感想「「野球」の誕生」

「「野球」の誕生」 小関順二 草思社文庫
先月の新刊。2013年に別題(「野球を歩く」)で刊行された本の文庫化とのこと。

渡来から1950年代頃までの日本の野球の有り様について、球場(練習グランド的なものも含む)を切り口にして語った本。
取り上げられている球場は、なくなって50年以上経つような昔のものが多く、近年増えてきた、昔の球場について書いた本でもある。著者は、2015年に旧新橋停車場で行われた「野球と鉄道」展の監修者でもあるとのこと。
各球場についてのエピソードは興味深いものが多いが、野球自体が日本の中でどういう風に受け入れられてきたかというのが概観出来る所もいい。何ヵ所かに出てくる正岡子規の野球好きのエピソードは特にいいな。
あとは大宮公園球場のくだりが、身近な球場なので(という割に入ったことは一度しかないが)、書かれている内容に実感があった。

それから、時節柄、特に強い印象が残ったのは、主に後楽園球場のくだりで語られる、太平洋戦争で戦没した野球人のエピソードだった。日本の野球の歴史を遡っていくと、戦争で無駄に死ななきゃいけなかった野球人や、野球そのものが敵性スポーツとして国から白眼視された時代という所を、必ず通ることになる。そういう意味では、今でもこれだけの規模の人気や影響力を保っている野球を通して、戦争を語るというのは、かなり有効な手段のように思える。また、野球に関わる人間(必ずしもプレイヤーに限らない)が、過去にそういう理不尽な時代があったことを意識し続けるというのも、意味があることなんじゃないだろうか。
(2017.9.4)

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感想「田中克彦自伝」

「田中克彦自伝」 田中克彦 平凡社
著者はモンゴル語が専門だが、専門外の領域でも独特な活動をしている言語学者として、結構有名な人。専門家向けではない著書も多い。そういう本を結構読んでいるが、この人の著書を積極的に探して読む、というほどのファンではない。普通なら自伝まで読むことはないはずだが、今年初めに偶然書店で見掛けて、つい買ってしまった。昨年の末に刊行されたものらしい。

本人も自覚して書いている感じだが、内容はかなりとりとめがない。こんなことがあった的な話が、一応編年体で綴られているものの、時々前後したりするし、人名などの固有名詞も注釈抜きで出て来ることが多いので、時々、わけがわからなくなったりする。
それでも、1934年に生まれて、太平洋戦争、戦後の混乱、60年安保や大学紛争などについて、実体験として経験してきたことを語っている内容は、その時代の雰囲気が生々しく伝わってきて、興味深いものではあった。
かなり無茶をしてきた人だったんだな、というのは、よく分かった。だからこそ、あれだけ多彩な活動も出来ているんだろうが。実名で遠慮のない人物評を書いている所があちこちにあり、かなり食えないおっさんらしい(^^;、とも思った。

所々、別の方面で知っている人名や地名が出て来るあたりも興味深かった。特に、外国の小説の翻訳家として名前を知っている人物が結構出て来て、繋がっているんだなと感心したり。もっとも、翻訳家は語学に関わる仕事(しかも本職は大学教授だったりする)なんだから、関係があっても、不思議はないか。
そういう人脈の広さも、活動領域の広さと関係があるんだろう。人脈は大切だなと思ったりする。

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感想「日本の地霊(ゲニウス・ロキ)」

「日本の地霊(ゲニウス・ロキ)」 鈴木博之 角川ソフィア文庫
1999年に刊行された本の文庫化で、今年3月の刊行。

「地霊」というと、禍々しい感じがするが、その土地の成り立ち・来歴などの蓄積を指す言葉だそう。ただし、「霊」のような不合理な要素も排除しているわけではなく、そうしたすべてをひっくるめたもの、という概念らしい。本書は建築史家の著者によって、その土地の「地霊」を無視しては、建築は成り立たない(建築するべきではない)という観点から書かれたもの。
ただし、開発的な行為そのものを否定的に捉えているわけではない。あくまでも、「地霊」を顧みない、画一的な開発や場当たり的な開発を批判している、と感じる。

本書の内容自体は、あちこちの土地や建物の来歴を、見てきて語る、というものだから、思想的な部分を除くと、全体的な印象は、より専門的なブラタモリ?、みたいに思える。もっとも、タモリにも、似たような思想は、多分あるような気はする。テレビ番組の中では、尺が短いこともあるので、それを露骨に見せることはないけれど。

今まで、あまり考えたことのなかった建築の思想ということについて、考えさせられる内容ではあった。たとえば、身近な所で、国立競技場の建替えの考え方などにも絡んでくる話だと思う(解説を隈研吾が書いているので、容易にそういう連想が働く)。ただ、「地霊」という言葉に引きずられて、もう少し、あやしい内容を期待していた所はあったので、やや期待外れだった感はある。
とはいえ、行ったことのある場所、馴染みのある場所がいくつか取り上げられていて、興味深かったし、特に広島については、これを読んでから現地に行っていれば、色々考えることがあったかもしれないな、と思った。まあ、また行けばいいのか。いつかはマツダスタジアムに行くつもりだし。そういえば、広島市民球場というのも、こういう建築思想的なものを考える必要性が高い場所だったのだろうな、と思った。
(2017.7.25)

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感想「絶対東京ヤクルトスワローズ!」

「絶対東京ヤクルトスワローズ!」 坂東亀三郎、パトリック・ユウ さくら舎
2015年の7月に出た本で、出た当時に読んだが、読み放しになっていた。片付けしていて本が出てきたので、ぱらぱら読み直したついでに、少し書き残しておくことにする。
サブタイトルは「スワチューという悦楽」。坂東亀三郎は、当初のいきさつはよく覚えてないが、昔からのヤクルトファンの歌舞伎役者として、(少なくともヤクルトファンの間では)知られるようになった人。パトリック・ユウは、言わずと知れたスタジアムDJ。この2人がそれぞれ、ヤクルトについて語り、対談もする内容。末尾には、それ他のファン20人の「メッセージ集」も収録。何年かに一度、ぽろっと出るタイプの本だが、今回のものは、著者の顔触れを見ると、だいぶ球団側が関与して出したのかもしれない。

坂東亀三郎は「丸スワ」での文章などを読んでいると、古参のファンだというのはよく分かるが、この本を読むまでは、そんなにはっきりした印象は持ってなかった。結局、「丸スワ」というのは、チームが全面的に関わって出している広報誌だから、当然、書く文章には制限がかかるだろうし(少なくとも書く方は、それなりに意識して書くと思う)、まあ、書き手の立場の特殊性から来る面白さはあるにしても、それほど大した内容でもないと思っていた。本書も、当然、チームの協力がなければ成り立たない本だろうが、やはりスタンスが少し違って、チーム的にはあんまり言って欲しくなさそうなことを、遠慮せずに書いている感じがしたし、そういう所に、結構共感もした。
結局、弱くてファンも少ないチームだった時代に、ヤクルトに共感してファンになるってことは、どこか屈折したものがあるわけで、ヤクルトのそういう時代からのファンには、今みたいなチームの運営のされ方に、微妙に違和感を感じている場合が多いんじゃないかな、という気がする(古参のファンが書いた文章を読むと、そういうのが垣間見えることが多い)。この人についても、この本を読んで、その辺がちょっと見えたことで、読む前よりも共感度が上がった。もちろん、外野の外野で応援しながら観戦してる人なので、根本的に自分とは感覚がかなり違うけど。
そもそも、自分自身はファン歴30年以上のつもりではいるけれど、球場で試合を見始めたのは実質1993年以降だし(もっとも、そこからでも、もう25年になるか…)、いろいろ細かく掘り始めたのは、さらに後だから、80年代から球場に通っていた古参のファンとは、やっぱり感覚がいろいろ違うと、日頃から思ってはいる。ちょっと、引け目みたいなものもあったりして。

パトリック・ユウについては、話が全然違ってくる。千駄ヶ谷の生れで、幼少時にヤクルトと縁があった、といったエピソードは出て来るが、神宮のスタジアムDJを始める前に、ヤクルトに特に思い入れがあったわけでもないし、この本が出た時点では、既にチームと仕事をしていたわけだから、優等生的な内容以外のことを書けるはずもない。
しかも彼は、このところ、かなり嫌いになってきた、今のチームのスタジアム演出を象徴している人物でもあるので、なおさら共感的な気持ちは薄い。彼がDJを始めた最初の頃は、演出的なことをやらな過ぎるチームだったから、新鮮味があって、むしろ歓迎する気分だったが、今では、やり過ぎ感が漂っていて、もういいよ、という感じ。試合やプレーの中身がショボいのを、演出でごまかそうとしてる感も顕著だし。
チームの裏話的な部分は興味深いが、それ以上の面白さはなかった。

ちなみに、この本が出た2015年にチームはリーグ優勝したわけで、今読むと、その年の序盤の雰囲気が感じられる。何か起きそうな気配はあったのかな、という感じが、ちょっと見えているような気がする。
(2017.8.11)

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感想「いつも、気づけば神宮に」

「いつも、気づけば神宮に」 長谷川晶一 集英社
1980年以来のファンという著者による、ヤクルトスワローズ本。
自身の観戦の記憶を元に、9つの「系譜」を設定して、昔の選手やスタッフにインタビューを行い、テーマ毎にまとめている。
さすがにファン歴が長い上に、かなり深いだけあって、インタビューの内容も相手も、ツボを心得ている。通りすがりのライターには期待出来ない、と思われる充実ぶり。
特に、日頃、あまりインタビューが行われないような、大物以外の人たちから聞いている話が興味深かった。渋井とか八重樫とか。それに苫篠弟(今は兄がヤクルトのコーチだが)。

スワローズの全てについて肯定的な、アバタもエクボみたいな強引なまとめが、気にならないわけではない。インタビューされた人たちは、軒並み、ヤクルトはいいチームと口を揃えるし、著者はそれをそのまま肯定する。そんなわけはないだろと思う理由はいくつもあるから、嘘つくなよとは思うが、球団の全面協力がなければ成り立たなそうな本てある以上、それを言ってもしょうがないわな。
外部からの視点として、広沢へのインタビューに基づいて、チームに対する必ずしも肯定的でない意見を、多少入れているあたりに、チームべったりではないという所を、一応見せようという意識を感じる。でも、結局、そうはいっても…、という所に落としていくんだが。
もう少し、客観的に見て納得出来る球団分析は出来ないものかな、とは思う。スワローズはいいチームと言いつつ、他のチームのことは知らないけれど、という但し書き付きで語っている人が何人かいる。そういうのは、全然、客観的な評価じゃないから。そういう意味でも、広沢のコメントが入っているのが、意味があるわけだけど。

ただ、本書に関しては、そうした欠点を補うだけの情報量はあると思った。
あとは、まあ、長年チームのファンだった人間にとって、そのチームが客観的にいいチームかどうかは、実はどうでもいいことなんだよな、とも思った。
自分も何だかんだ悪口言いつつ、鞍替えしようとは思わないし。でも、客観的な証拠が得られない限り、スワローズが一番いいチーム、というような言い方をする気はない。それとこれとは話が別。アバタはあくまでもアバタ。
(2017.6.7)

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感想「明治維新という幻想」

「明治維新という幻想」 森田健司 洋泉社歴史新書
先日、山形へ行った時、市内の本屋で買った本。幕末の山形のことを考えている時に、本屋で目に止まったんで、なんとなく買っちゃった。昨年末に出た本らしい。

サブタイトルは「暴虐の限りを尽くした新政府軍の実像」という、かなり煽情的なもの。明治維新の時の新政府軍が、どれだけ酷い連中だったかということと、その後の明治政府のイメージ戦略によって、その実像がどういう風に改変されて、現在に伝えられているか、というあたりの話。
筆致はかなり挑発的ではあるけれど、歴史資料をベースに書いているものなので、記述されている内容そのものは、信頼がおけるだろうと思う。
幕末期に描かれた、新政府軍を揶揄する浮世絵を紹介するくだりなど、興味深い話がいろいろあった。また、庄内藩については、親近感を感じていた土地の割には、あまり知らなかったので、そういう歴史があったのかと。

もっとも、全体的には、認識を大きく覆されるような内容ではなかった。俺は新潟県生まれで、長岡とは縁がなくもないし、会津も結構身近な土地だったから、子供の頃から、明治維新に関しては新政府軍に反感を持っていたので、こういう関係の本は割と読んでいた。それに、明治維新に肯定的な書き方をしている文献でも、当時の新政府軍のやり口については、必ずしも肯定的には書かれていなかったりするのを、結構読んだ記憶がある。そういう理由で、それほど目新しさは感じなかった。

本書の筆者も、江戸時代が完全無欠だったとは思っていない、と書いている。個人的には、江戸時代の体制に疑問を感じている人間が、薩長以外にも少なからずいたから、明治維新が成立したんだろうとも思っているので、一面的に、どっちがいい悪いという話をするのは、あんまり意味がないと思う。
ただ、新政府軍がその後やってきたことの帰結が太平洋戦争だったのは間違いないし、さらにそれが、巡り巡って、今の政府のでたらめなやり口に、つながってもいる。
少なくとも、無条件で明治維新やあの時代の新政府側の人間を讃えるのは、間違っているし、危険だと思う。だから、そういうことをやりかねない(現にやってる)人間が、この国の権力の中心に居座っているのは、おっかなくてしょうがない。
(2017.5.16)

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感想「読んでいない本について堂々と語る方法」

「読んでいない本について堂々と語る方法」 ピエール・バイヤール ちくま学芸文庫
これは使えるかも(^^;、と思って、読んでみた。

実際は、ハウツーものの体裁を取った、一種のシャレだったけど、本を読むというのはどういうことかという考察が中心にある内容で、ユーモラスではあるが、そんなに軽い中身ではない。
本を読んでるといっても、いろんなレベルがあるし、隅々まで全て読んで頭に入っている、なんて状態は、まずありえない。所詮、中途半端にしか残っていない状態なのであれば、そういう状態と、実際には自分では読んでいないけれど、周囲から入ってきた情報をもとにして、本の内容を自分で再構築している状態と、どれだけの違いがあるんだろう、というあたりが基本的な所。
言わんとしていることは、本当に重要なのは、本を読むことそのものではなく、読んだ体験をベースとして、自分で考えること、創造すること、アウトプットすることなんだ、ということではないかと思う。そう考えれば、確かに、インプットは必ずしも、自分自身が本を読んだ体験でなくても、聞きかじりでもいいはず。
かなり納得できる部分のある論説だと思った。もちろん、全ての読書に適用できることでもないとは思うし、それは分かった上での、シャレだと思うけれどね。
(その本の内容について、丁寧で研究しようとしている場合には、当てはまらないだろう。もっとも、そんな読書は、滅多にないだろうな、という気もする)

それはそうと、ここに取り上げられている何冊かの本が読みたくなってきた。オスカー・ワイルドとか、ポール・ヴァレリーとか。「第三の男」(読んでない)やピエール・シニアックも。
(2017.5.16)

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感想「ヨーロッパ・コーリング」

「ヨーロッパ・コーリング」 ブレイディみかこ 岩波書店
同じ著者の「This Is Japan」に先行する本。2016年6月の刊行。2015~2016年の西欧(主に在住するイギリス)の政治状況を、「地べたから」の目線で語ったもの。大半はリアルタイムでブログに書かれた内容がベースだが、補筆はされているとのこと。
帯には、もはや「右対左」ではなく「下対上」の時代だ、と書かれていて、主にそういう内容の本だけど、この構図はアメリカ大統領選の時も言われていたのを思い出す。ちなみに本書はアメリカ大統領選については、時期的にも地理的にもサービスエリア外なので触れていないが、ヨーロッパもアメリカも、そういう構図になってるということだな。
じゃあ、なぜ日本では、こういう構図があまりあらわにならないんだろうと思うが、自分のことを考えると「上」じゃないけど、「下」とも言えないだろうなと思うし、回りを見渡しても、「格差社会」と言いつつ、そういう中間層が、日本にはまだそれなりに存在してるように感じる。それが理由なんだろう。そして、そういう中間層が、自分たちが「下」に滑り落ち始めている現実を受け止められずに、「中流幻想」にしがみついていることが原因で、いろんな酷い状況が起きている、というのが「This Is Japan」で書かれていたことだろうと思う。

本書の内容について言えば、イギリスという国の社会制度には、本や映像から受けた印象で、かなりポジティブなイメージがあるけれど、実態はそうでもないのかな、という感じ。確かに昔は良かったんだろうと思うが、現状では、もはや、日本と同程度か、もっと悪いのかもしれない。個々の制度によって、いろいろなレベルがあるとは思うが。
それから、イギリスの「保守」政党や日本のネトウヨに相当する層がやっていることは、日本とまるっきり同じだなとも思った。今の日本で起きている現象は、世界で起きている現象の一部なんだな、と改めて思う。
それでもまだイギリスは、そういう動きに対抗するメディアなどの勢力が、しっかりしているように見えるから、日本よりはまだマシなような気はするけど、それも本や映像からの知識によるものだし、住んでいる人の実感とは違っているのかもしれない。

どうせ、世界中、どこへ行ってもおかしくなっているのであれば、この日本で、状況を少しでも好転させるために、いくらかでも戦うのが正しいあり方なんだろう、と思ったりする。
(2017.4.30)

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感想「最古の文字なのか?」

「最古の文字なのか?」 ジュヌビーブ・ボン・ペッツィンガー 文藝春秋
ヨーロッパ各地の洞窟に古代人が書き残した大量の抽象図形を調査した報告。データベース化してみると、32種類に大別出来ることが分かり、ある種の記号、もしくは文字なのでは?、という所へ進んでいく。2016年の刊行(原著・邦訳とも)。

言語や文字に関心が強いので、邦題に引かれて読んでみた。しかし、文字かどうかという点については、文字とはいえないと割と簡単に否定されてしまっていて、若干肩透かし。そもそも原題は「The First Signs」だからあくまでも調査の対象は「記号」であって「文字」じゃないし、文字ということにそんなにこだわっているわけでもない感じ。邦題にやられたかな、という気はする。
古代人の生活や文化についての考察は、十分興味深い話ではあったけれど、古代人が実はかなり高い水準の文化を持っていたと思われる、と言われても、そんなに驚けないのは、古代の超文明みたいなヨタを、読み過ぎているからかなあ(^^;)。
記号の解釈についても、あまり踏み込んでいないのが、やや物足りない。それと、容易には入り込めないような深い洞窟に、危険を冒して潜ってまで、絵や記号を書き残した理由についても、もう少しはっきりした考察を示して欲しかった気がする。
著者の意図としては、現地での調査過程や得られたものの記録、というあたりに主眼があるように思えた。これらの資料から結論を導くのは次の段階、というような感じ。実際問題として、まだ集めきれてない資料も大量にあって、考察して結論を導く所まで来ていないのだろうし、仕方ないだろう、とは思うが。

洞窟を調査するくだりなどは、いかにもドキュメンタリー的な書き方だし、ディスカバリーチャンネルあたりでやってる、興味深いけど、いまいち食い足りない感じのするドキュメンタリー番組を連想しないでもなかった。
事前に期待した内容とは、ちょっとずれていた。

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感想「アナキズム入門」

「アナキズム入門」 森元斎 ちくま新書
アナキズム(=無政府主義、でいいのかな)って、なんとなく自分が日頃考えてることに近い気がしていたけれど、全てを破壊する、みたいな暴力的なイメージに繋がっている面があるし、過激な匂いが漂っている所には違和感もあったから、あんまり真剣に考えたことはなかった。
本屋でこの本を見掛けて買ったのも、アナキズムそのものへの興味というより、帯に栗原康の推薦文が載っていたから。でも、栗原康はれっきとしたアナキストのような気がするし、栗原康に共感した時点で(雑誌や新聞への寄稿を2本くらい読んだだけなんだけど)、そっちの方に気持ちは振れているのかもしれない。

この本を読んでみて、アナキズムの思想そのものは、特に過激なものではないという点を理解した。過激なのは、そういう思想を敵視して、無茶な弾圧を加える政府の側だね。そりゃそうだ。
幸徳秋水や大杉栄だって、特に危険な人物ではなかったのに、政府の意思によって虐殺されたんだし。
そう考えると、やっぱり、自分が日頃理想と考えている社会の在り方は、アナキズムに近いんじゃないかと思う。というか、アナキズムって、要するに理想主義なのかもしれない。

本書の内容としては、世界史や政経の教科書で、名前を見た覚えはあるけど、脇役とか裏方的なイメージが付きまとっていたプルードン、バクーニン、クロポトキン、ルクリュ、マフノといった人たちの経歴や思想を紹介したもの。もっとも、後ろの2人については、全然、名前も知らなかったが。
みんな、格好いいやね。もっとも、著者がそういう風に書いているわけなので、単純に信じ込まないで、別の角度から彼らが描かれたものも読んでみるべきなんだろうが。
著者は割と軽い感じで書いている。入門書ということで、意図的にそうしてるのか、元々、そういう文体なのかは知らない。ちょっとスベってる感じはするけど、それは自分が年寄りのせいかもしれない。

それはそれとして、自分が理想と考えるような社会を体現するような生き方を、自分が実際にしてるかというと、そうでもない気はする(^^;)

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