがとても難しい、ということだと思う。うまく回っているように思えた独裁国家が、独裁者の変質でおかしくなったが、独裁を倒すことが出来ずに破綻に向かう例は、世界中にいくつもある。たとえば、本書に収録された国で言えば、ジンバブエがそうだったはず。
その点、民主主義は、腐った権力を民意で倒すことが、少なくとも原理的には可能なわけで、いろいろ欠点はあるにしても、民主主義が最善の選択ってのは、そういうことだと理解している。
とはいえ、民主主義の下でも、権力に対抗する勢力の力が十分でなかったり、権力に飼い慣らされた国民が多かったりしたら、それはうまく機能しないわけだけれど。今の日本はそういう状態だろう。

それはそれとして、リベリアやナウルは、必ずしも独裁体制が、その国の問題の本質ではない気がした。興味深くはあったけれど、この本で取り上げるのが適切なんだろうか、とは思った。
(2018.5.13)

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感想「本格ミステリ戯作三昧」

「本格ミステリ戯作三昧」 飯城勇三 南雲堂
本格ミステリの有名な作家や作品についての評論集だが、形式が独特。対象とした作家の作風や作品について、それらを真似て、論点が明確になる内容の贋作を書き、併せて評論で論じるという形を取っている。小説と評論が並行して置かれているので、確かに著者の意図が分かりやすい。自分がそれほど関心がない作家や作品についても、言わんとしていることが何となく理解出来るというメリットもあったかなと。
贋作の内容については、基本的にはお遊び的なものなので、あれこれ言うのは無粋かな。ただ、しっかり考えて書かれたものではあるし、どれも面白く読めた。

そこそこ分厚い本ではあるが、15章から成っているので、一篇一篇は結構短く、やや食い足りない部分もある。体系的な評論集というよりは、ミステリのマニアが、思いつくままに色んな作家や作品を論じてみた、という雰囲気が強く感じられる内容だと思う。商業出版にしては、随分、趣味的な本だなあ、とは思ったが、著者の名前だけでも、ある程度は売れるという判断を出版社がしたんだとすれば、飯城さんにはちょっと感心してしまう。ミステリ・マニアとしての、長年の活動の積み重ねの上で、出せた本だと思うので。
まあ、同じ出版社が2016年に出した「本格ミステリー・ワールド2017」を読んだ時、まるっきり同人誌だな、と思ったのだけれど、それを考えれば、こういう本が商業出版で出ても、不思議はないのかもしれない。ちなみに本書収録の綾辻行人篇は、「本格ミステリー・ワールド2017」からの再録。

なお、著者がエラリー・クイーン研究家なので、クイーン関連の項目が多い。クイーンに関する贋作・評論だけでも、読む値打ちは十分にある本じゃないかと思う。
(2018.2.17)

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感想「これで古典がよくわかる」

「これで古典がよくわかる」 橋本治 ちくま文庫
日本の古典というのがどういうものかというのを、わかりやすく説明した本。原著は1997年、文庫版は2001年の刊行。
ちなみに、前半部は主に、古典そのものを、わかりやすく説明したわけではなくて、平安時代以前の古典が、なんでとっつきにくいかというのを、わかりやすく説明している内容。単純に言っちゃえば、平安時代以前の古典の書き言葉は、今の日本語とは違っているから、ということなんだろうと思うが、それで合ってるかな。

要するに、日本語を書き表すにあたって、元々は中国から貰ってきた漢字を使っていたが(万葉仮名)、それが不便なので、漢字から派生したひらがな・カタカナを使って書き表す段階を経て、現在の表記に通じる、かな漢字混合文にたどりついた。だから、かな漢字混合文より前の文章は、読みにくくって当たり前だと。納得しやすい説明だと思う。
で、何が書いてあるかわかってみれば、今時の日本人とそう大差ないことを書いているに過ぎないので、そんなに分かりにくいものではないよ、と。この辺に関しては、近頃、日本の古い絵画の展覧会に行って、絵巻物などを見ると、これって今時のマンガと大差ないんじゃない?、と感じることが、あまりにも多いので、日本人の考えることというのは、昔から大して変わってないんじゃないかと思うようになっているから、素直に、そうだろうなあ、と受け止めた。源実朝って、そういうことを書いていたのか、と思うと、急に身近に感じられたりする。

書き言葉の表記の問題については、しばらく前に読んでいた、田中克彦の漢字廃止論に通じるものがあると思う。別に橋本治は漢字廃止論を語っているわけではないが、日本語を書き表すためには、それに向いた文字体系がある、という話であり(かな漢字混合が読みやすいと言っているから、漢字廃止論ではないよな。まあ、そもそも、そういう文脈の話をしているわけではない)、漢字というのが、どれだけタチが悪い文字か、ということも書かれているので。

それはそれとして、古典というのが、難しく重々しいものであるというイメージが形作られたのは明治時代だ、というのは、よくわかる。明治の新政府というのは、自分たちを権威づけるために、いろんなものをねじまげたんだよね。
江戸時代に、自分たちが抑圧されていたと思っていた連中が、天下を取った勢いで、偉そうに振る舞ったというのは、分かりやすい話ではあるけれど、それが原因で、日本はおかしな国になって、1945年に滅亡寸前まで行った。
そこで一旦はリセットされたけれど、執念深く生き残って、無反省に明治時代を賛美しようとしている連中が、また今、のさばっている。明治時代が、それ以前に比べて、すべてダメだったとは思っていないが、間違いなく、手放しで賞賛してよいような時代ではなかった。
こういうテーマも、結局、そういう所に行きついてしまうんだな、という感じがする。根拠がないもの、反省がないものは、きっちり批判していないといけない、ということだと思うんだが、今の日本は、国レベルでそういう所がまるでダメになっているよな。

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